池田尚隆君、反論ご苦労。君の反論に対する我々の更なる反論を送る。

反論せよ。

 

a】予め、複数の物の存在がなければ思考は生じてこない。

言い換えれば、相対関係の成立が学問の出発点となる。

これが思考原理である。但し、精密学問では更に以下の事項も

考慮しなければならない。

 

池田 wrote 2004.6.17:

>思考があるかどうかなんて関係ないです。

>二つの物体があれば、相対関係は存在する。

>それ以上のことは必要はありません。

>思考なんてものを仮定する必要は無いと思うけど。

>一般にニュートン力学の第一原理は「一個の質点」と「外力」

>だけで定義可能な「慣性運動」です。

 

a】項の指摘1

アインシュタインの「思考」に拠る実験(思考実験)は認めて、

我々の「思考」は認めない理由を書け。また、下のように

君も「思考」を使える理由を書け。それから、「思考」を

避けようとして「脳内」を使うという汚い誤魔化し論法を使うな。

 

池田 wrote 2004.6.17:

>ここで扱う、「慣性運動」が私の知っているニュートン力学の

>ものとYanagi氏の*脳内*のものが一致しているかどうか

>自信がないので書きました。

>...

>そもそも、ちょっとYanagi氏がどういう*思考*をしているのか

>詳しく知りたいので、ちょっと質問をします。別記事で投稿します。

 

池田 wrote 2004.6.17:

>Yanagi氏の論は間違っています。それを指摘しているのに、

>指摘しているところを理解しようとしているものだから苦労してます。

 

a】項の指摘2

先ずは、正しいか、間違っているかの返事を明確にすること。

必要があるか、必要がないかは総合的に決まる。論文を良く読め。

 

君自身が、汚い誤魔化し論法を使って混乱に陥っているだけだ。

そうでないと言うならば、

a】項の指摘1及び指摘2の再回答をきちんとしてみよ。

 

池田 wrote 2004.06.15

>一般にニュートン力学の…定義可能な「慣性運動」です。

 

a】項の指摘3

「ニュートン力学の…」の定義の議論はここでやっていない。

 

池田 wrote 2004.06.17

>ここで扱う、「慣性運動」が私の知っているニュートン力学の

>ものとYanagi氏の脳内のものが一致しているかどうか

>*自信がない*ので書きました。

 

池田 wrote 2004.06.17

>Yanagi氏の論は*間違っています*。

 

アホか。理論闘争で、自信のない根拠で反論(断定)するな。

「アホか」でなく「全くのアホ(断定)」の露呈。

 

b】情報伝達(光)速度の有限を考慮すると、

同時性に基づく相対関係が成立しなくなる。

自然現象である光速度の有限性をなくすことは出来ないから、

時間的な操作を考える。

 

池田 wrote 2004.06.15

>まあ、これはいいとしましょう。

> 

池田 wrote 2004.06.17(訂正1)

>訂正。いいとしてはいけないです

>「現にそこに存在する」のなら、観測から同時に組み立てなおせば

>相対関係は成立します。

>あるいは、どこにあるかは現実に観測される必要はなくて、

>時刻-位置の関数がわかっているのならそれに基づいて

>ある同時の位置を計算するだけです。

 

池田 wrote 2004.06.17(訂正2)

>訂正。光の速度が有限であったとしても、観測には影響するが、

>実際にそこに「ある」という事実はかわらない。すなわち、

>光の速度が有限であっても同時性に基づく相対関係は成立する。

>すなわちYanagi論は誤り。

 

b】項の指摘1

ホームページの「思考原理」を以下に再録しておいた。

何度も言わすな、論文を良く読め。

◆思考と相対関係の設定

地球と遠くの星の関係を考えてみよう。このとき星が見えていても、

情報伝達速度(光速度)の有限性により、現時点でその星が

存在しているという保証にはならない。

従って、情報伝達速度の有限性を一旦棚上げにしなければ

「相対関係の設定」はできないというわけである。

そして、後から情報伝達速度の有限性を復元し、

星が存在するかどうかを考えるのである。

この問題は、原理的には至近間の物体関係でも同じである。

 

b】項の指摘2

君のb】項に対する反論には「思考」が盛り沢山。

a】項の「思考原理」を否定しておいて、

己が「思考」を使うときは許されるのか。

つまり、「思考原理」を否定した途端、

一切の反論が封じ込められることが分からんか。

これが「思考原理」の威力であることを、論文に書いているのだ。

繰り返し言わすな、良く読め。

 

 

c】時間の性質を知らなければならない。幅のある時間は、

幅のない時刻との相互定義で成り立つことが分かる。

従って、時間は、ある時刻と次の時刻の間で規定される。

 

池田 wrote 2004.06.04〜17:

>以前から主張しているとおり、

>時間は「どんな慣性系でも同様に測定可能」です。

>相対論的に言えば、同時性はかならずしも成り立たないので、

>時刻の定義は「慣性系ローカル」な話になります。

 

c】項の指摘1

時間の定義に関する議論であって、時間の測定の議論ではない。

この指摘に対する回答をせよ。

 

>相対論的な話をし始めれば、「時間はどのような慣性系でも一定」

>だが「時刻は一定ではない(慣性系依存)」です。だからこそ、

>時間が先に定義され時刻は時間を元に定義されることになります。

 

>どちらにしても、時間が先に定義され、

>時刻の定義があとになるといえます。

 

>ある種の確定的反応がおきる間隔を基準として

>他の間隔をそのスカラ倍であらわす。それを時間と言う。

>たとえば、「光がある有限長の長さの距離を移動する間隔」

>などがあげられる。時刻は基準点からの時間であらわされる。

 

この議論は、幅のある時間と、幅のない時刻の定義に関するものだ。

汚い誤魔化し論法を使うな。兎に角、

下に挙げておいた(c】項の指摘2)己の発言の整理をして来い。

 

c】項の指摘2(以下は池田の発言の混乱・自己矛盾)

 

池田 2004.6.4 wrote:

>時間の幅を極端に短くする-(極限)->時刻とすれば…

 

池田 2004.6.15 wrote:

>時刻に幅がないのは当たり前なので、別に「幅が無い」と

>わざわざ書く必要はありません。

 

池田 2004.5.24 wrote:

>時間は時刻の積分だし、時刻は時間を微分したものに過ぎません。

 

池田 2004.6.14 wrote:

>本質的には時間の方は時刻の定義なしに定義可能(だと思う)。

 

池田 2004.6.4 wrote:

>本質的には時間の定義があって、

>時刻は時間を距離としたスカラ量として定義できるでしょう。

 

池田 2004.5.20 wrote:

>結局のところ「同時にものがあって」という

>いわゆるニュートン力学的関係っていうのは、

>「運動で扱う時間のΔtに比べて観測のための光の時間が

>極小である(0とみなす)」っていうだけの話だと思う。これを

>極小だから0とみなすっていうのを矛盾といわれたら困るなぁ。

 


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真理学会
事務局長 柳 健宏
『世界規模の間違い』 http://ggm.to/

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