5日目その2 [北上市上鬼柳〜北上市和賀町煤孫]

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走行日: 2010年8月4日(水)

[地図: 相去町〜煤孫橋]

北上市に入って早速道を逸れ, 大きく寄り道を始めました。主たる目的地は1つで, そこへ行くなら行き帰りにいくつか見て巡ろう, という目論見です。私としては今回, 無理をしてでも来てみたかった場所なのです。例えそれが他の人には何の意味もない, 意味を見出す理由すら判らない場所であっても……。

写真コメント
[写真ありません]
(--:--)
[地形図: 南部領伊達領境塚]

さて, 国道を離れたばかりか北上をやめ西進している理由の一つ。地形図上に細道の記号と共に『南部領伊達領藩境塚』と記載されている所へ目が止まっていたからです。盛岡藩南部領と仙台藩伊達領の境という『線』が, 地図に載るほどの存在として現存していると? ここに地形図引用した1箇所だけでなく, 同一図画にもう2箇所あるくらいですから(更に隣接図画へ続く), 相当なものなんだろうなあ……と期待していたんです。他の寄り道するための経路をちょっと弄れば行けますから。

(地形図出典: 電子国土 http://cyberjapan.jp/)
[写真: 南部領伊達領藩境塚 1]
(07:52)

やって来ました藩境塚。……何か, あるんでしょうか? 地図からするとあの木が数本生えている箇所がその筈なんですが……。大字としても, 手前が相去町下三十人町, 奥が上鬼柳1地割です。

[写真: 南部領伊達領藩境塚 2]
(07:54)

地図で藩境塚と書かれている小道までやってきました。未舗装です。……うーん, 左側の草地がそうなのかなあ? 目で見ただけでは盛り土のようなものは認識できません。

[写真: 南部領伊達領藩境塚 3]
(07:55)

木が生えている場所まで来ましたけど……土盛りも無ければ, 史跡を示す掲示もありません。場所は間違ってない筈なんだけどなあ。

西側で少し幅広の道とぶつかるところまで行って(そこからは南西に続くらしい), 戻りました。

[写真: 南部領伊達領藩境塚 標柱]
(08:01)

一旦元の道に戻ってから, 北上JCTを目指して進み直したところ……藩境塚と交差するところで, 唐突に標柱を見付けました。うーむこっちにあったのか。しかしなんだか判りにくい〜〜〜〜。

後で調べたところ, 北の現地から - 北上探訪3で詳しく探訪されていました。同じ場所を見ている筈なんですけどね(^^;;; 私はせいぜい500mくらいしか並行していなかったから, もっと先まで行くべきだったんだ……。

[写真: 北上JCT 鬼柳橋より]
(08:04)

改めまして, 東北自動車道の北上JCTへとやってきました。秋田自動車道の起点です。自動車で普通に来たなら, ここから秋田へと向かうのだー。鬼柳橋からは分岐点が良く見えます。

[写真: 北上JCT 上鬼柳橋より]
(08:05)

さっきの写真で分岐点直上に写っていた, 上鬼柳橋からの写真です。ここからは分岐点ではなくランプの様子が良く見えます。なおこの橋は, 本来の農道と農業用水路が高速道路の掘割に分断されたために設置されたもののようで, 水道橋が併設されていました。

[写真: 北上JCT 見渡橋より]
(08:12)

農道を800mほど西進し, 今度は秋田自動車道側へやってきました。最初の跨道橋である見渡橋より北上JCTを眺めます。ここは秋田へ続く道の最初の区間……

[写真: 秋田道 見渡橋より]
(08:13)

同じく見渡橋より反対側, 即ち秋田方向を写した図です。いきなり40‰登り勾配となっていますが, それより重要なのは, 1km先から早くも対面通行という予告が出ている事(^^;;; 流石は低規格路線。

[写真: ローソン北上和賀岩崎店]
(08:22)

県道というまともな道(^^;;; に戻って来たところで, 休憩します。今日は体調良いけど, 気温も昨日より高いような? ローソン北上和賀岩崎店で, 栄養ドリンクと『安比高原のアイスクリーム130』。これも御当地アイスでしょうかね(安比高原は県北だけどね)。

ここまでの走行記録……走行時間1.23.54, 走行距離25.89km, 平均速度18.5km/h, 最高速度37.5km/h(見渡神社), 総走行距離9,198.6km。08:40, 出発。

