竹田@ZAQ大阪です。

 お盆明けの日曜日に、東京国際展示場(だったっけ? 正式名称)
に行ったついでで、鉄分補給をしてきましたのでその駄文をば。

 河内男が見る東京:総武・京葉線編


本日のおしながき

1 JRB関東車でガッカリ
2 春日三球照代「地下鉄はどこから入れるんでしょうねぇ」上野編
3 尾灯を点けずに推進運転
4 日本鉄道尾久客車区
5 春日三球照代「地下鉄はどこから入れるんでしょうねぇ」両国編
6 ネズミの国と観覧車とビッグサイトと
7 西日本JRB車だったけど・・・


1 JRB関東車でガッカリ

  5月か6月だったと記憶しているんですが、西日本JRバスが夜行の3
 列一般車シートをリニューアルしたということで、青春ドリームではなく
 わざわざドリーム号を手配したのですが、桜橋に行ってみると待っていた
 のは関東車。隣の2号車は西日本車で、竹田が乗る1号車は関東車でガッ
 カリ。そのせいか、目一杯リクライニングを倒して寝ていても、どうも腰
 が痛かったような。
  そのドリーム大阪号の東京行きは、3行上で書いたように2台仕立てで、
 それだけでも「へぇ〜。分かってるやん」と思ったんですが、同時発車し
 た新宿行きがなんと3台仕立て。有明のイベント以外に何かありましたか?


2 春日三球照代「地下鉄はどこから入れるんでしょうねぇ」上野編

  竹田が乗った東京行き最終は、日本橋で降りなければ上野の入谷口まで
 運んでくれます。ほとんどが日本橋で降りる中、2階席のB席先頭に陣取っ
 てプチ”東京観光”(20分間)。いや、観光と言ってもずっと高速の下
 を走ってましたから単なる移動なのですが。
  上野駅入谷口でラチ中に入れてもらってトイレと洗面。さぁー上野観光
 (通称、おのぼりさん(笑))をと、巨大パンダ像を見て、周辺地図を見
 つけて最初に探したのが上野公園内の京成線の旧駅跡。ところが、パンダ
 橋から京成線の旧駅がありそうな所までがまず遠い。そもそも当然ながら
 旧駅の位置なんか表示されていない。じゃあと京成上野へ行きましたが、
 ホームとコンコースは別階でガッカリ。
  万歩計の歩数ばかり増える中、再び周辺地図を見ると、東京メトロの建
 物(本社ですか?)の近くに、櫛形に線が書かれた見慣れたものが書かれ
 ています。「こんな所にアレがあるのか?」と思いながら地図の場所の、
 入谷口から高速を挟んだ反対側に行ってみると、ホントにありました。上
 野検車区。なんでこんな所に。
  その上野検車区。銀座線の橙帯の車両が寝てましたが、その構造がまさ
 に三球照代。地下進入口と留置線の間に道路・踏切がありまして、車両が
 地上線から地下線に入っていく一部始終を余すところ無く観察することが
 できます。竹田が滞在した間に4本が地下へ潜って行きました。かなり鉄
 分補給。集電靴の動きまでしっかり観察。地下鉄車両を線路面高さから見
 上げる新鮮さ。あ、銀座線車両の連結器って、嵐電と同じ。


3 尾灯を点けずに推進運転

  けっこうお腹いっぱいになって上野駅に戻って、再び入谷口から京成線
 に向かって歩いていると、見つけました。よくテレビで見る上野駅の玄関
 口。そして、集団就職の歌( あヽ上野駅 でしたっけ)の歌碑とモニュメ
 ントがありました。そこからコンコースに入って13番線方向・三相の像
 あたりを眺めると、今でこそ訳の分からん配線の上野ですが、御徒町、秋
 葉原が開業する前、、、まで戻らないとしても、蒸機夜行列車盛んなりし
 頃の上野駅の雰囲気ってこんなんだったんだろうなぁとしみじみ蜆。
  ラチ中に入って、山手・京浜東北線辺りは見慣れた風景なので、常磐・
 高崎線・宇都宮線辺りをウロウロしていて、いつの間にか札幌からの北斗
 星が入ってきてました。これはこれで儲けました、尾久へ戻っていく姿を
 拝めるぞと。ただ、すぐには動かないらしく、ならばと、大阪には無い文
 化、”つけ麺”の店を見つけたので昼食。
  以前にも、尾久から上野の地上ホームに北斗星を回すときは推進運転と
 いうのは何回か記事になっていましたが、されば上野から尾久へ返す時も
 推進のハズ、と思って動くのをひたすら待ってました。運転手氏は、ウロ
 ウロしているも、位置を替える様子がありません。その内待望の発車とな
 るのですが、やっぱり運転手氏は上野へ来たときと同じ位置で運転してい
 る様子。中の人間まで”バック運転”ですか。
  13番線端から、ゆ〜〜〜っくり尾久に返っていく赤い機関車を見送っ
 ていましたが、ふと気が付いた。”尾灯が点いてない・・・”。勿論、赤
 い円盤も装着なし。いいのか?
  そのあと、地上線から発車する普通で竹田も尾久に向かいましたが、高
 架線と併走するあたりまで、電車なのに推進の北斗星よろしく、ゆ〜〜〜っ
 くり走り、その後さぁいくぞ、とばかりに嫌がらせの様に加速する運転。
 ああいうセンス竹田は大好きです。いかにも始発駅。長旅が始まるぞとい
 う臭いが漂います。


