ちなみに、「原則が崩れているかどうか」の判定は、どうやったら下
せるのでしょうね? 少なくとも、現状私には判定法が思いつかない。
各人が「思う思わない」の話をするだけで終わってしまうと、それは単
なる多数決にしかならないように思います。

# と言いつつ、私もとりあえず「思う思わない」を書きますが。

In article <bhnss9$gke$1@cala.muzik.gr.jp>, Naoto Zushi wrote:
>> > > その実名原則はもはや過去のものとなりつつあります。
>> > 私はそうは思いません。
>> 
>> 僕は過去のものだと思う。
>
> 実名が原則であるか、その運用が崩れているかは別問題でしょう。
> 運用が崩れているとして、その実名原則を維持できなくなった理由は、
>もっとほかの場所に求めなければならないと思います。
> 原則だから、必ずしも厳格に従う必要はないので、それはマナーとし
>て維持するかどうかの話ですが、マナーでないから、やらなくてもいい、
>というのがまかりとおるのであれば、私はそれこそ、fj.*をわざわざ利
>用する理由を失ってしまうと思います。

 ちなみに私も、「原則」はあると思っています。
 ただ、その「原則」が何ゆえ大切なのかを考えた上で、「何ゆえ」の
方だけ守るでも良かろうと判断していますが。

 なお、「何ゆえ」を考える手間を省略できるという意味で、マナーと
いう観点から考えるというアプローチは、それなりのモラルが維持され
ている環境という前提で有効と思います。

>> あるいは、
>> 自由なInternetに対しての破壊工作なのか... 
>
> その当たりの考え方は、よくわかりませんが、インターネットの何に
>対しての自由であるのか?
> リスクを伴わない自由、というのは単なるお子ちゃまだと思いますが、
>いかがですか?

 そもそも、自由という概念自体、「何からの自由」という「何から」
が無いと考えようが無い代物だと私は思ってます。例えば、言論の自由
という有名なフレーズは、そういう形で書き下せば例えば「言論に対す
る、国家権力による弾圧からの自由」などというものになるでしょう。

 厨子氏も言うように、単なる無条件などという話では、無秩序でしか
ないし、実際馬鹿の発言は無秩序ですしね。

 「何から」が必須という意味では、やはり現代という時代制約だの、
(主として)日本という地域社会における制約だの、そういうしがらみ
がいろいろある中で、自由という概念は考えないと発散していくだけで
しょうね。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp