! "<3efddddb$2$255$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 29 Jun 2003 03:27:43 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bdjnaj$c4e$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 他の行為は「行うに到った事情」が関係するけど、「批判」という行為だけは
>>> そうではないんですか?
>>> それは何故ですか?
>> 
>> それが言論というものです。

> 言論は無責任で構わないと?

もちろん、言論の内容に責任を持つべきですから、無責任ではダメです。

>> 消火の目的は火を消すことです。
>> 放火が消火の目的になることはないでしょう。

> 殺人の目的は人を殺すことです。

そして、人を殺した結果、自分が助かったわけですね。
自分が助かることを目的として殺人を行なったと言ってもよい。
# 「目的」のレイヤーが違うけど。

> 正当防衛が殺人の目的になることはないでしょう。

その状況を「正当防衛」と判断されるわけ。

> 繰り返しますが、
> 「正当防衛」は殺人が行われた状況に過ぎません。

殺人の目的が「自分が助かること」であるから正当防衛と看倣されるので、目
的と密接にからんだ話ですね。
人を殺すことの不当性と自分が助かることの正当性を状況を鑑みて秤にかけた
結果、正当防衛であると認定されるわけです。

> 「自分で放火した家である」ことが消火が行われた状況に過ぎないのと何ら変
> わらない。

これは、まさに状況にすぎないですね。

消火の一次の目的は火を消すことですが、二次の目的として、災害の拡大をく
いとめることや、自分が満足感を得ることなどがあるわけですね。
災害をくいとめることはよい事だし、満足感を得るのはそれ自体がダメなこと
ではないので、「消火」に関する限り、全体として「正当」の判断が下される
わけ。

そうした解析に「自分で放火した家である」ってのが入りこむ余地はないよね?

>>> だったら「共通部分はあるにしても別物」ではなく「プレーはプレー」でしょ。
>>> ファインプレーのファイン(素晴らしい)にあたるのが消火については「善意」
>>> であるわけ。
>> 
>> そして、ファインでないプレーは賞賛に値しないが、消火はそれ自体で賞賛に
>> 値するわけだ。

> そりゃ本当ですか?

善意であろうがなかろうが、火事を消しとめるのは賞賛に値することですね。

> じゃあ、
> 八百屋お七は「よくぞ半鐘を鳴らしてくれた」と賞賛されたんですね。:-P

実際に賞賛されたかどうかは知りませんが、

:http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/yaoya-ositi.htm
: するとお七が火をつけたものの怖くなり自ら火の見櫓に登って半鐘を叩いたと
: いう伝承とも一致します。つまりお七が付けた火はボヤ程度で済んだので奉行
: も情けをかけようとしたということで辻褄があいます。

という話もあります。
つまり、「半鐘を叩いた」というのは減刑のネタになるようなことだって話。
間違った行為は減刑のネタにはならないでしょうね。

> 勿論、「(善意からの)消火」であれば「それ自体で賞賛に値する」でしょう。
> #殆どの消火活動は善意からであり、一方、殆どのプレーはファインじゃな
> #い。という違いはあるにしても。

殆どの消火活動が「職務だから」でしょうね。メシのタネなわけです。
それが「善意から」ってのと矛盾しないっていうのなら、「自分の欲望を見た
すため」ってのも「善意から」ってのと矛盾しないでしょう。
# そもそも、「自分に対する善意から」ではあるわけだし :P

>>>> 「消火」と「消火に見える行為」は別物でしょうけどね。
>> 
>>> つまり「(善意からの)消火」と「(善意からの)消火に見える(けどそうではな
>>> い)行為」は別物であって「消火は消火」ではないってことです。
>>> 両方を主張するのは矛盾ですよ。
>> 
>> 括弧内を勝手に補って矛盾と称するのはいかがなものか。

> 常識的に考えて、職務でなく消火活動を行うのは「善意(という用語にこだわ
> るつもりはないが)」からでしょ。

理由はいろいろ考えられるでしょうね。
「善意から」とか「自己満足のため」とか「誉められたいから」とか「自分の
家だから」とか「自分やに家に類焼するのを防ぎたいから」とか「新聞に載り
たかったから」とか。
# 相互に排他ではない。

でも、そんなの関係なしに、消火活動は正しいことだし、内心がどうだろうと、
行動は誉められてしかるべきでしょう。

>> # しかも修飾のかかり方がwacky氏の主張にマッチしてないし。

> どこが?

「(善意からの)消火に見える(けどそうではない)行為」の「そうではない」と
いうのは修飾の仕方があいまいで、「消火でない」という意味と「善意ではな
い」という意味のどちらにも取れます。

> ま、とにかく「別物」であることは納得されたんですよね?

前者なら「別物」であるのは自明です :P
後者は、行為の評価につながる程「別」であるとは思いません。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK