SASAKI Masato wrote:
> 
> でもそのようなことが起こった原因をまず究明するのが基本なんで
> そしてこれはある程度答と
> これに対する対策が存在している訳ですよね。
> 
> まつむらさんには以前注意したところなんだけど
> 「なぜ」の部分を考えないで結論をそのまま受け入れる立論というのは
> それはだめだめだと思います。

ひとつの理屈(現在法曹界ではそうなっている)としては、解るんですが。

> そしてなぜの部分をきちんと考えれば
> 「矛盾する判決があること自体を問題視するのは間違い」
> って正解にたどりつける訳です。

その正解にたどり着いても問題の解決にはならない場合がある。
それが現在の司法システムの限界かも。

裁判官が、要件事実か事情かを、振り分ける訓練をすればするほど、
正義とは何かからかけ離れ、条文と要件事実のパズルゲームに埋没
していき、結果(判決)に対して責任をとらないという法律に逃げ込み
安心する習性を身に付けてしまっている。

また、正解にたどりつけても、当事者として、そこまでの費用や、
かける長い長い時間等のことは考慮されていない。実際にそれを
実践することは至難です。


裁判官が日本を滅ぼす  門田隆将著 新潮社 P.160

「裁判官の卵たちは、司法修習で”要件事実教育”を徹底して受けています。
これはさまざまな実例を通して、それが”要件事実”なのか”事情”なのか
を振り分けする訓練を受け、事情の方は徹底して排除していくという教育で
す。」

ここに偏りは、ないのでしょうか?

同書 P.161
正義や公益などという発想は、そもそも裁判官の頭の中には存在しない

佐々木さんの云わんとすることは、理解できるのですが、多くの人は、
納得しないでしょうね。特に被害者や民事の敗訴した人は。

まつむら