3日目その4 [渡瀬〜滑津]

CCSF > 水野夢絵個人ページ > 旅行記 > 羽州街道を逝く > 3日目その4 [渡瀬〜滑津]

走行日: 2009年8月3日(月)

[地図: 七ヶ宿ダム〜滑津]

今日はとても暑かったので, 「今日は暑いねえ」と言って姉の(← まだ著作権消滅していない筈なのでオチ省略)。

羽州街道の宮城県内区間(小坂峠から金山峠まで)は, 別名を『山中通小坂越』あるいは『山中七ヶ宿街道』と言い, 道中に7つの宿場がありました。昔, 昔の話です……

写真コメント
[写真: 七ヶ宿ダム正面]
(11:18)

トンネルを抜けたところで, ちょっとダムを見に行ってみました。これが七ヶ宿ダムの正面です。ほぼ満水のようですね。右岸道路のトンネルも見えます(1車線道らしい)。

[写真: 七ヶ宿ダム諸元]
(11:19)

常時満水位293.5m。多目的ダムと治水ダムの違いを差し引いても旭川ダムとは比較になりませんな。

[写真: 七ヶ宿湖噴水]
(11:20)

ダム湖は七ヶ宿湖と名付けられています。噴水は, 観光シーズンに毎時1回噴き上げるとか何とか。

[写真: 渡瀬宿不可入口]
(11:21)

羽州街道第4の宿場, 渡瀬宿。七ヶ宿町としては1つ目の宿場です。……が, ここは正に七ヶ宿ダムの直上であり, 廃村となって湖底に消えました。立派な看板に刻まれた『渡瀬宿(湖底)』の文字が痛々しい……

名前から察するに, 本来はここで白石川を渡渉していたんでしょうね。

[写真: わたらせの記]
(11:21)

湖を見下ろす地に『わたらせの記』という石碑がありましたが, これがありがちなかつての町・賑わいを紹介するものではなく, ただひたすらに水没した土地や施設・住宅と歴史を書き並べているんです。住民の無念さが伝わって来るようです……

[写真: 道の駅七ヶ宿]
(12:11)

11:27, 道の駅七ヶ宿に到着しました。昨日, ペースが早ければ, 福島県を抜けてここで野宿しようかとか考えていたんですけど, 施設が少ないから難しかったでしょうね。ここで昼食にします。

ここまでの走行記録……走行時間: 1.55.22, 走行距離: 25.84km, 平均速度: 13.4km/h, 最高速度: 47.4km/h(小坂峠), 総走行距離: 5,940.4km。う, 昼までかかって25kmしか走っていない!? 観光しすぎだよやっぱり。小坂峠からだって2時間以上かけて僅か12km, こんな調子では今日どこまで行けるやら。

[写真: 七ヶ宿ダム自然休養公園 野外ステージ]
(12:25)

湖底に消えた羽州街道が再び地上に現れる所は, 七ヶ宿ダム自然休養公園となっていました。園内道路が旧国道です。多分。

[写真: 七ヶ宿ダム自然休養公園 運動広場]
(12:25)
[写真: 旧国道痕跡と園内道路の食い違い点]
(12:27)

園内道路は公園の端に沿って左へ曲がりますが, 旧国道はまっすぐ, 恐らくは少し手前から右よりを走っていたと思います。

[写真: 旧国道の果て 1]
(12:28)

多分, 旧国道の果てであっただろう場所。実際にはこの付近, いくらか土盛りしているでしょうから, かつての路面よりは高い位置なんでしょうが……水に潜れば旧道が見られるかもね。

[写真: 旧国道の果て 2]
(12:29)
[写真: ふるさとの碑]
(12:30)

渡瀬宿直上にあった碑とは異なる, 観光地らしい紹介看板。廃村となったのが昭和末ですから, カラー写真が残っているのですね。甚水から20年, たとえ水が抜かれたとしても, 見る影もないでしょうな……

[写真: 園内旧国道]
(12:31)

改めて辿る旧国道。左右が公園になり, 路肩も柴に包まれていますが, 園内道路らしからぬ2車線がかつての国道を主張しているかのようです。

[写真: 七ヶ宿大橋]
(12:34)

七ヶ宿湖を跨ぐ三径間ラーメン橋, 七ヶ宿大橋です。これ渡った先って地図だと林道以外に大した物が見付からないんだけど, 日帰り温泉1つでこんな大きな橋必要だったのかなあ?

[写真: 内川橋付近白石川 1]
(12:42)

横川橋手前で現R113に合流し, 内川橋で白石川を跨ぎます。……あっと言う間に, 七ヶ宿湖の面影が無くなりましたなー。この川, 七ヶ宿湖に注ぐ本流なんですよ? 七ヶ宿大橋から2kmくらいしか離れていないんだよ?

