In article <20040721221513cal@nn.iij4u.or.jp> cal@nn.iij4u.or.jp writes:
>通達は本来行政内部を拘束するものであって
>国民を直接拘束するものではないとされています。
それはそうなんだけど、

>大事な通達については法令と同程度に学習することが
>要求されていますよね。
>これはなぜかというと
>通達が市民を拘束するから……ではないんです。
と言っちゃうのはどうかなあ?
「直接」には拘束しないだけで、間接的には拘束されますよね。

典型的なパターンが、役所が許認可権限を握っている場合ですね。
許認可の判断基準は法令で規定されているんだけど、
法令の規定はあくまで基本原則であって、細かいところまでは規定できない。
で、法令で規定されていない細かい判断基準を
通達で決めてしまうというパターンです。
市民生活が許認可行為に拘束されている以上、
通達の拘束を間接的に受けることになります。

http://www.lbm.go.jp/toda/museums/equival.html
に書いた相続税法に関する事例なんかを見てみると、
「通達」と言いつつ、ほとんど「法令」じゃんかという内容ですね。

もちろん、あくまで「通達」なんだから、
>「この通達おかしいぞ」と思ったら
>それなりの準備をしなきゃいけないってところにあるんです。
というあたりは、「法令」がおかしいぞという場合とは
対処の基本方針が違います。

ただ、それにしても、
>多くは官公庁相手に書類のやりとりをすることでしょうし。
>そうなると
>官公庁の判断が通達に示されている訳だから
>それを知っておくと仕事が早く進むし
という程度のレベルの問題じゃ無いような気がします。
仕事が「早く進まない」どころか「できない」ことになる場合も多いんだし、
「おかしいぞ」を根本的に変えようと思ったら、
政治的に圧力をかける(国会で問題にさせるetc.)とか、
行政訴訟で越権行為という判断を出させるとか、
けっこう大袈裟な行動になるんじゃないでしょうか。

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp