3日目その3 [萬蔵稲荷〜小原]

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走行日: 2009年8月3日(月)

[地図: 小坂峠〜小原]

明治14年に開通した萬世大路によって羽州街道は付け替えられ, 今日で言う福島県福島市と山形県米沢市を結ぶ道になりました。それが現在の国道13号へと継承されています。けれどそれ以前の羽州街道は, 宮城県をちょっとだけ通ります。小坂峠を越えた先は宮城県白石市, そして宮城県刈田郡七ヶ宿町。宮城県, 自転車で初訪問です。

写真コメント
[写真: 神社]
(09:30)

小坂峠直下の『左側』に神社があったんですが, 名称不明です。峠の不動堂(手放せない参考資料『羽州街道をゆく』では『飛不動堂』となっているけど, それは下戸沢にあるものの筈)は萬蔵楽荘裏手という事だから違うよね。

[写真: 萬蔵稲荷碑]
(09:32)

更に少し降ると, 萬蔵稲荷神社の碑と, 鳥居が現れます。朽ちてはいますが鳥居の付近も道型ですから, かつての参道入口はここだったんでしょう。

[写真: 萬蔵稲荷鳥居]
(09:33)
[写真: 萬蔵稲荷鳥居群]
(09:33)

現在の参道入口は, 参道と現道が離れて駐車スペースを作れるようになったところで横から入るようになっています。連鳥居が延々と続いています。

[写真: 萬蔵稲荷鳥居裏]
(09:35)

現在の入口から旧参道を振り返るとこんな感じ。藪になってはいませんから, 放置されている訳ではなさそうです。

[写真: 萬蔵稲荷参道入口]
(09:35)

それでは, 本殿へ向かってみましょう。

[写真: 萬蔵稲荷参道 1] [写真: 萬蔵稲荷参道 2] (09:37〜09:39)

これがまた, 結構な距離あるんです。足元がやや湿っていますし, 結合靴で歩くのはちょっと辛いものがありました。

[写真: 萬蔵稲荷神社]
(09:40)

拝殿到着。休憩所があって色々売ってたりもしました。

[写真: 萬蔵稲荷神社 本殿?]
(09:31)

脇の階段を上がったところに本殿? があります。

[写真: 萬蔵稲荷神社 社? 1]
(09:32)

そこから更に上がったところに次の社があります。

[写真: 萬蔵稲荷神社 社? 2]
(09:32)

続いて階段を上がったところにまた社があります……っていつまで続くんだ。

[写真: 萬蔵稲荷神社 御神体?]
(09:33)

なおも階段を上がったところに, 御神体なのか, 岩が祭られていました。ここでやっと終わりの模様。……萬蔵稲荷の本来の御神体は, 萬蔵の即身仏だったと思うのですが, 大正期に紛失したのだとか!?

[写真: 萬蔵稲荷神社 拝殿]
(09:46)

再び降り, 最初の拝殿へ。正面から撮っていなかったので再撮影します。この後, お茶を戴きました。

[写真: 上戸沢宿入口]
(10:04)

県道に戻って暫く降ると, 上戸沢宿入口の案内が建っていました。県道は宿場をバイパスしていますが, ここは当然旧道へ行きます。

[写真: 上戸沢番所跡] [写真: 上戸沢検断屋敷跡] (10:05)

集落に入ると, まず番所跡・検断屋敷跡があります。上戸沢宿は現在でこそ都市化から取り残された山間集落ですが(それ故に往時の町並みが保存されている), 藩世期には仙台藩領の最南端であったため, 軍事・物流の拠点となっていました。

[写真: 上戸沢宿]
(10:06)

ゆるやかな傾斜地に住宅が立ち並ぶ, 羽州街道第2の宿場・上戸沢宿を走り抜けます。

[写真: 上戸沢宿案内看板]
(10:07)

上戸沢宿案内……と言って良いのかどうか(^^;;;

[写真: 下戸沢宿]
(10:15)

上戸沢を抜けて県道に合流し, 更に降ると, 羽州街道第3の宿場・下戸沢宿に入ります。ここはこの先で国道(旧国道)と接しているため, 近代都市化はしていませんけど集落としての規模はやや大きくなっています。

ところで, 写真が明るくなっていますよね? 萬蔵稲荷に居る頃から晴れて来たんです。良かった良かった……良くないよ! 一気に暑くなってきたよ! アームカバーとサングラスを再装着!

