Re: 世界規模の間違い
takehiro yanagiさんの<cbmn4s$cfu$1@news2.bekkoame.ne.jp>から
>池田 2004.06.25 wrote:
>>私は、「既存の理論で記述可能な現実の運動を記述できない
>>運動論に価値はない」に同意していただけるのなら、
>>まだまだphysicsで続けてもいいと思っています。
>
>何を言い出すのか。
これに同意していただけないのなら、今後この件に関しての投稿は控えさせて
いただきます。少なくとも、私が提示したあの問題を矛盾なく説明できない限
りは、物理理論としては認められないと考えています。
>
>池田尚隆 wrote 2004.06.18
>>これ以上、ちゃんとした答えが返ってこなかったら、この後は、
>>fj.sci.physicsではなく、fj.soc.pseudoscienceで議論します。
>
>他人様に対し、己が書いてきたことの責任ぐらい果たせ。話しは、
>下記の議論の、自己矛盾を解消せよということだ。
>
>我々 wrote:
>#c】時間の性質を知らなければならない。幅のある時間は、
>#幅のない時刻との相互定義で成り立つことが分かる。
>#従って、時間は、ある時刻と次の時刻の間で規定される。
>
>池田 2004.6.4 wrote:
>>時間の幅を極端に短くする-(極限)->時刻とすれば…
>
>池田 2004.5.24 wrote:
>>時間は時刻の積分だし、時刻は時間を微分したものに過ぎません。
>
>池田 2004.6.15 wrote:
>>時刻に幅がないのは当たり前なので、別に「幅が無い」と
>>わざわざ書く必要はありません。
>
>池田 2004.5.20 wrote:
>>結局のところ「同時にものがあって」という
>>いわゆるニュートン力学的関係っていうのは、
>>「運動で扱う時間のΔtに比べて観測のための光の時間が
>>極小である(0とみなす)」っていうだけの話だと思う。これを
>>極小だから0とみなすっていうのを矛盾といわれたら困るなぁ。
>
>池田 2004.6.14 wrote:
>>本質的には時間の方は時刻の定義なしに定義可能(だと思う)。
>
>池田 2004.6.4 wrote:
>>本質的には時間の定義があって、
>>時刻は時間を距離としたスカラ量として定義できるでしょう。
一貫してますよね。
時間は時刻の定義なしに定義可能。
時刻は時間を微分したものだから当然次元が違う。1次元が0次元になってる。
(微分をするということはΔt->0の極限をとることと同意)
1次元座標上の0次元のポイントが時刻なんだから、当然時間を距離として定義
可能です。
>すなわち、我々の新理論は、思考原理として、情報伝達速度の
>有限性における時間の幅(例えば過去から現時点)と相対関係の
>設定を出発点とするものである。
>このところで矛と盾を君に握られていたのでは、我々は
>理論を展開しようがないのだ。それから、
この出発点というのは、Yanagi氏の運動論には出てくるけど、他の運動論に出
てくるものではありませんよね。
新たに何かを導入するのなら、その理由が必要なはずです。
なぜ、それを導入するのか、あるいは導入することによって何が変わるのか。
>#a】予め、複数の物の存在がなければ思考は生じてこない。
>#言い換えれば、相対関係の成立が学問の出発点となる。
>#これが思考原理である。但し、精密学問では更に以下の事項も
>#考慮しなければならない。
>
>池田 2004.06.15 wrote:
>>思考なんてものを仮定する必要は無いと思うけど。
>>一般にニュートン力学の第一原理は「一個の質点」と
>>「外力」だけで定義可能な「慣性運動」です。
>
>a】項の指摘3(2004.06.18)
>「一般にニュートン力学の…定義可能な『慣性運動』です」なんて、
>定義の議論はここでやっていない。
学問の出発点は単一質点の運動です。
相対関係は関係ない って主張してるんですが、わかりませんか?