[写真: 内川橋付近白石川 2]
(12:42)
[写真: 関宿入口]
(12:43)

内川橋を渡ったところから, 羽州街道第5の宿場・関宿が始まります。ここは七ヶ宿町役場も所在する, 最大の集落です。

[写真: 関宿]
(12:44)
[写真: 脇本陣常陸屋跡]
(12:47)

脇本陣・常陸屋跡。七ヶ宿町って, こういった宿場跡の保存や案内には相当力を入れているようで, ここに限らず旧宿場町内のあちことで本陣・脇本陣やその他の看板が掲げられていました。

なお, 関宿の本陣・渡部家は, 街道から1本入ったところにあるらしいので, わざわざ寄ることはしませんでした。今思えば寄った方が良かったなあ。

[写真: 水分神社鳥居]
(12:47)

水分(みまくり)神社の鳥居がありました。地形図や『羽州街道をゆく』では白石川の対岸にあるとされているので, 鳥居だけでも街道沿いで見られて幸せなところです。

[写真: 関の地蔵 1]
(12:49)

関宿の西口に『関の地蔵』があります。次の滑津宿にある『振袖地蔵』と対になり, 向かい合うように立っていると言い伝えられています。看板によると佐竹公との縁があるとか。

[写真: 関の地蔵 2]
(12:50)
[写真: 朽ちた歩行者自転車道]
(12:55)

……どこを通れと言うのだ(^^;;; ここ, 実際道路脇に舗装路が存在しています。多分線形改良でできた旧道です。が, 最早完全に放置されてますな。もう正式に廃道にして, 標識外そうよ, 管理主体=宮城県。

[写真: ペンション白い時計台]
(13:05)

滑津の手前にあるペンション『白い時計台』。実はここも昨晩の宿泊候補地でした。それも, 最後の。ということでこれから先, 予約の可能性がある宿泊地は一切チェックしていません。ツーリングマップルに電話番号の記載があるところか, あるいは何らかの形で連絡する術があるところでなければ, すべて飛び込みになります。

[写真: 滑津宿入口]
(13:06)

羽州街道第6の宿場・滑津宿に到着。まっすぐな道の向こうに, いきなりどどーんと大きな山が立ちはだかっているのが圧巻です。左の小山は標高580m程度ですが, 右の大山はこのまま稜線を延ばして行き, 果ては1,323.0mの番城山に到ります(見えないよ!)。

[写真: 滑津宿]
(13:07)
[写真: 吉野屋]
(13:08)

滑津宿の本陣は, 天保期まで桜井家が, 以降は街道の向かいにあった安藤家が勤めたと記されています。安藤家は往時のまま現存し, 今も安藤家の個人宅としてここにあるのですが, 桜井家は……向かいの蕎麦屋『吉野屋』がそうなのかなあ? なお, コスプレ先生宅ではありません(誰が間違えるか!)。

[写真: 本陣安藤家]
(13:09)
[写真: 安藤家住宅解説看板]
(13:09)
[写真: 振袖地蔵]
(13:12)

先程見た「関の地蔵」の対だという, 滑津の「振袖地蔵」。厳密に方角を見た訳ではありませんが, 確かに街道に対して互いに逆を向いていますね。

[写真: 振袖地蔵解説看板]
(13:13)
[写真: 七ヶ宿街道解説板]
(13:14)

あれ? 地図に無い新旧分岐が。白石川支流の河口部分に, 現道は直接橋を架けているのに対し, 旧道は渓谷を回り込むようにして低い位置で渡っているようです。川の名前も地図にないのですが, 地名から察するに『小松川』かと思われます。

この旧道は急勾配かつ荒れ気味ですので, 自転車での走行は避けさせて戴きます。多分, すぐに合流してくる筈ですし。

[写真: 小松川わらじ街道入口]
(13:16)
[写真: 小松川わらじ街道出口]
(13:17)

予想通り, ほんのちょっと先で旧道が合流してきました。こちらには『わらじ街道』という愛称も書かれていますね。

[写真: 幻の市七ヶ宿]
(13:18)

「幻の市七ヶ宿」なる施設がありました。物産館や食堂……って, これはやろうとすれば道の駅を名乗れるんじゃない? ここは観光地『滑津大滝』の入口でもあります。

[写真: 境沢旧道入口]
(13:20)

字境沢の手前で, 旧道が分岐します。

[写真: 親子松]
(13:21)

旧道に入ってすぐ, 親子松道祖神があります。親子のように並び立つ大小の松, だったそうなのですが, 一株が伐栽されていました。折れるか何かしたんでしょうね……。伐られる前の姿は宮城県町並み・歴史建築見所ナビ 七ヶ宿町・観光 親子松が見易いです。

[写真: 道祖神]
(13:22)
3日目その3 [萬蔵稲荷〜小原] | 3日目その4 [渡瀬〜滑津] | 3日目その5 [峠田〜金山峠]

水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735