KGK == Keiji KOSAKAさんの<be67a5$o52$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から

>>> 消火の目的は火を消すことです。

>> 殺人の目的は人を殺すことです。

>> 正当防衛が殺人の目的になることはないでしょう。
>
>その状況を「正当防衛」と判断されるわけ。

はい。
言い換えれば「正当防衛と判断される状況下で人を殺した」わけですね。
つまり、

>> 繰り返しますが、
>> 「正当防衛」は殺人が行われた状況に過ぎません。

です。

>殺人の目的が「自分が助かること」であるから正当防衛と看倣されるので、目
>的と密接にからんだ話ですね。

この場合は目的ですが「目的か否か」に意味はないでしょう。

>人を殺すことの不当性と自分が助かることの正当性を状況を鑑みて秤にかけた
>結果、正当防衛であると認定されるわけです。

こちらですね。これだけで充分。

>> 「自分で放火した家である」ことが消火が行われた状況に過ぎないのと何ら変
>> わらない。
>
>これは、まさに状況にすぎないですね。

はい。

で、他人の家に火を放つことの不当性と自分が消火によって快感を得ることの
正当性を状況を鑑みて秤にかけた結果、不当な行為であると認定されるわけで
すよ。


>> 八百屋お七は「よくぞ半鐘を鳴らしてくれた」と賞賛されたんですね。:-P
>
>実際に賞賛されたかどうかは知りませんが、
>
>:http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/yaoya-ositi.htm
>: するとお七が火をつけたものの怖くなり自ら火の見櫓に登って半鐘を叩いたと
>: いう伝承とも一致します。つまりお七が付けた火はボヤ程度で済んだので奉行
>: も情けをかけようとしたということで辻褄があいます。
>
>という話もあります。
>つまり、「半鐘を叩いた」というのは減刑のネタになるようなことだって話。
>間違った行為は減刑のネタにはならないでしょうね。

#KGK氏としては、ここは「何で二つの行為を結び付けるんだ」と憤る場面で
#はないんですか?

つまり、「罪は罪として罰され、半鐘を鳴らしたことについては賞賛された」
わけじゃないよね。


>>>>> 「消火」と「消火に見える行為」は別物でしょうけどね。
>>> 
>>>> つまり「(善意からの)消火」と「(善意からの)消火に見える(けどそうではな
>>>> い)行為」は別物であって「消火は消火」ではないってことです。

>>> # しかも修飾のかかり方がwacky氏の主張にマッチしてないし。
>
>> どこが?
>
>「(善意からの)消火に見える(けどそうではない)行為」の「そうではない」と
>いうのは修飾の仕方があいまいで、「消火でない」という意味と「善意ではな
>い」という意味のどちらにも取れます。

なるほど。それは気付かなかったな。
勿論「善意でない」という意味です。
#でないと「悪意から放火して善意で消火する」にならないやね。


>> ま、とにかく「別物」であることは納得されたんですよね?
>
>前者なら「別物」であるのは自明です :P
>後者は、行為の評価につながる程「別」であるとは思いません。

KGK氏の主観はどうでも良いんで、客観的に考えてください。
たとえばね、ある人が「炎の中から赤ん坊を救い出したスーパーヒーロー」の
記事を新聞で読んだとします。当然賞賛しますよね。しかし後日「堕ちたヒー
ロー」の見出しが踊る事にになる。実はその火事は彼が注目されたいが為に自
ら火を放った結果だったわけです。さて、それでもその人は「他人の財産を灰
に帰し、赤子の命を危険に晒してまでヒーローになろうとした行為」を賞賛し
続けるでしょうか?
ってことです。

-- 
wacky