4 日本鉄道尾久客車区

  勿論、日本鉄道という会社はありません。東北本線のご先祖さまです。
 もしかしたら院線東海道線の列車を仕立てていたかもしれない、、、

#ものの本によると、東海道線の列車は東京到着後、そのまま尾久まで走っ
 て清掃・点検。反対に東北線の列車は(当時の計画は)東京到着後、その
 まま田町まで走って清掃、点検という計画だったそうです。ところが、先
 に開業し国営である田町の職員が、後から開業し民営である尾久に行ける
 かとプライドが高く、また設備も尾久の方が劣っていて、田町の設備を尾
 久に引っ越しさせる必要があったということで、結局今に至るまで今の姿
 が続いているという話。

 ということで、広いです。もしかしたら宮原とあまり変わらないのかもし
 れませんが、尾久のホームから見た分にはえらい広く感じました。その中
 に、北陸の編成もありました。新潟の地震の影響で運休中ですが、基本編
 成とおぼしき編成と、追加編成とおぼしき短い編成の両方がたたずんでお
 りました。天災のせいで仕方ないとはいえ、不憫です。
  尾久で、ひとしきり客車(新幹線に近い方には電検車もいたような)と
 機関車を堪能した後、赤羽まで行って、案外小さな駅だったことにガッカ
 リして、今度は湘南新宿ラインで山手貨物線を堪能しました。途中東十条
 で京浜東北線の車庫を見つけて「何でこんな所に?」と思いながら、ある
 いは田端と池袋のカーブで「こんなカーブでも貨車は走るんだろうな」と
 感心しながら一路新宿へ。いつ見ても西武新宿は中途半端な場所にある。


5 春日三球照代「地下鉄はどこから入れるんでしょうねぇ」両国編

  今回の最終目的地は、国際展示場。今居るのは新宿。普通に考えたら中
 央線で東京へ出て、京葉線で新木場へ行くんでしょうが、中央・総武緩行
 は秋葉原までしか行ったことがなく、中央線は万世橋経由東京まで乗った
 ことがある。ならば乗ったことのない方にと思い、しまったと思ったのが
 市川に着く前? 引き返すことも出来ず、2時前に新木場に居るはずが2
 時半を軽く過ぎてました。
  それはさておき。両国で国技館(のてっぺんだけ)を見て、天理の団臨
 用ホームよろしく古ぼけたホームがあるのを発見。相撲を見に来る団臨で
 もあるのだろうと思いながら両国を出発すると、前から総武・横須賀線快
 速がやって来ます。「おい。どこから潜るんだ?」 時刻表の地図では錦
 糸町から緩行線と分かれていますが、竹田が思うにかなり両国に近いとこ
 ろで潜っているのではなかろうかと。とすると、両国で川を下越しします
 から、どれだけの勾配で潜るねん? と。以前、品川側の入り口は発見し
 ましたが、錦糸町側の入り口はどこなのかという新たな使命(?)が出来
 ました。


6 ネズミの国と観覧車とビッグサイトと

  いつ快速に抜かれるのかと心配しながら、結局西船橋まで普通が逃げ切
 り、武蔵野線直通に乗り換えて舞浜。「これが東京ネズミーランドか」と
 思うよりも、「舞浜サーバはどこだ」と辺りを見回したのは私です。さら
 に1駅進むと葛西臨海公園。「おぉ、あれが蜂蜜の、、、」と思ったのは
 私です。新木場の駅では、実は背後にあるのが夢の島であることに気付か
 ず、後になって「なんだ、きれいじゃん」と思った次第。何かのドラマで
 見た文字通りの「ゴミの島」の印象しかなかったもので。
  帰りはビッグサイトから新木場に戻り、京葉線越中島経由で東京に行き
 ましたが、錦糸町、西船橋経由が時間的には大失敗だったのを改めて反省。
 でも鉄分補給には大成功。「東京の海」も初めて見ました。


7 西日本JRB車だったけど・・・

  帰りの深夜バスは最後列と、エンジンの音で放送が聞こえないほどナイ
 スな場所でしたが、念願叶って西日本車で、なるほど前に乗ったときとは
 シートが違ってました。確かにシートは良くなっていたのですが、シート
 ピッチはそのままのようでして、前席に付いている足おきを使うと、足元
 がけっこう窮屈になるのが難。ふくらはぎ置きを使い、足おきも使うと、
 背丈のある人は少々つらいので、ふくらはぎ置きのみにされることをお勧め
 します。途中数回目が覚めましたが、割とよく眠れました。



********************来る日も来る日も103系(2代目)
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karura@hct.zaq.ne.jp   竹田 貴博