Re: 世界規模の間違い
takehiro yanagiさんの<cb2siv$sji$1@news2.bekkoame.ne.jp>から
>すなわち、我々の新理論は、思考原理として、情報伝達速度の
>有限性における時間の幅(例えば過去から現時点)と相対関係の
>設定を出発点とするものである。
>このところで矛と盾を君に握られていたのでは、我々は
>理論を展開しようがないのだ。それから、
まず第一に語っておきたいのですが、私はあんまり科学哲学には興味がなく
て、たとえば「運動の記述」という意味で物理法則が矛盾なく成立すれば
それでいいと考えています。時間と時刻についても、そうなんですが
ガリレイの相対性原理の元では人間が普段生活で実感している時間と時刻の観
念以上のものを必要としていません。
アインシュタインの特殊相対性理論上でもそれぞれの慣性系においてはそれの
延長上に過ぎません。
これが何を意味するかというと、今議論している物体の運動(を記述する)上
において、時間や時刻について新しい定義を引っ張ってくる必要は無いと考え
ています。
その上で、柳氏の物理論(と書きますが、これオリジナルは柳氏じゃなくて他
の方ですよね?ウェブページを見る限りでは理論的主柱は板橋 宏氏だと思
うのですが、そうなのでしょうか?)の最初の着眼点は私には「3体関係の矛
盾」なんだと思いました。判断違うかもしれませんが、そこからいくつかの話
が出てきたんだと考えてます。
で、私は1個実例を出しました。
<cari6d$54k$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>
ですね。私はこれをニュートン力学で容易に記述できます。
柳氏のやり方で矛盾を示してほしい、と考えました。
「三体関係の矛盾」私は、これが出発点だと確信し、かつそれは誤りだと考え
ています。ですから、答えてほしかったわけですが、どうにもお気に召されな
かったようです。
私の頭の中では空間に質点は確かに存在して、いかに観測がどう影響しよう
が、ある時点でそこに存在したことは確実に示せると考えています。
つまり、観測結果を組み立てさえすれば、いつの時点で質点がどこにあったか
は、その時点でわからなくても後にわかると考えてます。
アインシュタインモデルで言う時空の地平面の下は観測できないけど、それは
時間がたてば観測可能だという立場です。
で、物理法則として必要なのは、どう観測したかではなく、どこに存在したか
を問題にしているので、どう観測したかは付随した問題ではあるが主問題とは
なりません。
#ここでは量子力学については述べない。
>#a】予め、複数の物の存在がなければ思考は生じてこない。
>#言い換えれば、相対関係の成立が学問の出発点となる。
>#これが思考原理である。但し、精密学問では更に以下の事項も
>#考慮しなければならない。
>
>池田 2004.06.15 wrote:
>>思考なんてものを仮定する必要は無いと思うけど。
>>一般にニュートン力学の第一原理は「一個の質点」と
>>「外力」だけで定義可能な「慣性運動」です。
>
>a】項の指摘3(2004.06.18)
>「一般にニュートン力学の…定義可能な『慣性運動』です」なんて、
>定義の議論はここでやっていない。
ニュートン力学は、最初は複数のものの存在ってのは考えてないんですよ。
まず、1個の質点の運動について記述してる。ここに思考の入る余地はありま
せん。
つまり、「相対関係の成立」ってのは学問の出発点ではないのです。
ニュートン力学では、次に力の定義をしています。相対関係ってのはまだ出て
きません。そこらへんの考察がまだまだです。
>池田 wrote 2004.06.18
>>ああ、そうか、わかりました。私の知らない慣性運動をあなたが
>>扱っているということです。私の使っている「慣性運動」とあなたの
>>使っている「慣性運動」はぜんぜん違うものをあらわしています。
>>で、何が元かって言うと、Yanagi運動論では「慣性運動」は
>>「慣性配分の原理」から成り立っています。が、そもそも慣性配分の原理は
>>「力積」なんて言葉が入ってて、ここでは力積が未定義なので、
>>定義の体をなしていません。力積を定義するためには力を定義する
>>必要があります。それと、相互作用を述べている以上、相互作用に関する
>>ことも定義しなければいけません。少なくとも、「慣性配分の原理」は
>>「原理」というには、あまりにも定義することが多すぎます。
>>ニュートン力学による慣性運動の定義は「質点の存在」のみを
>>仮定しています。質点の運動について議論しているのですから、
>>当然質点は定義済みです。そして、ガリレイの相対性原理は
>>まず二つの「慣性運動」から始まっています。たとえば、
>>「ガリレイの相対性原理が間違っている」という主張を
>>「3つの物体の慣性運動」で矛盾を示すのなら「ガリレイ流の定義で三つの
>>慣性運動を記述し、その上でその記述の矛盾を示す」必要があります。
>>「Yanagi流の定義で三つの慣性運動を記述し、その上でその記述の
>>矛盾を示す」なんてことをやると、Yanagi流の定義が間違っていることを
>>示しているだけになります。そこを理解してください。
>>私は、Yanagi氏が書いている「相対性原理が破綻」に対し、
>>Yanagi氏の書いた「矛盾点」が間違っていることを示し、
>>「相対性原理の矛盾はこのような手法では導けない」ことを書いています。
>>#相対性原理が間違ってないといっているわけではありません。
>>#相対性原理が正しいといっても、(v<<<cにおいては)矛盾なく
>>力学運動が記述できることは確かな事実だとは思っていますが。
>
>君が、思考、相対関係の設定、時間の幅など、我々の出発点たる議論に
>上記の事項がなぜ関与するのかを説明してくれないから、
>我々は足踏み状態になっている。その上に、
その出発点は何のために導入したのですか?
物理法則に原理を導入する際は必要かつ最小限にするべきです。
では、これらの「原理」は柳物理論の何に必要なんでしょうか。
といったところで、私はそれが三体関係の話なんだと思ってます。
(これで理解はあってますか?)
私は、三体関係ってのはちゃんとガリレイの相対性原理で記述できますよ、と
主張しているわけです。そこには、思考や相対関係の設定や時間の幅なんてい
うのは必要としてない。まあ、時間の定義くらいはしておいたほうがいいのか
もしれないけれども。
ということで、次はYanagi氏の番です。私が記述した矛盾しない三体関係を
「何故矛盾しなかったか」あるいは「どこが間違っていて実は矛盾する」とい
うことを示さなければいけません。
「既存の理論で記述可能な現実の運動を記述できない運動論に価値はない」
ということには同意していただけるでしょうか。
>池田 wrote 2004.06.18
>>これ以上、ちゃんとした答えが返ってこなかったら、この後は、
>>fj.sci.physicsではなく、fj.soc.pseudoscienceで議論します。
>
>とまで言われると…。兎に角、ぼやいていても仕方がないから、
>互いに知恵を出し合って何とか議論が進むようにしようではないか。
>そうだろう、ナ、池田尚隆君。
まあ、あんまり深入りするなと妻に注意されたりなんかする今日この頃だった
りするんですが、個人的にはもうちょっと続けたいところではあります。
私は、
「既存の理論で記述可能な現実の運動を記述できない運動論に価値はない」
に同意していただけるのなら、まだまだphysicsで続けてもいいと思っていま
す。
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Yoshitaka Ikeda mailto:ikeda@4bn.ne.jp
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