古寺です。
また延伸部分?の記事を分けます(^^;

toda@lbm.go.jp さんは書きました:

> ちなみに、両国駅って、
> 「鉄橋を1つ余分に懸けなくて済むギリギリの場所」にあるんですよね。
> そういう意味では、ターミナルとしては極めて合理的な位置なのではないかと。

日本鉄道は上野から「大川」(隅田川)を突破して、地方へ向けての2路線
を伸ばして行ったわけですけど、東武、京成、総武は最初の段階で越せて
おらず、外から来て隅田川が障害になるような格好だったのですよね。
でもって東武と京成は同じ押上地区から浅草上陸を競いますし。

#これの放水路である荒川はブッといですが、後に開削されているし、ま
#あそこで止まっては郊外路線としても役に立たんでしょう。

山手線が成り立ち上、旧市内の西にオフセットしているのは有名ですが、
隅田川ギリギリまでは市内交通が早くから発達(浅草など、西側の山手線
の内側と同じ状況)してますし、隅田川を越えて伸びて行くのも案外早かっ
たと。市電が隅田川に達するのが1900年代、越すのが1920年代あたりで
すね(大雑把)。
総武鉄道が両国に達するのが1904年(パッと分かった範囲で市電の両国到
達が1903年)、国鉄電車線でお茶の水に入るのが1930年で、この間丸々
市内電車連絡に依存したと思います。ちなみに東武の吾妻橋→旧浅草→
業平橋が1902年。雷門までの市電到達が1904年?で、繁華街浅草の川向こ
うなら成り立つという目算だったのでしょうかね。
検索すると明治5年から上野〜浅草の乗り合い馬車など有ったようですが。
面白いのが総武鉄道開通に合わせて現業平橋隣の曳舟から亀戸に連絡線
的路線を延ばして直通、業平橋への旅客営業を休止したりしてるんです
よね。このあたりは、東武亀戸線が本線っぽい施設の名残が有ること(中
間駅が尽く電車化後の新駅で当たりませんが...って数年前に話題になっ
たような)、亀戸駅の旧配線で総武とレールが繋がってたあたりの話で良
く出て来ます。

#たまに南海「高野線」汐見橋区間に乗りに行くと印象がだぶったりしま
#す。高野線の方は貨物施設の残骸が有ったりしますけど、似てるのはロ
#ケーションの割に「真っ直ぐ」敷かれてることでしょうか?

ついでのついでで、京成の押上ターミナルは市電の延伸とゲージ共々歩調
を取っていたようです。

対して西側は大きな川の位置関係から「多摩川越さない」とかさすがにっ
て感じですけど(^^; 山手線が市内交通の外縁だったため尽くが接続駅を
ターミナルに(西武新宿も延伸だったはず)。比較的古い京急が国鉄駅で
なく、一時標準軌から1372mmに狭めて市電とレール共用で高輪へ。横浜側
は直通は実現しなかったようですが、神奈川での市電結節(ゲージも同じ)
に依存して、当初路線では横浜駅への直接乗り入れをしていません。

#湘南電鉄構想あたりから1435mmに戻し、品川・横浜は国鉄駅に入る方向
#に動く。

京王も併用軌道で南口を亘り越して内側に入ったせいか、1372mmになって
ますね。この3電鉄は国鉄より市内電車を市内連絡に依存しようとしたが、
名残を残す1372mmは一社だけと。