![[写真: 峠田宿入口]](/photo/200908/03/8630_256x192.png) (13:35) |
羽州街道第7の宿場・峠田宿です。ここは昔も今も規模の小さい集落らしく, 地形図でも前後に家屋が点在しているものの集落そのものは狭い範囲に描かれています。
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![[写真: 峠田宿]](/photo/200908/03/8631_256x192.png) (13:36) |
![[写真: 柳沢付近?]](/photo/200908/03/8632_256x192.png) (13:39) |
白石川対岸の山が低くなってきました。が, これは距離の関係で奥の山が見えないだけなんですよね……だって, まだ金山峠は視界に入っていないんですよ? 金山峠の標高は623mで, 今見えている対岸の山(尾根部524.8m)より100mも高いんですよ? それでも奥羽山脈の峠としては低い方なんですよ?
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![[写真: ラストがそ☆すた看板]](/photo/200908/03/8633_256x192.png) (13:44) |
2km先が宮城県のラスト・がそ☆すたであるという看板がありました。間違いなく, 湯原宿のことですね。
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![[写真: 湯原宿入口]](/photo/200908/03/8634_256x192.png) (13:46) |
がそ☆すた看板からほどなくして湯原宿入口の看板が現れますが, 集落の本筋はもう少し先になります。この付近は旧道化していないんです。
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![[写真: 湯原付近の白石川]](/photo/200908/03/8635_256x192.png) (13:49) |
白石川も随分と細くなったもので。
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![[写真: 湯原旧道入口]](/photo/200908/03/8636_256x192.png) (13:51) |
やがて現れた旧道に入ると, 羽州街道第8の宿場・湯原宿に達します。ここは七ヶ宿の中では関に次ぐ大きな集落で, がそ☆すたもそうですが, 郵便局や学校もあります。白石市内の下戸沢宿にだって学校はありませんからね。
本陣跡は現代的な民家になっていました。でも屋の大きさ, 特に1階部分の高さが, 普通の民家とは違うと感じさせます。
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![[写真: 本陣]](/photo/200908/03/8637_256x192.png) (13:53) |
![[写真: 湯原宿]](/photo/200908/03/8638_256x192.png) (13:53) |
![[写真: 油屋]](/photo/200908/03/8639_256x192.png) (13:54) |
「津軽藩宿」だという油屋がありましたが, 藩主は当然本陣に投宿したでしょうから, 随行者の宿だったんでしょうね。
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![[写真: 二井宿街道追分標識]](/photo/200908/03/8640_256x192.png) (13:58) |
いよいよ国道113号を走るのも最後。二井宿街道と羽州街道の追分が見えてきました。この先, R133は二井宿街道をなぞって山形県東置賜郡高畠町を目指します。羽州街道は宮城県道・山形県道13号上山七ヶ宿線が引き継ぐことになります。
ちなみに二井宿峠(550m)は, 写真正面右の鞍部ではなく, 左側フレーム外です。
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![[写真: 追分の碑]](/photo/200908/03/8641_256x192.png) (14:00) |
現在は三角交差点なのですが, 追分は湯原側から見てのものなので, 二井宿側の分岐は近年のものということになります。でもこの『追分の碑』を探して, 交差点を一周してしまいました。そしたら実は三角形より干蒲側にあったというオチ。む, 無駄な努力をしてしまった……。
ところで, 解説看板に『追文』と書かれているのですが, まさか七ヶ宿町教育委員会の担当者, 『追分』(おいわけ)が読めなかった!?(^^;;; 『玉水原』と書かれているのも, どうやら『玉ノ木原』の間違いみたいですし。
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![[写真: 追分の碑 解説看板]](/photo/200908/03/8642_256x192.png) (14:00) |
![[写真: 干蒲方面]](/photo/200908/03/8643_256x192.png) (14:02) |
追分から干蒲・金山峠方面。関からここまではほぼ平坦な道でしたが, ここから緩やかな登り坂となります。地図読みでは干蒲まで標高差70m, そこから金山峠まで50m。干蒲まではほぼ一直線に登って行くので, 坂厳しくないかなあ……
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![[写真: 干蒲宿入口]](/photo/200908/03/8644_256x192.png) (14:13) |
……あっさり到着してしまいました。間の宿・干蒲宿(ひかば -)。しかもフロントディレーラ, インナーに入れる事ありませんでしたよ ← ラクチン。改めて地図を読んでみると, 水平距離は約3.5km。なので平均勾配は……20‰(^^;;; そりゃ平気で当然ですな。
ここから金山峠(正面の尾根に左から回り込んだ裏側)までの水平距離は約2kmなので, 25‰になります。ただ, やはり急勾配は後半に集中しているんですよ。分割して計算すると, 前半は20‰, 後半は35‰となります。
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![[写真: 干蒲宿]](/photo/200908/03/8645_256x192.png) (14:14) |
![[写真: 林道分岐]](/photo/200908/03/8646_256x192.png) (14:18) |
『前半』の中間地点付近で, 左に林道が分岐します。こちらが旧羽州街道で, 林道のさらに途中から分岐し登山道になるようです。未舗装というだけならともかく登山道を積載自転車で登るのは困難ですので, 私は県道を行かせて戴きます。
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![[写真: 金山峠湯原側ゲート]](/photo/200908/03/8647_256x192.png) (14:20) |
上の写真にも写っていますが, 林道が分岐した直後にゲートがあります。冬季閉鎖区間の始まりでしょう。
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![[写真: PR13ジャンプ]](/photo/200908/03/8648_256x192.png) (14:23) |
ちょ, 何この飛び跳ね!? 一気に勾配が激しくなってますよ。この先, 流石にインナー無しでは走れませんでした。幅員減少標識が出ている通り, ここから車線も減少します。
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![[写真: 鏡清水入口]](/photo/200908/03/8649_256x192.png) (14:27) |
距離は大した事がないため, さくっと鏡清水に到着しました。このカーブを右折したところが金山峠です。標高が高いと言っても, 『後半』は厳しいと言っても, 小坂峠と比べると遥かに楽な道でした。
しかし『白石川跨ぎ橋』って, 確かに最早跨げる程度の川幅だけどさー。
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![[写真: 白石川跨ぎ橋]](/photo/200908/03/8650_256x192.png) (14:29) |
![[写真: 旧街道合流]](/photo/200908/03/8651_256x192.png) (14:30) |
干蒲で分かれた旧街道も, ここで合流してきます。道形が見えなくなるほどではありませんでしたが草生してましたので, やはり自転車で通るのは難しかったかと思います。
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![[写真: 鏡清水 1]](/photo/200908/03/8652_256x192.png) (14:30) |
鏡清水というのは白石川の水源です。つまり七ヶ宿湖の水源です(^^;;; あの巨大な湖が, こんな小さな湧き水に始まるんですね……感動。清浄にして冷涼な水で, 暫し休ませて戴きました。
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![[写真: 鏡清水 2]](/photo/200908/03/8653_256x192.png) (14:30) |
![[写真: 鏡清水解説看板]](/photo/200908/03/8654_256x192.png) (14:47) |
今度は誤字誤植無いでしょうね?(^^;;;
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![[写真: 金山峠]](/photo/200908/03/8655_256x192.png) (14:49) |
薄暗い林の中の切り通しが金山峠です。いよいよ山形県上山市, 出羽国に入ります。
ここまでの走行記録……走行時間: 3.41.52, 走行距離: 54.47km, 平均速度: 14.7km/h, 最高速度: 47.4km/h(変わらず), 総走行距離: 5,969.1km。
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