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いよいよ出羽国, 山形県。昨日の朝からずっと付き合ってきた阿武隈川水系も, ここからは最上川水系に切り替わっています。峠を降り始めてすぐ, 旧街道分岐の案内があります。……こ, これ, 降りられるの!? 私は最初から県道を行くつもりですから関係無いんですけど……。
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小坂峠越えでは宮城県側より福島県側がより道が険しかったのと同様, 金山峠越えも山形県側に屈曲・狭小・急勾配が集中しています。その中でもこの写真の辺りが, 特に狭かった場所です。離合集散絶対無理。でも, この道を改良するとしたら, 拡幅じゃなくて隧道掘削になるでしょうね……。
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冬季閉鎖区間はここまで, ということで, 干蒲宿側と同様のゲートがここにもありました。同時にここは, 旧街道との合流点でもあります。2枚目の写真は振り返り撮影で, 左が今降りて来た金山峠への県道, 右が間の宿・金山宿へ向かう旧羽州街道です。金山宿から金山峠までの区間が車道化されていないのです。『通り抜けできません』という看板もその意味でしょう。
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新旧分岐が現れました。右の現道は, 金山川と柏木川の合流点にある赤山集落を迂回するバイパスです。当然, 旧道を行きますよ。距離も大した事ありませんし。
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地図に無い分岐ですが, 青看があるので困惑はしません。楢下宿を迂回する楢下バイパスが開通したのですね。既に国指定史跡として観光地が成立しているのですから, 通過交通が減れば史跡保存により注力できることでしょう。
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楢下一里塚。ここは残念ながら往時のままではなく, 近年になって再現したものらしいです。植えられていた樹は槐(えんじゅ)……珍しいんじゃ? そして傍らには薔薇水晶が(違)
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脇本陣滝沢屋(丹野家)。現在は旧県道沿いの新町(明治期の成立)に移築されていますが, 本来はこの先の下町にあったそうです。
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楢下郵便局の付近が楢下関所跡。上山藩と仙台藩の藩境ですので軍事的にも拠点だったのです。ここをもって宿場到達としましょう……羽州街道第9の宿場, 楢下宿です。
ここから旧県道は上町へ直通しますが, 街道は下町を経由するためコの字を描いて走ります。
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楢下宿の中心である下町は, 金山川を渡った対岸にあります。渡る橋(振り返り撮影)は……なんと三島通庸の橋! 明治初期からそのまま残る石造りの上路アーチ橋だ!
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下町に残る脇本陣・庄内屋(粟野家)。現代まで, 良くぞ生き残った……と感慨に浸りたいところなのですが, 夕刻も近付いて陽射しがとにかく厳しく, 暑さと疲労であまり深く考える余裕が無くなってしまってた水野なのでした。
なお, 本陣塩屋斎藤家は現存しないようです。
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下町の端には, やはり移築ですが, 旅籠の大黒屋(粟野家)があります。
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下町(右岸)へ渡る橋があれば, 戻る橋もある……という事に思い到らなかった馬鹿な水野。こちらの覗橋も, 三島通庸の橋だって事じゃないですか! 振り返り撮影はしたけど, 横からは撮れませんでした……
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楢下宿を離れて大分行ったところに, 「こんにゃく番所」を名乗る丹野こんにゃくがありました。どうやら滝沢屋丹野家そのもの, あるいは分家かもしれませんが丹野家の末裔である事は確かなようです。創業は昭和初期となってますが。
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上山市街地に迫る関根で, 国道13号上山バイパスを潜ります。福島市で600mだけ通った国道13号(^^;;; との再会です。本格的に合流するのはまだ遥か先ですけどね。
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三本松追分に来ました。写真は振り返り撮影です。左が今来た楢下方面の羽州街道, 右は藤吾・赤坂の集落を経て国道13号に合流する米沢街道です。上山より南の国道13号は, 羽州街道ではなく米沢街道を継承しているのです(萬世大路開通以来, 『羽州街道』の名は米沢街道だった道に移されてしまいましたが)。
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