ABE Keisuke wrote:
> 阿部@佐倉です。
> 
> In article <20050602212037cal@nn.iij4u.or.jp>,
>  cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> 
> 
>>なお
>>私自身は自分の主張にかかる分については
>>「【日本国憲法における】」表現の自由の意味で一貫して使っていることを
>>付言します。
>>……それがわからない時点で「言葉の意味を正確に把握する」という作業を
>>  怠っていることがみえみえじゃないか……と。
> 
> 
> 一貫しているかどうかが問題じゃないんですけどね。
> 佐々木さんが【日本国憲法における】で使っていることは
> 承知の上で、佐々木さんの使っている用法も【】付きで
> 限定されるものではないの?ということなんですけど。

極めて適切な御意見ですね。このことに異論を唱えられる論者の周到な御説明を
拝見したい。御自分の正当性を説得付けられないまま他を批判すると言う誤謬を
犯してはいまいか?ちなみに、佐々木氏の意見が正しいものだとして同調される
論者は、

  氏の意見は「他と比較して」何処と何処が正しいと認識されるのか、

を逐条的に捉え切れているのであろうか?それも出来ないままやれ賛成だの同意
だのと述べるそのご意見は一種の無効で、無視すべきもの。

試みに、ひとつだけ項目を取り上げましょう。     

  (命題)日本国憲法に言う表現の自由は、国家あるいは国
      家機関に向けられた自由である

佐々木氏はこのことは日本国憲法の<法学的理解>としては疑義を挟む事が不可
能なほどの「真」である、とし、そこを基点として他の数々の主張を切り捨てて
いる感が有ります。賛同を表明する論者の見識の深さを拝見したい。

話が長くなりますが、わたくしがこのような意見をここで敢えて投げる理由も開
陳いたしましょう。

   (1)法学はアプリオリに自己の行動範囲を定めてはいない。
      むしろ、行動範囲は常に広がるのを志向する。社会的に
      有用である限りはそれが義務でさえあるといっても過言
      ではない。法学の使命は「既成の原理」で規定されるの
      ではないばかりか、「既成の原理」を否定する作業も担
      っている。

   (2)氏はこれに関しては、わずかに憲法規定の私人間効力の
      問題だとし、二人の学者のいう間接効力説、直接効力説
      からのアプローチのしかたを一般的なものとして紹介し
      たに過ぎない。それとどう関わって

           fjでの議論を<法学的ではない>

      としたかは全くの不明であるばかりか、氏がどれだけの
      根拠から<法学的ではない>を主張しているかさえ不明。

   (3)面白い話にこういうのがあります。学生のアルバイト先
      には中国人が多数いて、日本人グループと中国人グルー
      プとが互いに他を忌み嫌っていた。監督者は自己の監督
      能力が問われるのを心配して、中国人批判をするのはや
      めろ、といったそうな。ところがその日本人は、俺は仕
      事はちゃんとやっているし、その事を問題とし、仕事に
      支障をきたすというのであれば話は分かるが、俺らがど
      う思うかは「表現の自由」であって、それが講じて彼ら
      がどういう態度に出て監督がしずらくなるかは俺らの問
      題ではない。俺らは「表現の自由」を実践しているのみ、
      だと。そうしたら、やれ、クビだの解雇だのと叫んでい
      た監督者が急に静かになった、そうな、、、。

      わたくしが言いたいのは、憲法原理がどうかなどを云々
      する以上に私人間においても今や「憲法的価値」は浸透
      しているのであってそれは逐一理屈を問題にする以前に
      私人間でも承認されている事だ、ということ。それに、
      やれ「表現の自由」は国家からの自由だ、とか言って邪
      魔することが「法学の使命」にいかほどの有用性がある
      というのか?

         「表現の自由」が国あるいは国家機関に向
         けられたものとする考えに縛られる事の必
         要性は如何に?

--
太宰 真@浦和