In article <40DD83DE.4876A2AE@184_spam_yahoo.co.jp> "SHIMADA,makoto" <shimada181@184_spam_yahoo.co.jp> writes:
>Masahiko_KODERA wrote:
>> > 昭和 56 年(1981 年) 9 月 1 日の時点の平日ダイヤで
        :
>> #つくづく、高校に電車通学中って最後まで荷電は有るは釣り掛けは居るわ、

羨ましい、私なんざ毎日徒歩゛々々゛歩って通学してましたぜ。途中で
鉄道線を越えはしましたけど。

>     その頃の記録って今になってみると「貴重な資料」になって
>    しまっているんですね。最近、つくづく昔の旅行を思い出すと

言っちゃ悪いけど、単に嶋田さんが年を召されただけでは?

>    「しまった、あの時、あの列車(車両)の写真を撮っておくん
>    だった」と後悔することしきりです。その当時は何の変哲も

「記録」と言う意味では、色んな所に写真が残っているのだと思います。
一般個人では難しいけれど、鉄道雑誌やら新聞社やらが本気で探せば出
て来ます。

>    # もう10年もすると485系の写真さえも「貴重な」ものになるかも。

それを言い出したら、現在最新の車両でも50年か 100年すりゃ「貴重な
資料」になっちゃいます。10000 年経ったら「考古学的遺物」:-)
10000 年は兎も角、数十年レベルだったら、現在の動画やら写真やら図
面やらは 20-30年前と比べてより多くかつ鮮明に保存されている筈なの
で、社会レベルではそうそう貴重でも無さそうに思います。
# 個人レベルではそんな先の心配は必要無いし :-p

>     国鉄末期も北海道ではキハ22をまるまる荷物車代用して
>    いたりしました。どこかの盲腸線に乗りに行った時、当然
>    単行だと思っていたのに2両編成で来て、空いている方
>    (そんなことを考えるまでもなく、もう一方もガラガラだった
>    んですが)に乗ろうと思ったら、車掌から「こっちの車は
>    荷物用だからダメ」と言われたりしました。

私は列車に乗る為だけに旅行する事は無かったし、そもそも自分で自発
的に旅行出来る立場でも無かった小学校時代若しくはそれ以前に、何処
かで車両を注連縄と御幣、じゃなくてロープと紙で結界しただけの荷物
エリアを見た覚えが有ります。
# 機能的には同じだな...

>> ウチで関西へ出向してしまった祖父母とのやりとりで、よく鉄道荷物を
>> 使ってたみたいなんですが(〜'75)
>
>     当時、まだほとんどの駅に停車する荷物列車が運転されている
>    か、あるいは定期旅客列車に荷物車が連結されていたみたいです

小学校の頃、父が青森県内に出稼ぎ(かあ?) に行ってたんですが、月一
又はそれ以上に、上野駅迄母と送って行きました。その時、一緒にチッ
キを送っていました。
当時は、駅構内をトラクターみたいな小さい車が荷車を何両も引いて走
り回ってて、手荷物やら小荷物やらを列車に積んでました。荷物で圧倒
的に目立ってたのが新聞で、当時は東京で刷った早版を荷物車や荷物列
車で送ってたんですね。
-- 
                                椎野正元 (しいの まさよし)