古寺です。
ピクの関西ローカル私鉄増刊('00年5月って、そんな経つんかい!)が
出て来ましたです。

叡電と嵐電(全電気指令以外の在来車)が、SME3管式の確認は取れま
した。

#まあそうだろうな、ですけど。

Karura Asagami さんwrote:

>>あと「B弁」というのはブレーキ弁の意味で書かれてるのでしょうけ
>>ど、あんまりそういう略語は聞きませんね。自動ブレーキも直通ブ
> 
> 
>  これ、本職さんが言ってたんですよ。仰るとおり「ブレーキ弁」と書くの
> をケチってB弁と書いたんですが、本職さんが使う用語なら公用語(?)だろ

すみません、少なくとも現場用語では有るようですね。全現場共通
レベルかどうかは、甲種動力車ナンタラの筆記試験に出るレベルと
かなら「公用」で間違いないのでしょうけど。逆にスラングレベル
だと、「クルクルパー」が現場や分野に寄って、煙突の火の粉落し
だったり、発光信号だったり(もう1個有ったような^^;)。

> #ちなみにその時は、マスコンはマスコンと説明していましたが、「主幹制
> #御器と言え!」とテレビに突っ込んでいた小生。

空制の配管回路の中に大量の(連動で作動する)弁がしこまれているの
と、ハンドルの所に顔を出してるゆえ目立つ操作弁の関係も、主制御
器と主幹制御器の関係に似てますよね。

>>>(発見5)鞍馬から山を下ってくるときはどうだったか見逃したんです
>>>     が、ともかく駅で停車するときは、マスコンで電制を操作し
> 
> 
> こっちの方が心配しながら書いてました。「電制」と書くのが正しいのか、
> 「抑速」と書くのが合ってるのか。「電制」は電気制動ですから、抑速だっ

「抑速」は区別が必要で生まれた言葉ですし、特に分類すべき空制と
協調動作する方の電制が存在しない場合は、「電制」で全く構わない
と思います。
伝統的に、勾配用が主な動機で、マスコン操作の電制のみを付け続け
てる会社では、文書でも「電制」とだけ表現しているのが普通ですし。
変な喩えですが、私鉄で普通列車普通電車を「普通車」と表現すると
ころがソコソコの数有りますが、国鉄が唐突に3等を普通車呼ばわり
始めたからって変更してない模様のところが多数有りっていうのと似
たような現象かも。

#ロマンスカーとか、湘南電車とか、何番煎じかが大きな顔をするよ
#うになった語も多数有りますけど。

> て電気制動じゃんとは思いながら、昔同じことで指摘されたことがあった
> なぁ、使い分けどうだったかなぁ、と思いながら過ちは繰り返す・・・。

ちゅーわけで、特に誤りは見受けられなかったかと?

>>昔雑誌で、叡電が鞍電を合併してから戦中までの乗務記が連載され

上記の文献で再確認しましたけど「叡電(現在の名前)が鞍電(昔
存在した社名)を合併」というのは酷く変でした(_o_)

>>て居た事が有るんですけど('72頃のRF?)、鞍馬側は電制車限定で、
>>合併しても運用がどうとか等書かれていました。要するに戦前から
> 
> 
>  宝ヶ池の配線を見て、鞍馬線は後から作ったんだろうなと思って車内の
> 路線案内を見て納得。鞍馬線と叡山『本線』。

(上の段の続き)叡山本線は最初から京都電灯(京福の前身)でし
たね。つい、阪堺のような先祖帰りに見えてしまうのですが。


> いよいよ鞍馬線は叡電が後から敷いた線と思ってたんですが、ありゃ別会
> 社の合併でしたか。

傍系では有ります。
電制もコストに響く勾配仕様が異なるし(叡山本線も、宝ケ池に掛
けて結構登るんですけど、戦前の「普及度」に比して電制無いと
走れないってほどでも無かったんでしょう)、閑散とするのは目に
見えるような区間の線ですし、経営的な判断として別会社スター
トにしたんでしょう(推測ですが、運賃レベルが高かったり、まあ
初乗り合算では有ったでしょうし)。

でもって、叡電分離発足時期に掛けて更新などで電制を追加し、
車両運用の区別を無くしていますね。

>  鉄道の話をする時に、とりあえず近鉄&近鉄8000グループを基準に考え

社ごとTipsな話で、近鉄のその世代というと、編成中1両を鋳鉄
制輪子としておく(他は高性能車で一般的な合成シュー)という
話が印象に残っています。速度特性が異なる(高速で効かず、
押し当てを強めると低速でロックしやすい)ので調整が大変なは
ずですが。踏面の清浄度を優先した号車を1両は入れておいて、
軌道短絡を確実に、だったかな。しかし電気車の科学の粘着向上
特集で見た事も有るし、そっち方面での何らかの効果だっけか...

