Okamoto Yuujiさんの<d7ms1f$3v3$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>から
> 岡本@高松です.
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>In article <429e4923$0$979$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>, wacky@mx1.freemail.ne.jp says...
>>【whoisのabuse】なる話はJPNICに下駄を預けることで一旦終わったわけで、
>
> そうですね. 某氏個人の疑惑については.
>
> どちらかというと,どう云うことをすれば "whoisのabuse" と
>"思われてしまうか" をお話したほうが良さげです.

「abuseになるか」ではなく「abuseと*思われて*しまうか」なんですか?

> 「たとえば,おかもとの会社をwhoisで引いても担当者が見えるだけで
>  社長の名前なんかありません.」
>なんですが,これだけ書くとヒトによってはabuseと思うかも知れません.

それの何がabuseなのかよくわかりませんが、そういう人がいないと断言する
こともできませんね。

で、
「abuseと思う人」と「abuseと思わない人」のどちらが正しい?強い?優越す
る?のでしょうか。
「いるかもしれない」という表現によって一体何を言わんとしているのか、そ
の意図を測りかねます。そもそも、その「思う」ってのは「恐れ」とか「可
能性」とかとどれほど異なるというのでしょう。

本件に限って「abuseでないかもしれないのに文句を言うのはお門違いだ」
と言わないのは一体如何なる違いからだと言うのでしょうか?

全くもって疑問です。



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wacky