>池田 wrote 2004.06.18
>>ああ、そうか、わかりました。私の知らない慣性運動をあなたが
>>扱っているということです。私の使っている「慣性運動」とあなたの
>>使っている「慣性運動」はぜんぜん違うものをあらわしています。
>>で、何が元かって言うと、Yanagi運動論では「慣性運動」は
>>「慣性配分の原理」から成り立っています。が、そもそも慣性配分の原理は
>>「力積」なんて言葉が入ってて、ここでは力積が未定義なので、
>>定義の体をなしていません。力積を定義するためには力を定義する
>>必要があります。それと、相互作用を述べている以上、相互作用に関する
>>ことも定義しなければいけません。少なくとも、「慣性配分の原理」は
>>「原理」というには、あまりにも定義することが多すぎます。
>>ニュートン力学による慣性運動の定義は「質点の存在」のみを
>>仮定しています。質点の運動について議論しているのですから、
>>当然質点は定義済みです。そして、ガリレイの相対性原理は
>>まず二つの「慣性運動」から始まっています。たとえば、
>>「ガリレイの相対性原理が間違っている」という主張を
>>「3つの物体の慣性運動」で矛盾を示すのなら「ガリレイ流の定義で三つの
>>慣性運動を記述し、その上でその記述の矛盾を示す」必要があります。
>>「Yanagi流の定義で三つの慣性運動を記述し、その上でその記述の
>>矛盾を示す」なんてことをやると、Yanagi流の定義が間違っていることを
>>示しているだけになります。そこを理解してください。
>>私は、Yanagi氏が書いている「相対性原理が破綻」に対し、
>>Yanagi氏の書いた「矛盾点」が間違っていることを示し、
>>「相対性原理の矛盾はこのような手法では導けない」ことを書いています。
>>#相対性原理が間違ってないといっているわけではありません。
>>#相対性原理が正しいといっても、(v<<<cにおいては)矛盾なく
>>力学運動が記述できることは確かな事実だとは思っていますが。
>
>君が、思考、相対関係の設定、時間の幅など、我々の出発点たる議論に
>上記の事項がなぜ関与するのかを説明するように。
なぜかというと、Yanagi氏が矛盾すると言っていることが、既存の運動論で充
分記述可能なわけです。記述可能である以上新たな原理を導入する必然性はあ
りません。
時間の幅の議論はYanagi氏が言葉遊びをしているだけです。
本質的に、時間を微分すれば時刻になるわけです。逆に言えば、時刻を積分す
れば、時間になる。積分には当然幅がある。
それだけの話です。何か新しいことが書いてあるわけじゃない。
ただし、時刻から時間を求めるという話をすると、相対性理論上困るわけで
す。
つまり、はしょって書けばこういうことです。
「三体関係の矛盾」を矛盾とするためには、Yanagi氏の定義が必要なんです。
Yanagi氏の定義の上で矛盾するのは実は当たり前です。これは以前にすでに書
いてます。
#相対速度が0でないものを座標系変換で相対速度0にすることはできない
#という当たり前の事実があるだけです。
そのうえで、Yanagi氏の定義を使わずに一般的な定義の上で、Yanagi氏がいう
「三体関係の矛盾」が生じないことを示したわけです。
結果的には、一般的な定義とニュートン運動論を使えば3体関係は矛盾しない
ということが示せました。つまり「相対性原理が破綻!!!」というのは、あ
きらかに間違った主張であるといえます。
で、本質的にわからないのは、Yanagi氏があれを導入してどういう問題を解決
しようとしたのか、という問題と、「質点Aが時刻tに座標(x,y,z)に存在す
る」ということを、どういう風に受け止められているのかを知りたいわけで
す。そこには、時刻と座標の定義はあるでしょうが、情報伝達というのは関係
ないことになります。なぜなら、情報伝達先は未だ決定されていないからで
す。
不要な理由わかりましたか?
というか、私は「新たに導入された原理」は不要だと思ってるわけです。
あなたがそれを必要だと思うのだったら、それを用いて具体的に数式で表して
ほしいわけです。
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Yoshitaka Ikeda mailto:ikeda@4bn.ne.jp
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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