KGK == Keiji KOSAKAさんの<bfb8b3$adm$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> ってことは、
>>>>>>> ・「ポイ捨てしながら批判する」というのは「批判する」に焦点をあてた文で
>>>>>>> ある
>>>>>>> ってのに明確に反対してます。
>>> という理解でいいよね?
>
>> 良くワカランです。^_^;
>> 日本語の文法がおかしいって言いたいなら他所でやってください。
>> ここでは主張の中身の話をしています。
>
>主張の中身を把握するために文法的な話をしたんです。

で、あれば良くワカラン文法解釈はさておき、「そのような理解は誤りであ
る」と既に明言していると思います。
にもかかわらず「俺の文法解釈がこうだからお前はこう主張しているんだ」っ
てのは本末転倒な話でしょう。


>> で、その「評価する材料」には当然「その行為が行われた状況」が含まれるで
>> しょう。
>
>もちろん、「目的に関係する状況」、「手段に関係する状況」、「結果に関係
>する状況」は含まれます。
>それ以外の状況は含まれません。

何か言っているようで言っていないようで発言内容を測りかねますが…。
じゃあ、たとえば「その手段の実行者が置かれている状況」なんてものは含ま
れるんですか?


>>> 批判の対象になるのは「自己棚上げ」という状況であり、それは行為自体の評
>>> 価とは別であると。
>
>> あの〜、^_^;
>> 別って言ってもねぇ。
>> 「行為」なしに「自己棚上げ」という状況は成立しないし、「自己棚上げ」に
>> ならないように「行為」を行うこともできないでしょ。口先で「別」というの
>> は簡単だけど、実際にどちらか片方だけ取り出すことなんかできないじゃん。
>
>全体で一つの評価を下そうとするのが間違いのもとなんですよ。

切り離せない一つのものなのに?

>評価ってのは注目した部分に対して行なうものです。
>だから、「批判という行為」に対する評価、「棚上げという状況」に対する評
>価、「ポイ捨てという行為」に対する評価、それぞれ別なわけです。

一見正しそうな意見ですが、実際問題、一人の人間の右手と左手に相矛盾する
異なる評価を下したとしてそれに何の意味があるんですか?
総合的な評価を避ける意味はなんでしょう?


>>>> その行為が自己棚上げな状況において為されたから。
>>> 
>>> 自己棚上げの状況であることが批判の対象になるのは不思議じゃないですが、
>>> その状況下の行為が全て批判の対象になるですか?
>
>> なる場合もならない場合もあるでしょう。
>
>どういう場合になるんでしょう?

特段の正当化可能な理由が存在しなければなるでしょうな。
俄かには思いつきません。教えて欲しいくらいです。

#「改心した後で行われた批判」なら批判の対象になり難いでしょうが、その
#場合って既に自己棚上げじゃないしね。

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wacky