こっちは続けてみるか…

KGK == Keiji KOSAKAさんの<cn4ork$hmq$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 「犬ならば哺乳類である」は哺乳類のカテゴリが多値(犬、猫、牛、馬、…)な
>>>> ので「犬でなければ哺乳類でない」は成り立たない。
>>>> 10円玉で「数字が書いてあれば裏」は「数字が書いてある面とない面」と
>>>> 「裏と表」のそれぞれ2値なので「数字が書いてなければ裏ではない」は成り
>>>> 立つ。

>>> で、10円玉の例が成り立ってるのは、P,Qが二値だからじゃないでしょ。
>>> 似たような例としては、机の上に置いたサイコロについて、
>>> ・1の面ならば上を向いてる面
>>> が成り立ってるとしたら、
>>> ・1の面でないならば上を向いてない面
>>> も成り立ちます。
>
>> ワケワカラン。^_^;
>> 結局、そりゃあ
>> ・サイコロの目が1か否か→2値
>> ・1の目が上を向いているか否か→2値
>> に過ぎないじゃん。
>
>そういうのも二値だというのであれば、「哺乳類であるか否か」も二値ですね。

当たり前です。

>でも、
>
>>>> 「犬ならば哺乳類である」は哺乳類のカテゴリが多値(犬、猫、牛、馬、…)な
>>>> ので「犬でなければ哺乳類でない」は成り立たない。
>
>なんですよね。

違いが分からないんですが?
因みに「「犬ならば哺乳類である」は真(偽)である」なら二値ですね。
#「哺乳類であるか否か」の言い換えに過ぎませんから。

>まあ、「××か否か」を二値だというのなら、命題はなんでも二値になります。
>命題ってのは真偽の二値をとるものだからね。

「PならばQである」という命題の取り得る値は真偽の二値ですが、それはP,Q
もまた二値であることを保証しません。KGK氏はそこいら辺を混同しているの
ではないでしょうか。

具体的には、Pに「犬ならば哺乳類である」という別の命題を設定することは
可能であり、その場合Pは二値となりますが、そのことはPにおける「哺乳類」
が二値を取ることを何ら保証しない。ってことです。
#まあ、当たり前の話ですが…。


>>> ある条件を付け加えたら成り立たないというのでは、前提が足りないわけです。
>
>> 大抵の物事は勝手に前提を変えたら成り立たないのが普通です。
>
>私は前提を変えたりしてません。付け加えただけです。
>元の前提から論理的に導けることは、元の前提と矛盾しない前提をどれだけ付
>け加えても導けるはずです。
>そうでなければ、導出が誤りだということです。

あのね、^^;
取り得る組み合わせの一つが「存在しない」という前提を勝手に付け加えるこ
とは、即ち「取り得る」という元々の前提を「取り得ない」に変更することに
他ならないでしょ。


>> このようなことは元々「色と形に関連性が無い」為に可能となったことであ
>> り、もっと関連性の濃い組み合わせ、例えば色の代わりに「右手か左手か」形
>> の代わりに「手の甲側か平側か」を採用すれば「左手の平は存在しないものと
>> する」といった恣意的な設定のオカシサがより分かり易くなると思います。
>
>それは、そのようなケースでおかしいだけの話ですね。
>色と形や、哺乳類と犬では、おかしくないわけ。

一旦、「手の甲側か平側か」を認めた以上、「色と形や、哺乳類と犬では、お
かしくない」ことの根拠の提示と説明が必要となるでしょう。


>> 繰り返し問いますが、KGK氏の主張は
>> ・赤いサイコロはKGK氏の世界には論理的に存在し得ないものである
>> ・赤いサイコロはKGK氏の世界として設定された状況においてはタマタマ存在
>>  していなかっただけで、別の状況では存在する可能性がある
>> のどっちですか?
>> KGK氏の詭弁は両者を意図的に混同している点にあるのではないかと思います。
>
>もちろん、後者ですし、後者について論理を適用できない理由は何もありません。

つまりKGK氏の論理は、一回だけサイコロを振って「一の目が出る確率は100%
である」と主張しているようなものですな。もう一度振れば別の目が出る可能
性を恣意的に除外しているのだから。

-- 
wacky