古寺です。

toda@lbm.go.jp さんは書きました:

> In article <fb14p3$sjj$1@aioe.org> kodera_m@cool.o_dn.ne.jp writes:

>> えーっと、自己解決を望まれるならクリックしないで下さい(^^;
>> http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&ll=35.696192,139.793987&spn=0.005367,0.006856&t=h&z=17&om=1
> 
> この部分なんですが、

その部分よりもっとズバリな事を書いた覚えがと思ったら...

>> 補足ですが、今でも大ざっぱな地図で見ると総武の東京地下線は両国
>> あたりで本線に取り付いています。構想として、また平面図的に両国

で記事が切れてますね(_o_)
すみません。直接的なフォローと、派生した話に記事を分割しようと編集
していて、部分的に消失。まさに構想として云々の後ろは、ずばりそうい
う話を展開しようとしていたのでした。

> 両国駅の歴史的地位や地下線の水平位置などの状況証拠から、
> 以下のような経緯を「想像している」んですが、如何でしょうか?
> 
> ・元々は「両国〜東京」を結ぶつもりで計画された。

「構想として」で始まる文は、文章全体としては「推測」で断定を避けた
ものでした(あんな形で送っちゃった事に気づいてなかったです;アブナイ)。

親が地図好きなのか「東京都区分地図」の類いをマメに買っていました。
丁度東京地下線が開通する前後くらいから私も興味を持って引っぱり出
して読んだ覚えです。その中で鉄道や地下鉄の路線図コーナーが有りま
すが、ちょっと古めだと、「6号線」が池上線と東上線まで点線だったり
(開業区間は巣鴨〜高島平あたりの頃か)、東京地下線の点線が丸ノ内か
ら両国だったりしたもんで。
あと「1号線」の京成側直通区間が当初のタテマエの東中山までだったり。
その手の読み物(?)のおかげで、営団が5年生に配布する地下鉄の資料(1枚
物の道路地図に答申図を重ね、裏面は地下鉄マメ知識みたいな...で、何
度か紹介しましたが、交通博物館の無料配布物になってた事も有ります。
学生の頃、答申が変わった後に一度入手出来て助かった^^;)を貰う数年
前から、なんとなく計画というものを意識してました。
で、総武の東京地下線の方は国鉄単独事業で答申の外だったんですが、
後年鉄道誌で経緯的な物は一度か何度か見たような記憶が微かに有りま
す。ただ上記の「区分地図」の印象が強く被っているので、アテになら
ないんですよね。
鉄道誌への掲載記憶が正しいとしたら、通勤五方面が取り上げられたも
のとかじゃないかと思うんですが... いくらとっておいても、キーワー
ド検索掛けられないのが紙媒体の弱点ですよね。今となっては。

#戦後発行分をデータベース化してくんないかな。誌代100円上乗せで
#経費に回すとかで...

> ・ところが、線路勾配などの配置の都合で
>  地下路線に「両国駅」を設置することが技術的に困難だと判明した。

近郊型8M7T(113系)とか、MT54で歯車比1:3.5の特急型6M3Tとかの条件が
入った時点で、有って33パーミルですよね。営団とかの標準最大35、
部分的に40パーミルとかは採用出来てないはずですし。

> ・そこで、已むなく、地下路線では「全列車両国通過」ということにして、
>  1駅先の錦糸町を乗換駅として設定することにした。

総武本線列車の起点「両国」の次駅で結節した所から、子供心に「やむ
なく錦糸町」なんだろと思い込んでましたけど、錦糸町も都電の路線が
集積する総武本線の一大結節点だったんですよね。これまた記憶ですが、
後に雑誌類で見た記憶(列車歴史物)では複々線化以前の「列車」も錦糸
町に停まっていたと思いました。

#まあ追加新駅の新小岩まで電化前の開業ですから、当初は当然SLの各
#駅停車だったでしょうけど。
##見事なくらい千葉側から両国に達しているなぁ>総武本線