In article <bo4s98$s1b$1@zzr.yamada.gr.jp>, Koichiro wrote:
>>  どのような状況で「デフォルト」なのかを考えるべきですね。
>
>考えた上で、いつ如何なる状況でも「デフォルト」という結論です。
>例外は、発信者当人が公開を前提にしたためた手紙・メール。

 「考えた」の内容は、後で引用する「それは郵便・e-mail 〜」
以下のパラグラフだということで正しいですか?
 一応確認です。

>>  Netnewsで見知った程度の人間に公開されて困るような「私信」を送りつけ
>> る事自体、そもそも「デフォルト」から大きく逸脱している、という事をどう
>> 評価しているのですか?
>
>Netnewsに投稿できる環境にあるならNetnewsに投稿すればよい話。
>なぜそういう手段を取らなかったのかという問題があります。

 どういう問題ですか?
 ちなみに、なぜ tom 氏の(現状は伏せられている)問題を
Koichiro 氏が知っているかのように語ることができるのです
か?

>>  郵政メール以前は、私信のやりとりをする間柄には当然一定の信頼関係のあ
>> るのが普通であったし、少なくともその信頼関係があるという確信の持てない
>> 間柄で公開されて困るような事を書くマヌケはいないのが普通です。件の判決
>> で「一般論」として非公開性が語られたのであれば、それはその前提の話です。
>> 
>>  ところが、電子メールの普及と共にそのあたりの自他の人間関係を把握でき
>> ないバカが増えてきて、あげくそのような前提条件をすっ飛ばして「私信の非
>> 公開性」を主張するようになってきたからこういう話になるだけの話です。
>
>それは郵便・e-mailの違いではなく、
>webやusenetという誰もが公に発言できる場の性質によるもの。
>
>マスメディアやミニコミ誌などへの寄稿は、連絡先が伏せられ
>編集部を通さないと筆者への連絡はできないのが原則でした。
>(イベント告知みたいに記事中に筆者の連絡先を記す例外はありますが)
>筆者への直接の連絡先を知っていること自体が
>「一定の信頼関係」の裏付けであったわけです。
>
>ところが、usenetでの発言は筆者個人の連絡先を明示する約束なので
>(webの掲示板では連絡先を伏せての発言が可能なシステムも多いですが)
>いきなり筆者に直接リアクションすることが容易になりました。
>
>そもそも、根本的な問題として
>usenet上で「一定の信頼関係」なるものをどうやって築くのでしょう?
>
>というわけで、私信の非公開性を「一定の信頼関係」と結びつけるのは
>現状ではむしろナンセンスとさえ言えます。
>そんなものはいっそ前提から外すほうが現実的でしょう。

 歴史的経緯を無視して、「現状そうなっているから」とい
う理由で「現実的」とするのは、良く言って暴論です。

 なお、ここは素直に読めば「Koichiro 氏は usenet 上で
一定の信頼関係を築く方法を知らず、築いたことも無い」
という表白であることになりますが、これは正しいですか?

 もしこれが正しいなら Koichiro 氏が知らないだけの話な
のでしょうが、usenet 上で「一定の信頼関係」を築く方法
は、複数あります。例えば公開されて構わない範囲でメール
交換することを蓄積するとか、NetNews 上でまっとうに議論
をするとか。実際、私にはそういう関係にある人物が複数い
ます。
 そして、そういう方法を知らない人物が信頼関係を云々す
ることは、非現実的です。「ナンセンス」という結論こそが、
ナンセンスですし、かような人物のいう「現実的」は、現実
には非現実的でしょう。

 もし上記の確認項目が正しくないなら、いったい何をした
くてあんな自明の問いを発したのでしょうか。その点を示し
て欲しいものです。
 そしてちなみにこの場合、「一定の信頼関係」を前提とし
た従来解釈が有効だと帰結できます。

>> >私信とプライバシーにまつわる歴史的経緯があるにせよ、
>> 
>>  あるにせよ、で切り捨てて良い話ではないです。
>
>上記のとおり、むしろ切り捨てるほうが現状に即してます。
>
>主客転倒ではありますが、
>まず「私信は無断公開するべからず」ありきで話を進めたほうが
>インターネット社会にふさわしいと思います。

 ふさわしいかどうかは知りませんが、現状はそうではあり
ません。現状に至る歴史的経緯もそうではありませんでした。
そして、将来においてそうなることを、少なくとも私は望み
ません。

 一定の信頼関係のある間柄でもないのに阿呆なメールを送
り付けてくる馬鹿を批判することもできない閉塞した状況が、
Koichiro 氏には嬉しいのかもしれませんが、私には嬉しく
ないのです。

>> >| ・公開されるような相手だと判断したらそもそも出さない。
>> >| ・公開されて困るようなことは書かない
>> >| などの防御策がいくらでも可能なのに
>> >という判断が付くような状況にない場合は
>> 
>>  そもそも公開され困るような「私信」を出す事自体が間違っているのであっ
>> て、
>
>いいえ、*送信者に無断で* 私信を公開することが間違っています。
>事前に了解を取れれば公開して構わないのですから。

 馬鹿が事前に了解などするものですか。この主張の前提に
は、相手がまともな応対をするという前提がありますが、そ
れが成立していないということを踏まえましょう。

 実際、今回の tom 氏は、私が公開前に通告したら、しきり
に脅迫をして公開しないように求めました。もっとも、tom
氏の主観的脅迫であって、実質脅迫にはなりませんでしたか
ら、無視しましたが。

曰く、「それをやったらお前も abuser だ!」
曰く、「それをやったら私(tom)はお前を abuser とみなす!」
etc.

 Koichiro 氏は、こういう馬鹿からの私信を批判するには、
どんな手法が代わりにあると主張するのでしょうか。もしく
は、別途挙げたストーカーの例でも構いません。
 それが説得力があり現実的な手段であれば、別に私もメー
ルの公開という手段に拘りはしません。水は低きに流れるも
のです。

>>  著作権法の保護するところの著作物であるための必要条件をいくつか満たす
>> 事が、即ちそれが法的権利を行使し得る著作物である事は意味しないと思いま
>> すが。。。
>
>これについても、インターネットの普及により
>公共に発言するにあたっての垣根が低くなったことを踏まえて
>考える必要があります。

 どこからそんな「必要」が生まれてくるんでしょう?

 本当に社会が必要性を認定すれば、やがて事例も積み重なっ
てきて法改正などもあるでしょうが、Koichiro 氏にはそれを
導くだけの主張ができるのでしょうか。

 少なくとも、現状で Koichiro 説に賛同している人の面子
を見回してみたらいかがでしょう。また、Koichiro 説を批
判している人の面子と、その実績を確認してみたらどうでしょ
う。確実に、考え直す一助になります。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学