[写真: 七ヶ宿バイパス連絡道分岐]
(10:26)

下戸沢宿の外れで国道113号旧道に入ります。これは一応, 羽州街道そのものなんですが, この先に七ヶ宿ダム建設により水没した区間があるため, 国道は高いところへ迂回しているんです。写真上にも写っていますよね。……そこまで一気に登らないといけないって事ですね!?

ま, まあ, まずは, 旧街道を辿るため左折します。

[写真: 木村家屋敷]
(10:32)

七ヶ宿ダム直下にある材木岩公園に来ました。遠足か何かで, 小学生の集団が遊んでました……もう暑くて仕方がないくらいになった天気の下, 元気だこと。

まず目に入るのは, 木村家屋敷。上戸沢宿の検断屋敷を居築したものです。

[写真: 小原の材木岩 1]
(10:32)

そして, 白石川の対岸に聳え立つ『小原の材木岩』。柱状摂理によって形成された巨大な断崖です。両岸にあるようなのですが, 此岸の壁面は近過ぎて目立ちません。

[写真: 小原の材木岩 2]
(10:34)

享保16年(1731年), 地震で材木岩が崩れ羽州街道が通行不能となり, 参勤交代を含む通行者は名取と山形を結ぶ笹谷峠に迂回したという記録がありますが……現在進行形で崩れているようですね。草が茂っていますから, ここ数年は安定していそうですが。しかし水綺麗だなー。

[写真: 小原の材木岩 3]
(10:34)
[写真: 小原の材木岩 4]
(10:36)

川幅が狭まると対岸が近付き, ますます圧迫感を受けるようになってきます。

[写真: 小原の材木岩 5]
(10:37)
[写真: ヨコグラノキ北限地帯]
(10:37)

ヨコグラノキ北限地帯だそうです。『横倉の木』の名の由来は, 高知県の横倉山で発見されたからだそうですが, しかし全然知らないので反応のしようが無いですな。

[写真: 右岸材木岩崩落地点]
(10:38)

対岸の材木岩は最近安定していそう, と書きましたが, 此岸が安定していなかったようです(^^;;; この先は作業用道路だと思うんですけど, 完全に塞がってしまっていました。……って, 右に見えるのは!?

[写真: 七ヶ宿ダム背面]
(10:39)

これぞ正しく, 七ヶ宿ダムの背面です(註: ダムは上流側を『正面』, 下流側を『背面』と呼ぶ)。堤高90m, 宮城県最大のダム。仙台市を含む宮城県南部に飲用・農業用・工業用水を供給しています。竣工は平成3年と最近です。

[写真: 小原の材木岩 6]
(10:39)

ということで, 行き着いた限界点の材木岩。……ん? このダム, 材木岩そのものを破壊していたりはしないよね……?

[写真: 材木岩氷室解説看板]
(10:42)

この付近にはもう1つ, 明治期の養蚕に利用された氷室を復元したものが2棟あります。右岸材木岩から吹き出す冷気を利用したもので, 自由に出入りできます。

実際, 相当に冷涼でした。下氷室は外気温23度, 内気温12度。上氷室は外気温26度, 内気温12度。日射がとても厳しかったので(朝の天気は何だったんだと思うくらい), このまま暫く休んでいこうかと思ったほどです。時間が押しているので諦めましたけどね。

10:58, 再出発。

[写真: 材木岩氷室 下]
(10:42)
[写真: 材木岩氷室 上]
(10:46)
[写真: 東材木岩トンネル手前]
(11:10)

先程の分岐点から白石川左岸に渡り, 急坂を駆け上がって, 国道113号にやって来ました。道の駅七ヶ宿まであと2km……。正面の森になっている尾根の下が材木岩だよね。

[写真: 小原]
(11:10)

横を見れば, 小原の風景が眺められます。手前側で左右に走っている樹木は白石川, 対岸を走っている道路は旧R113=羽州街道。途中に小さな分岐が見えますが, これは七ヶ宿ダム右岸道路に続くようです。右側手前の尾根の後ろに下戸沢宿があり, 一番大きな山=熊鷹山(450.6m)の後ろに上戸沢宿があります(正確にはもう1つ小さな尾根を挟む)。

[写真: 東材木岩トンネル]
(11:11)

材木岩直上の尾根だろうと思っていたら, トンネルがまさに『東材木岩トンネル』。

[写真: 七ヶ宿町]
(11:14)

そして, 東材木岩トンネルと西材木岩トンネルの間に, 白石市と刈田郡七ヶ宿町の境があります。ここがダム直上となります。

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水野夢絵 <mwe@ccsf.jp>
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