>れ、同時に、共産主義が資本主義のシステムの高度に発達してその結果生じた
>矛盾を止揚して生まれてくるとするマルクスの予見を視野に入れて、現資本主
>義をタブーとせずに変革して行くべき。

まず、マルクス「資本論」第一章において、
‘商品’の分析がある。
ここで重要なことは、資本主義社会では富を商品の集まりと既定し、一定の比
率をもって交換され、商品は労働の生産物であるという共通性を前提としてい
るところだと思います。

しかし、マルクスの時代と大きく異なっているのは、もはや商品が労働の生産
物といえるのかという点です。最先端の工場では、ほとんど無人化したロボッ
トによる生産が行われている。資本家が労働を人間の労働からロボットに置き
換えたことで商品にはもはや労働がなくなったものがあるともいえる。少なく
とも自動化は労働を阻害している。資本家は自らの資本のみによって商品を市
場に送り交換しているとすれば、「一定の比率をもって交換する商品にはもは
や労働の生産物共通性はなくなった」ともいえます。ゼネストしても生産が続
く。コンピュータのスイッチをきらない限り、生産はストップしない。

現代においても、富とは商品の集合とするマルクスの分析が可能なら、労働な
き商品が登場した時代とも言える。「労働という付加価値を商品に持たせるこ
とで交換の比率すなわち交換価値を、商品を生産するのに必要な労働時間であ
らわす」とする定義では表現しきれないのが現代の資本主義ではないでしょう
か。

商品交換が、商品価値どおりに交換されるなら余剰価値は生じないが、労働力
を超える部分があればそれが余剰価値になる。この余剰価値が労働力の購入に
当てられればそれは資本になる。これが古典的な時代の余剰価値であったが、
現代では、事実上、労働という付加価値を抜きにして、余剰価値が生産される
ロボット形式の生産手段がある。生産された剰余価値が労働を疎外した生産手
段(不変資本)にまわされ、労働者の賃金である生活手段(可変資本)にはまわな
い。これは極端な例というのであっても、マルクスの時代に比べてはるかにこ
の傾向が強いのであります。さらに、労働市場を海外に求めた結果、国内での
この傾向はさらに高くなり、また、株式の買占めによるのっとり、売り抜けと
いう手法などは、もはや、不変資本の投入もなしに、単に、株式の売買(資本
の売買、貨幣の売買といってもよい)により余剰価値を生産しているのみのも
のであり、ここにいたっては労働も生産手段も疎外された形での、余剰価値が
誕生しているのであります。

労働の疎外というものが、失業の比率を高めるという次元のものではなく、人
間の存在そのものの基盤を根底から奪っていくという事態であります。
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現代においては、労働者の一党独裁システムなどという生産手段の領有で改革
できるものではなく、現代資本主義の抜本的な改革の方向は、はたして、労働
者の余剰価値なしでも、やっていくというこの現代資本主義に、いかにして労
働というものを定義し、労働というものを余剰価値に組み込んでいけばよいの
か、その方法はあるのかという、発想がいるのではないでしょうか。

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Fumimaro mailto:nonomura_f@hotmail.co.jp