古寺です。

NIDE Naoyuki wrote:
> In article <dqo1am$2hs$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>,
>    kodera_m@cool.odn.ne.jp writes:
>> 上の上野〜高崎〜長野〜新潟が荷物輸送終了のハズな時代に12系で
>> 残ったという話も実は初耳でびっくりなのですけど、車両(機関車対
>> 動力分散車)と運転士の需給関係で一気に電車・気動車化とは行かな
>> かったんでしょうかね?
> 
>   記憶をたどると、RJの当該列車の記事では、新潟近くで‘まもなく新幹線にバ
> トンタッチする’在来線「とき」に抜かれた話が出ていました。ということは、
> 当該記事は上越新幹線開業直前、おそらく1982年の9月くらいです。

え、まさかそんな早くに...と思いましたが、

>   それでさらに思い出したのですが、当該列車は確かその上越新幹線開業の改正
> で廃止(電車化というべきか)でした。で、使用していた旧型客車がその直前に全
> 検切れで、あと数ヶ月の使用だからというので代わりにだぶついていた12系を持っ
> てきた、という経緯だったようです。

あー、代替されたわけでなくて、代走的な物でしたか。

#なんかそれだと、ニュース的に思い浮かぶ所が有るような、無いような...
##それを読んで乗りにというのは、やっぱり無い話です(^^;

12系の本当の格下げ使用が始まるのは、1986年頃以降からですよね。

>> #その時の「信州」「ちくま」とも旧客でした。信州ワイドのエリ
>> #アでの自由行動中に、12系だと思っていた臨時「アルプス」の
>> #スハフだけが14系混結で驚いたという仲間が居ましたが。
> 
>   「信州」は夜行も電車じゃなかったでしょうか? 客車だったのは「妙高」だっ
> たような。臨時だと「信州」にも客車があったのかな。「ちくま」の名古屋着っ

なんか、記憶ボロボロ露呈中のような...
記した通り乗車区間は直江津から→長野まで(同行者はここまでに適
当に車内集合)で、そこで前途不通になりました。なので上野〜直江
津の系統なのですが...
急行区間長野→上野(直江津〜長野は普通列車)=「信州」という思い
出し方をしましたけど、夜行は違いましたっけ? 急行で県境を越えな
いと「妙高」と言わないような覚え方をしていたのですが、(言われ
てみれば)電車「信州」の夜行も有ったとすると、確かに(とほほ)。

> て(定時だと)早朝、というより夜中で、新幹線乗り換えといっても大変ですよね。

名古屋は遅延込みで5時台の到着でした。その後客車が大阪へ向かっ
たやらの記憶は有りません。
長野→名古屋の列車名については、それしか当時の愛称名が出て来ず
書いちゃったというもっといい加減なのですけど。
更に詳細に書くと、まず名古屋方面は上記直江津発上野行普通(長野か
ら急行)の到着を待つという確約が、どこだっけ...スイッチバックの
推進運転で最後尾デッキ大盛り上がりだった駅より前で放送されてま
した。定刻だとそちらが先発だったはずです。
長野にて、かなり乗換えのゆとりを取ってくれたなと思った後も中々
発車出来なかったのを覚えています。深夜帯ながら、篠ノ井線内で貨
物か、夜遅い到着列車か、下りと干渉したのでしょうか?
新幹線の接続について、早い段階で名古屋06:00の上り初発には繋が
ると聞いていました。しめしめ、自由席でも楽勝だぞと思った物です。
実際の所、中間ラッチで揉めた時間も含めて、乗換え時間は30分は有っ
たと思います。
なので、夜行「きそ」が名古屋着05時台の早いうちなので有れば(途中
での回復を含めて)そちらだった可能性が有りますね。

> (当時は夜行「きそ」ってまだ残ってましたっけ? これも旧客だった記憶)

乗ったにしては「定期のきそ」ってさっぱり印象が無いんですよ。迂
回乗車体験として、いずれも定期だった記憶です。
個人的には「津軽」(漢字でしたっけ?)に対する「おが」な印象が有る
列車です。