4日目その6 [森合峠〜中田]

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走行日: 2009年8月4日(火)

[地図: 金山〜中田]

新庄から, 上台峠を越えて金山。金山の主峰たる薬師山は, 自動車で通っていた時にもとても目立つ三角山で, ずっと気になっていました。今回, 登山こそしませんが, 国道よりも山深く潜る街道を走りますので, 山にかなり近付きます。どのような景色が見られるかな?

執筆上の参考資料:

写真コメント
[写真: 森合峠遠景]
(14:21)

金山の町から街道沿いに離れると, 正面に判りやすいくらいの鞍部が見えます。左の山は『薬師山』, 右の山は『中の森』。その中央を抜けるのが森合峠です。

[写真: 仙台藩士戊辰戦没之碑 1]
(14:23)

道の途中に『仙台藩士戊辰戦没之碑』がありました。戊辰戦争で, 久保田藩領から進軍する新政府軍に対し奥羽越列藩同盟筆頭の仙台藩軍が金山に陣を張り迎え討とうとしたところ, 態度を曖昧にしていた新庄藩が突如新政府軍に寝返り, 戦線崩壊した仙台藩軍は敗走。この地で33名の藩士が戦死したという事です(その3日後, 庄内藩による報復を受け新庄城が落城)。明治25年に旧仙台藩士によって立てられたのがこの碑です。

[写真: 仙台藩士戊辰戦没之碑 2]
(14:23)
[写真: 仙台藩士戊辰戦没之碑 3]
(14:24)
[写真: 旧羽州街道跡道標]
(14:25)

碑のすぐ脇に, 『旧羽州街道跡』『森合峠』の道標がありました。こういうのがあると安心して通れます。

[写真: 羽場分岐]
(14:26)

この道, 地図だと中の森の裾に達して左右に分岐する事になっています。右は林道へ続き, 左が森合峠へ向かいます。……で, ここ, 左右分岐ではなく直進と右折にしか見えません。しかも直進方向, 明らかに道が無い……

[写真: 羽場廃道]
(14:28)

うーん, 道の形はしているけど, どう考えてもここは使われていませんね。この左にある集合住宅のための作業用地だったのか, あるいは昔は道だったのか。道だったとしても完全に廃道です。重量的にも日程的にも身軽であれば, 突入して正体を探っても面白いところでしたが, 今はとてもそんな事できない……って, 羽州街道はどこー!?

『この左にある集合住宅』の通路へと左折してみましたが, 単なる敷地内でしかありません。うう, 地図との整合性が……。困ったな, 左が駄目なら右へ行け, ということで, さっきの交差点へ……

[写真: 新羽州街道跡道標]
(14:30)

ぐはあ, 交差点を右折してすぐのところに『新羽州街道跡』の道標が(^^;;; つまり, こちらは薬師山と中の森の裾野を捲く明治新道, さっきの廃道は藩政期の道(かそれを改良した地元の道)であり森合峠に直登する道, なんですね!?

良く地図を見てみると, 『中の森の裾野』に達するまで, 分岐は描かれていないけど道が右カーブしているんです。それは交差点右折に線形が一致します。うーん地図読みの技術がまだまだ足りなかった……。ちなみにここ, 1:50,000地形図ではなく1:25,000地形図だと, 正面の道こそ無いけれど, 左折する小路は描かれていたりします。

[写真: 真の分岐]
(14:33)

ここが, 1:50,000地形図にも載っている, 本当の分岐点です。右は田屋集落を経て林道に接続する道, 左は森合峠への道。勿論左折します。今正面にある斜面が中の森であり, まずはその裾野を巡るように登って行きます。

[写真: 中の森]
(14:38)

森合峠直下の谷を巻き込んで, 中の森から薬師山へと移ります。そうすると, 中の森を眺められるようになるんですね(中の森から薬師山は, 逆光のため良く見えなかった)。

[写真: 金山市街鳥瞰]
(14:38)

同じ場所から, 金山の市街地を眺めた図。金山ってどちらの峠からも展望できる, 良い景勝地ですね。私も気に入りました。

[写真: 森合峠]
(14:41)

和田峠を思い出させるようなぐねぐねの道を突き進みます。勾配は和田峠ほど酷くはありません。勿論, 小坂峠や花立峠より緩いのですよ。楽ではありませんけど。距離は短く, ほどなくして森合峠に到達しました。左右の山が高いため, 薄暗い峠です。

[写真: 佐竹義和公歌碑 1]
(14:41)

峠に立っている石碑は何か, と思ったら, 何と佐竹義和公の歌碑ではありませんか。

[写真: 佐竹義和公歌碑 2]
(14:41)
[写真: 森合峠解説]
(14:44)

峠を少し下ったところに, 解説板がありました。ま, 解っていた事ですが, 三島道なのですね(^^) この解説, 現国道の開通年度や林道としての再整備年度も書かれているので, 個人的に資料価値が高いです。

[写真: 田山花袋『日本一周』抄 金山の一夜]
(14:45)

田山花袋の紀行文『日本一周』より, 『金山の一夜』の碑があります。……明治時代の小説家らしいのですが, 寡聞にして知らなかったので感慨も何も……。

[写真: 現道堀割上]
(14:46)

道の脇に凄いガチガチの擁壁が出現しました。……現在地より低いところに。はい, 路面こそ見えませんが, 現R13が足元にある訳ですね。

[写真: 現道合流点手前]
(14:46)

最後に猛烈な下り坂を降りて, 現道に合流します。

[写真: 日当の松並木 解説]
(14:48)

森合峠と中田宿の中間付近にあるのが日当集落で, この付近には松並木が残っています。……と言いつつ, 並木そのものの写真を撮ってないorz 奥に見える水地は, 溜め池みたいです。

[写真: 400m先主寝坂道路]
(14:52)

主寝坂道路の金山ICにやって来ました。これは将来の東北中央自動車道となるべく整備された自動車専用道路です。現在は無料開放されていますので, 中田・外沢集落などに行かない通過交通は, ほとんどが新道に吸い込まれています。おっかげさーまで, 旧道(まだ国道指定を外されていない)は自転車天国なのさっ!

[写真: 金山IC]
(14:54)
[写真: 金山ICより旧道方面]
(14:54)
[写真: 距離標識 湯沢38km]
(14:56)

金山ICを入った直後のところに距離標識がありましたが, 旧道にもありました。秋田132km, 横手57km, 湯沢38km。……新道ではそれぞれ129km, 55km, 35kmでしたね。3kmくらいショートカットされているって事ですな。ところで, 距離標識の奥に見える『下り6%勾配』『つづら折れ』の標識が気になるのですが ← 判ってる癖にー。

[写真: 中田前坂]
(14:58)

はっはっは, これだよこれ, 中田のヘアピンカーブ! 9年前にアルバイトで湯沢から楯岡へ通った際に通って以来, この景色が大好きなんですよ。これを見にここへ来たと行っても過言ではありません。

藩政期の道(前坂)はこのすぐ先で左側の崖下へショートカットしていたらしいですが, 多分階段だと思うので私は通れません。道なりに駆け降ります。

[写真: 地蔵堂]
(14:59)

ぐるっと回って, 下中田。羽州街道の間の宿・中田宿です。この砂利道が前述した藩政期の道だと思います。坂の下に地蔵堂があるのです。

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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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