Seaside Hotel wrote:

> ゆるフンで
> キーを叩くは
> Sugawaraか

まあ、ここまではいいとして。

> 後姿に
> 哀愁あふれ

何の面白味もありませんね。この前見ただれかれかまわづ送ってよこすあの画像
を見て言ってるんだろうけど、どこに「後姿に郷愁が溢れ」てるのやら。むしろ
力がみなぎっていると思うけど。(笑い)

小作の「死」にはまず「ことば」があって、有りもしない感動の実体を己の発し
たその下手な「ことば」で読者に新たに突如とした感動の実体を呼び起こさせる
ことができるものとの自惚れがある。そんな事はありえないのに。(^m^)

たしかに「詩」は読者に感動を意識化させる役割はある。しかし、その感動の実
体は既に、読者の中に存在していて、ただそれが読者にとっては日常的には意識
の表層には上がっていなかったというに過ぎない。小作はその点を知らない。読
者の中に無意識にせよ意識的にせよまったく存在しない「感動」を詠もうとする
薄ら馬鹿である。小学生の「し」同然。

> Sugawaraは
> カツラを取れば
> 禿げ茶瓶
> ダビデの星が
> 眩しく光り

ことばでの「感動の捏造」、これがよく出ているみごとな「死」ですな。これを
奇異な事として見分けるのは感覚や感性ではない、思考能力だ。知能だ。こんな
くだらない「死」を投げれるというあつかましさとはずかしさも気になるところ
ですなぁ。(笑い)

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Golden Cross