行為というのはそれが行われた時点にしか存在しません。
従って、それ以降に行われた別の行為から見た場合に「過去に行われた行為」
自体が存在するわけはなく、それは「その行為による結果→状況」であるわけ
です。


KGK == Keiji KOSAKAさんの<cff8ui$m5t$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「「アクセルを踏み込む」という大行為」と明確に述べていると思いますけど?
>> アクセルってのは「誰かに踏み込んでもらう(ことによって自動車の速度を上
>> げる)」ことを目的に作られているってことに異論ありますか?
>
>そういうことなら、
>
>>>>> この流れでこういう喩えを出すってことは、
>>>>> ・「アクセルを作る」という行為は、「アクセルを踏み込む」という大行為に
>>>>> 対する小行為である。
>>>>> という主張ですか?
>
>でいいと思うんですが、何故肯定的に反応しないんでしょう?

それに単純に「その通り」と言う為には行為と状況の関係をキチンと把握して
いるという前提が必要となるわけです。そして把握していれば「協力関係に
ないぞ」みたいな変な反論が出てくるわけがないわけで…。結果として*更に
説明を加える必要性*を感じざるを得なかったわけです。別にオカシナところ
はないでしょ。


>ある行為を構成する行為とある行為の状況を作る行為を両方同じ用語で呼ぼう
>とするから、変なんだと思いますよ。

既に行われた行為→行為の結果と状況は同じものです。
そもそも「ある行為の状況を作る」という目的は必ずしもあるとは限りません
し、その有無によって何が変わるわけでもありません。
#存在しないかもしれないものを前提にすると、それが存在しなかった場合は
#その時点で誤りとなります。


>> そこにアクセルが存在すると
>> いう状況を前提にしている以上は当たり前すぎる話だから、単に状況として述
>> べれば済む話。
>
>「自分でポイ捨てしてた」も単に状況として述べればすむ話ですね。
>それを「小行為」などというよく分からん用語を使って説明するってのは、何
>かうれしいことがあるんでしょうか?

#例によって「表現にケチをつけている」だけじゃん。

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wacky