KGK氏は既に「文理解釈至上主義の誤り」を認めているわけで、
更に「文理解釈原則主義の誤り」も認めればこのスレッドも終わるでしょう。

要するに「文理解釈以外を適用するには文理解釈できないことを証明しなけれ
ばならない」は誤りで「文理解釈の適用で充分であることが明らかな場合に限
り文理解釈にとどまることができる」の方がより正しいといえる。まあ、「文
理解釈基本主義」といったところでしょう。


KGK == Keiji KOSAKAさんの<e85l6c$4hk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 「「靴はきちんとそろえて置くこと」という張り紙」に普通の意味で「靴」と
>>> 言われる場合を適用すると、文理解釈で充分なわけです。
>>> それは自明だから書いてないだけの話。

>> その「普通の意味での「靴」」とは?

>> そこに長靴は含まれますか?含まれませんか?
>
>この例題の出典のページでは、
>
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%87%88
>| サンダルや長靴が「靴」という概念に包摂されるかどうかは、明らかではな
>| いからである。
>
>という扱いになってますね。
>という訳で、明らかではありません。

その「明らかでない」ことが【文理解釈できる】のかね?
できないでしょ。


>>> 「条文単位でなく事案単位」ってのが理解できた?
>
>> 理解できたのは「その主張は明らかな誤りである」ということです。
>
>ということは、サンダルの事案で類推解釈を適用したら、スニーカーの事案で
>も類推解釈を適用しなきゃならないってこと?

馬鹿馬鹿しい。^^;
単に「事案単位で同じ条文の解釈が変わるわけではない」だけさ。
「サンダル」か「スニーカー」かで「靴」の解釈がかわる*わけがない*ので
あって、違いは「靴」における立ち位置、つまり「条件分岐の何処で終わる
か」の違いでしかないわけです。

>> 「事案毎に条文の持つ意味そのものが変わってしまう」というKGK氏の主張は
>
>それは私の主張ではありません。

ではつまりそういうことです。
事案によって条文の持つ意味、たとえば「靴」の定義が変わってしまうような
ことはありません。

>事案ごとに異なるのは、その同定方法であって、条文の意味や規則の意味が異
>なるわけではありません。

その通りです。
そして、誰かが「ここで靴と言えば革靴に決まってるだろ」と主張すれば、た
とえ「スニーカー」の事案であっても文理解釈に留まれるとは限りません。
#勿論、「相手の主張が正しいと証明されない限りKGK氏の主張が正しい」な
#んてことは言えません。両者の主張は対等ですから。


>>>> 例外でなくても「文理解釈で説明できる」と明言していますが?
>>> 
>>> 「例外でなくても」って何?

>> だ〜か〜ら〜、^^;
>> 例外でない「「廊下を走るな」は文理解釈で妥当な解釈が可能である」と明確
>> に繰り返し主張しているでしょ。
>
>本気で意味が分からん。
>「例外でない」はどこにかかるんだ?

#その割には、肝心の原文を隠すんだな…
以下、

>ちなみに、私が「例外/例外でない」と言ってるのは、事案のことです。
>「廊下を走るな」という張り紙に適用する際に、
>
>・「その建物内の廊下に限るのかどうか」が争点になるような事案は例外でな
>  い。
>・緊急避難が適用されるような事案は例外。
>
>って話。

その緊急避難→例外 *ではない* 「その建物内の廊下に限るのかどうか」とい
う事案について、

$Message-ID: <duu6uh$5cl$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>
$http://groups.google.co.jp/group/fj.news.net-abuse/msg/db0446188b26ea59?hl=ja&
$>> 文理解釈をする限りは、用語や修飾関係の日本語としての解釈に組込めないよ 
$>> うな前提は無視するのが当たり前でしょう。 
$> それでは「廊下を走るな」の適用範囲ひとつ説明できないことは既に示した通 
$> り。 
$
$適用範囲というのが、例えば「その建物内の廊下に限るのかどうか」といった 
$ことなら、文理解釈で説明できることは既に示した通り。 
$
$緊急避難の問題のことなら、文理解釈で押し通せない例外であることも既に示 
$した通り。 
$それは、自然法を根拠に、例外であることを主張できるもの。 
$http://groups.google.co.jp/group/fj.news.net-abuse/msg/db0446188b26ea59?hl=ja&

「文理解釈で説明できる」と明言していますよね。

>> 「日本語として」ではなく「文理解釈」ですね。
>
>「文言が有する通常の意味」として解釈すれば、「世界中のどの廊下も含まれ
>る」とは解釈できないでしょ?

よろしいか?
*文言*からはそうであるともないとも決定できないよね。
「長靴は靴か否か」と同様に「明らかでない」わけです。


-- 
wacky