> ルしているようで大好きです。逆に最近の「片手で運転できます」ってな
> 車両は、あいそが無いと言うかなんか寂しいと言うかつまらないと言うか・・・。

ただまあ、MT半々とかの編成電車で停止まで電制を使おうとする
と、電空協調の自動化は避けられないんですよね。単行〜数両で
原則全Mとかだと、電制失効時にスムーズにブレーキハンドルを
操作して、それと気づかせないで空制に切り替わってる腕...が
ポイントだと思いますけど。
電制指令がマスコンのみで、ブレーキハンドルは空制でそれぞれ
協調が無いと、空制ハンドルは操作すればMTとも均等に機械ブ
レーキが作用しちゃいます。となると、これにマスコン操作の
電制を足そうとすると、M車が粘着性能で決まる常用最大減速度
を越えて滑走する恐れが有る。
逆に「両手操作」で、M車のブレーキ力が限界越えないようにす
ると、空制は最大に利かせられないわけですからT車で不足気味
となり、トータルで常用最大減速度の性能が出ない。

ふと記憶が怪しいのが、神戸電鉄でもマスコン電制を盛んに使っ
てる記憶は有るんですが、停止時もそれだと抵抗制御世代の3連
組成が2M1Tのが有るのはどうしてるんだろうかなと。ひょっと
すると空制が電制協調付きの「HSC-D」とかで、マスコンのは国
鉄流儀の「抑速」で使用なのかもしれません。

#し、使える範囲で電制を追加する職人技だったかもしれません。

>  京阪カーブ式会社って、こんなとこでも「我が道を行け」。よそなら、
> 
>     1 2 3 4
> 
> みたいに目盛りを入れるところを、石山坂本線に行くと、
> 
>   20 30 40 50 (60? 70?  10はあったかな)
> 
> ですからねぇ。

先に「他社がやめてる時期に」と書きましたけど、このこと自体
は一時期各社で流行した物です。東洋電機が一括で制御をやって
る会社または形式に限られたか、ひょっとすると東芝でも有っ
たっけ?な記憶ですが。
京阪スーパーカーが京阪の最初でしたっけかね。阪急だとオート
カーというまんまな呼び名。名鉄パノラマの高性能版7500(これは
1963年と覚えやすい時期^^;)、遅い方では京成先代AE車がワンハ
ンドルマスコンの世代で、通勤車に機器流用するまで使っています。

主制御の側から見た技術的要件としては、界磁制御の幅を非常に
大きく取ってる事(抵抗ステップ進段にあまり依存しない)... 複
巻モーター他励界磁制御の特性に依存してたようで。停止用に回
生ブレーキが普及し始める初期(これでも京阪は有名ですよね)の
技術とベースが共通かと。
で、操作の統一、年数を経て論理部を補修しようとしたら新製時
と同じ型番のトランジスタが無いので高く付く...
一部の会社では、初期の回生車に手こずり直巻モーターに戻す例
も出たように思いますが、それが定速付きだったら巻き添え的に
撤去されたかもしれないですね(この段は推測)。
などなどでどんどん減って行った物ですね。

京阪の場合、昇圧まで複電圧対応が可能なMG出力を利用した他励
制御の界磁位相式、昇圧後は京成旧AEと同じ界磁チョッパでの
採用を続けていて、大津線の高床車の高性能改造時にもスンナリ
採用出来たんでしょう。

なおですね、VVVF時代になって定速制御自体は大復活を遂げてい
ます。こいつは周波数を一定に固定するような制御が大得意で、
そうすれば回転数が固定されるんで。当然力行・回生の可能な
出力範囲での話で、登りになったり下りになったりの負荷変化
を、一定周波数→回転保つように電流値を上げ下げ(回生)する
ような動作です。
VVVF車の「抑速」指令に関しても、定速指令を制動側限定で
やってるわけですから、簡単なオプションで(オーダー次第)
定速機能も追加可能なわけです。

>  ついでにお教え願いたいのですが、8000特急車も定速制御と言っていい
> んですかね。非常を除けば、
> 
>  B7 B6・・・・B2 B1 OFF 1 2 − N +
> 
> という目盛りで、発停車や大きな速度制限がなければ大抵「− N +」
> で走ってますよね。

だそうですね。
これも西に移って来て、マスコンで電制とか(大津線は定速)電
制が多用されてたり、SME直通制動のミニ電車が多かったりな
どなどに一人盛り上がってた頃に、fjで教えて頂きました。
個人的には「N」が定速という表現だとするとちょっとなぁとは
思うんですけど(OFFと別に有るんだもんね^^;)。

>  淀屋橋、出町柳の折り返しにしても、特急が乗客を降ろす位置と乗せる
> 位置をずらすのも、乗降をスムーズにする工夫のひとつなんでしょうが、
> これ特急だけですよね。む〜〜〜、This is 京阪。

ドア締めて自動転換するのを組み込んでいますからね。固定セミ
クロス特急が定期化される、ロマンスカーの元祖京阪としては
寂しい昨今ですが、乗車整列位置に降車客を交錯させない利点と
扱いを違える事(運転上もでしょうけど、客もどっちか戸惑うし)
も有って、特急全てで踏襲してるんでしょう。ただ、ちょっと前
の話題で、私のような休日訪れる者の目には、2階建てとテレビカー
がまだまだ大人気...な客層の時ばかり見ているせいでしょうが。
その位置で待てと一応言ってるけど理解出来ず、降車中のドアに
つられていって、動き出して「えー?」って戻って来て列が壊れ
るって不慣れな光景は週末ごと常に有るような(^^;

これは考察なんですけど、この動きは自動転換シート以前に、関
西共通の昔のやり方の末裔(輪をかけてへんな文^^;)なのかもしれ
ません。
昔のターミナル配線を見ると、阪急梅田・南海難波のような横に
広い(関東より「立派」とされる象徴かされてますが)、番線の
多いターミナル配線って実は昔の特徴ではないんじゃと。
上本町辺りもですけど、短編成の頃は特に、駅の入り口に降車
ホームが有って、客を降ろしたカラの電車を、折り返し客の待つ
初番線へ入れるような構造のが多かったそうですね。
これをある程度の規模の駅でやっていたから、編成長大化のおり、
用地が十分に有ったのかもしれませんけど。ひょ〜っとして、
京阪特急のあの動きも昔の伝統から、「座席の自動転換をどこ
でやるか」を考えた時に自然に思いついたとか、そんなこた無
いですかね?