走行日: 2009年8月4日(火)
結局まともな食事をせずに道の駅尾花沢を出発してしまいました。この先には, 花立峠以来となる難所・猿羽根峠(さばねとうげ)が控えています。今までの3峠と違うのは, 昭和36年まで現役の国道だった事。文字通りの『旧国道』なんです。さて, どのような道になっているでしょうか。
写真 | コメント |
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(10:08) |
1:50,000地形図によれば, 猿羽根峠へ向かう旧道の入口は猿羽根大橋交差点より僅かに手前にあるように描かれているんですよ。で, 向こうに見える青看が猿羽根大橋交差点なのは間違いありませんから, じゃあここなのかなっと思い右折。 |
(10:10) |
民家の前なんだか敷地なんだか良く判らない場所に来て, 速攻で未舗装になりました。まあ, 国道で無くなってから随分経ちますから, 現役の道として整備されてなどいないでしょうしね。 |
(10:11) |
……ってちょっと待て, 尾花沢新庄道路の高架(暗渠)下から先は草ぼうぼうですか!? 猿羽根峠って一応観光地化されている筈なのに!? |
(10:14) |
暗渠を潜って右折したら, 日当たりが良いから更に草丈が高くなりました。……違う, これは絶対違う! なんぼなんでも, こんな『人の通った形跡が無い』道の筈は無い! 引き返したところ, 先程の民家の住人らしきお爺さんがいらっしゃったので, 尋ねたところ……やはりこの道は猿羽根峠旧道ではないということでした。国道をもう1つ先へ行ったところを右折し, 更に右へ行って尾花沢新庄道路をS字に曲がった先だとか。……1つ先と言うと, 猿羽根大橋の交差点ですよね……何で地形図には食い違いがあるように描かれているんですか!? まあその『食い違い』の距離を見誤ったのは私ですが。 |
(10:18) |
改めまして, 猿羽根大橋交差点(毒沢口交差点かも)。左折すると大橋で最上川を渡って毒沢字毒沢, 正面の国道はは尾花沢新庄道路の川原子ICを経て猿羽根隧道, そして右折が猿羽根峠方面の旧国道=羽州街道になります。 |
(10:20) |
再び, 尾花沢新庄道路の暗渠を潜ります。さっきとの違いは道が舗装されている事と, 明らかに2車線幅があることです。そう, ここは昭和36年まで現役の国道13号だったんですからね。 |
(10:21) |
……と思ったら, 潜って左折した途端に急坂・未舗装路(^^;;; 急坂は尾花沢新庄道路を潜るために一旦低地へ降りたからでしょうね。そして舗装は, むしろ残ってた方がおかしい(^^;;; 多分, 工事関係。 |
(10:23) |
砂利道を上りながら, 早速見下ろす事になった尾花沢新庄道路を, 振り返り撮影。この道は後の東北中央自動車道で, しかも秋田県内ではなく山形県内ですから, 4車線が確保されています。この先(写真手前方向)は舟形トンネルで猿羽根峠をバイパスしますが, 猿羽根隧道とは異なり高低差のほぼ無い道なんだとか。 |
(10:24) |
尾花沢新庄道路に背を向ける頃, 遂に幅員も減少します。未舗装ですが, 一部にかつての舗装の痕跡が残っていますね。 |
(10:35) |
未舗装ながら勾配は緩く, 自転車を降りる事無く上り詰める事ができました。猿羽根峠に到着です。ここ, 普段はチェーンが張られて車両交通を阻止している筈なのですが(そう聞いていたので自転車持ち上げる覚悟してた), この時は封鎖されておらず素通りできました。 |
(10:38) |
明治新道の峠からより高い位置に, 猿羽根山地蔵尊があります。一息ついてから行ってみました。 |
(10:41) |
地蔵尊堂です。建造物の改築が行われていました。……良く見ると自動車が来てますね。実はここ, 名木沢側からは階段になっていますが, 舟形側に分岐があってここまで上がって来る車道があるんです。 |
(10:45) |
更に少し登ったところに, 新庄藩と天領尾花沢との境を示す標石があります。つまりここが, 明治新道より前, 江戸時代の羽州街道であり, そしてその頃の猿羽根峠である訳です。 |
(10:50) |
真・猿羽根峠の付近から, 麓の風景を眺める事ができます。今回5日間の行程で一番素晴らしい景色ではないかと思います。中央左下に少し見えている水地が最上川(これが唯一の目撃地点!)で, 左側には猿羽根大橋も見えていますね。右側視界外へと流れてすぐに大きく蛇行し, ゴミ処理場か何かでしょうか, 施設の裏側を左に流れて, また折れて右上へと流れ去ります。 → 蛇足とは思いながら, 注釈付き写真。 |
(10:41) |
松尾芭蕉や齋藤茂吉の碑など色々あります。 |
(10:53) | |
(10:53) | |
(10:54) | |
(10:55) |
茶屋の脇に猿羽根一里塚があります。明治新道だけ通っているとこれに気付かないんですね。 |
(11:06) |
舟形側の道は普通に舗装されていました(狭くはあったけど)。猿羽根隧道のすぐ先で現道に合流します。 |
(11:08) |
羽州街道第17の宿場・舟形宿に到着しました。猿羽根峠と小国川という2つの難所に挟まれているため, 宿駅としての重要性は極めて高かったようです。 |
(11:09) |
本陣伊藤家の跡地に『本陣商店』があります。弘前藩主津軽氏の定宿だったそうです。 |