[写真: 手をあげよー!]
(08:42)

変な物発見! 何, この, おばさん臭いガン垂れ小学生? ……調べたら, やっぱりヨッキれんさんも変なもの発見! で紹介されてました。それもNo.44, 76, 80, 86の4回に亘って。

[写真: 和賀町煤孫]
(08:54)

夏油川(げとうがわ)を渡り, 岩崎城運動公園の脇を過ぎて少し行くと, 『和賀町煤孫』(すすまご)という大字になります。……何でここに来たかは訊かないで戴きたいですが, ここが「西へ。」寄り道の目的地(広義)です。

[写真: 煤孫寺・下煤孫館跡解説]
(08:56)

ここはかなり古くからある集落で, 煤孫寺があります。寺の後ろに聳える台地が中世城閣・下煤孫城址らしいです。

[写真: 古館神社参道]
(08:56)

これが下煤孫城址こと古館神社の参道です。……流石に行けない(^^;;;

[写真: 煤孫農村交流プラザ 1]
(09:01)

北上市立煤孫小学校というところもあります……が, ここは2008年に北上市立いわさき小学校へ統合され, 廃校となっています。跡地は『煤孫農村交流プラザ』として使われているようです。

[写真: 煤孫農村交流プラザ 交通看板]
(09:02)

……なんかこっち, 裏口だったみたいです(^^;;; 地図で見る限り, こっちの方が主要道っぽいんだけどなあ。

[写真: 白百合]
(09:02)

その裏口の脇に, 少し花が植えられていました。綺麗に開いていた白百合を選んで撮影します。最近は百合と聞くと白百合が思い浮かぶようになりましたが, 子供の頃の私は車百合のような橙色の花が身近でした。漫画の影響は恐ろしい(そっちかよ!)。

[写真: 煤孫農村交流プラザ 2]
(09:04)

こちらが表口。建物は校舎か体育館を流用しているんでしょうかね。

[写真: 上煤孫城址]
(09:09)

熊沢を挟んで2つの丘陵があります。その両方が上煤孫城址らしいのですが, 今は遠望するだけに留めておきます。

[写真: 煤孫ケアセンター]
(09:11)

老人ホーム『煤孫ケアセンター』がある角を曲がって, 西行きは終了。一旦北へ向かいます。

[写真: 煤孫ケアセンター看板・バス停]
(09:11)
[写真: 煤孫橋 1]
(09:15)

煤孫探訪のラストを飾るのは, 和賀川に架かる煤孫橋です。……そこの車, 邪魔! 見計らったように私がカメラを準備している最中にやって来て, 真っ正面に停めてからに……

ここまでの走行記録……走行時間1.51.11, 走行距離32.85km, 平均速度17.7km/h, 最高速度37.5km/h(変わらず), 総走行距離9,205.5km。

[写真: 煤孫橋 2]
(09:18)
[写真: 煤孫橋親柱1 竣工年月日]
(09:16)

親柱確保っ。昭和40年……交通量が急激に増えた頃の架橋ですよね。北にある駅との連絡のためであろうことは容易に想像できますが, さてどんな歴史を持っているのかな。余裕があれば調べたいところです。

[写真: 煤孫橋親柱2 銘板]
(09:17)
[写真: 煤孫橋 3]
(09:19)

それでは橋を渡りましょう。対岸は和賀町竪川目です(判る人にはこの地名で私がどこを目指しているのかが判る)。

[写真: 和賀川上流方向 1]
(09:19)

和賀川上流方向。この先には湯田ダムがあり, 錦秋湖が形作られています。

[写真: 和賀川下流方向]
(09:20)

和賀川下流方向。11kmほど先の北上市中心市街地で北上川に合流します。これ, 湯田ダムが無かったらどの程度の水量になっているんでしょうね。最近そういうのが気になる水野でした。だって多摩川を見ていると……ねえ。

[写真: 和賀川上流方向 2]
(09:21)

すぐそこに見えるのが湯田ダムです(大嘘)。 → 10倍ズーム

[写真: 煤孫橋親柱3 銘板]
(09:22)

対岸の親柱も確保して, 煤孫探訪を終了します。ちなみに『不法投棄禁止』の看板は, 倒れていたのを私が直しました。

[写真: 煤孫橋親柱4 竣工年月日]
(09:23)
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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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