KGK == Keiji KOSAKAさんの<beoifp$qmr$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<3f07026a$0$260$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Sun, 06 Jul 2003 01:54:08 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<be6a63$p51$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> これってB群を全然考慮してないよね。
>
>> c1,c4,c6 に集約されていると思います。
>
>どういう意味?
># それ以前に私が「B群」と言ってるのが何か分かってます?

どうやら「明確に示さなければ伝わらない」の典型のような話らしいですね。
#自分は分かっているつもりでも相手も分かっているとは限らない。
#議論相手すら分かっていないのなら読者はなおのこと分からんでしょう。


>Y1. 頻度
>Y2. 回避の困難さ
>
>というあたりかなあ。
>一つ一つの迷惑が軽微なものであっても、頻度が高いと大きな迷惑になります。
># ってのはwacky氏が他のスレッドで言ってることにつながったり。

そうですね。
ただ、それを許容・非許容要素に盛り込むのは難しいので、補正項としてとし
て考えた方が良いでしょう。


>>>> 誤解を避けるために解説するなら、
>>>> 「辞書通りの意味の迷惑の内、個人的事由から生じたものについては個人的に
>>>> 解決するべきだろう。また、辞書通りの意味の迷惑の内、社会的事由から生じ
>>>> たものについては社会的に解決すべきである」
>>>> といえばよろしいでしょうか。
>>> 
>>> どちらの種類の迷惑も「迷惑を被った人の心の内に発生するもの」には変りあ
>>> りません。
>
>> それを言うなら「常識」だろうと「社会規範」だろうと同じことでしょう。
>
>同じだから何でしょう?

「だから何でしょう?」は私のセリフですってば。^^;
「迷惑を被った人の心の内に発生するから何でしょう」です。


>>> 憤りってのはその原因を作った相手なり、原因となった行為なりにぶつけられ
>>> るんじゃないですか?
>
>> その通りのことを述べております。
>
>憤りはその原因を作った相手なり、原因となった行為なりにぶつけられて、許
>容は自分の心の動きたる「迷惑」に対して行なわれるんですか?
>その非対称性はどこからくるんでしょう?

別に非対称ではありませんよ。
「許容」も「憤り」も同様に「心の動き」として発生し、同様に原因となった
行為なりにぶつけ(?)られるわけです。


>>> 行為の評価ってのは、行為の目的、手段、および結果に対して行われるのが普
>>> 通ですね。
>
>> えっ!
>> 普通に「行為の評価」と言えば普通に「行為そのものに対する評価」と考える
>> のが普通でしょ?
>
>「行為そのものに対する評価」ってどうするんです?

KGK氏が突然「手段」と呼び出した「それ」が、今まで「行為」と呼ばれてい
たものですよね。
#喫煙という「行為」は煙草を吸うという「目的」を達成する「手段」であ
#る。というわけです。

-- 
wacky