KGK == Keiji KOSAKAさんの<bdjnaj$c4e$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 他の行為は「行うに到った事情」が関係するけど、「批判」という行為だけは
>> そうではないんですか?
>> それは何故ですか?
>
>それが言論というものです。

言論は無責任で構わないと?
そんなことはないでしょ。


>>>> #それを言うんなら「正当防衛」だって殺人と殺人者を無自覚に結び付けてん
>>>> #じゃん。
>>> 
>>> むしろ、殺人という行為と殺人の目的を結びつけてると言った方がよいでしょ
>>> う。
>
>> なのに、消火と消火の目的は結び付けないのですか?
>
>消火の目的は火を消すことです。
>放火が消火の目的になることはないでしょう。

殺人の目的は人を殺すことです。
正当防衛が殺人の目的になることはないでしょう。

繰り返しますが、
「正当防衛」は殺人が行われた状況に過ぎません。
「自分で放火した家である」ことが消火が行われた状況に過ぎないのと何ら変
わらない。


>>>>> 「ファインプレー」と「ファインプレーに見えるプレー」は、共通部分はある
>>>>> にしても、別物ですね。
>>> 
>>>> 「善意からの消火」と「自らの欲望を満たすための消火」も別物ですよ。
>>> 
>>> 消火は消火でしょ?
>
>> だったら「共通部分はあるにしても別物」ではなく「プレーはプレー」でしょ。
>> ファインプレーのファイン(素晴らしい)にあたるのが消火については「善意」
>> であるわけ。
>
>そして、ファインでないプレーは賞賛に値しないが、消火はそれ自体で賞賛に
>値するわけだ。

そりゃ本当ですか?
じゃあ、
八百屋お七は「よくぞ半鐘を鳴らしてくれた」と賞賛されたんですね。:-P

勿論、「(善意からの)消火」であれば「それ自体で賞賛に値する」でしょう。
#殆どの消火活動は善意からであり、一方、殆どのプレーはファインじゃな
#い。という違いはあるにしても。

>>> 「消火」と「消火に見える行為」は別物でしょうけどね。
>
>> つまり「(善意からの)消火」と「(善意からの)消火に見える(けどそうではな
>> い)行為」は別物であって「消火は消火」ではないってことです。
>> 両方を主張するのは矛盾ですよ。
>
>括弧内を勝手に補って矛盾と称するのはいかがなものか。

常識的に考えて、職務でなく消火活動を行うのは「善意(という用語にこだわ
るつもりはないが)」からでしょ。で、常識的に考えて、放火は悪意によって
行われるものと言える。従って、常識的には「悪意から放火して善意で消火
する」ってのは非常に考え難いよね。
括弧内は「普段は省略されている常識的な部分」を明示的に補ったつもりで
す。常識的におかしい部分があればご指摘を。

># しかも修飾のかかり方がwacky氏の主張にマッチしてないし。

どこが?
ま、とにかく「別物」であることは納得されたんですよね?

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wacky