"harumi" <haru_hd74dg6@hotmail.com> wrote in message news:<oZtdc.1193$ED.1102@news-server.bigpond.net.au>...
> "M_SHIRAISHI" <eurms@apionet.or.jp> wrote in message
> news:800c7853.0404090018.7d94f202@posting.google.com...
> >  心理学的手法とか人相学による判断はともかくと
> > して、論理学でもって、上記の案件に応えることは、
> > *論理的に不可能*である。
> >
> > 論理学という「道具」は、「(事実という)材料」が
> > 充分に揃っていないことには、≪使えない≫。(゜д゜)
> 
> そうか、やっぱりダメか。
> 
> それじゃ、この命題はどうだ、”9.11はテロリストの攻撃だった。”


それだけからは、価値のある命題は何も導かれない。

無限に多くの命題が導かれはするが、例えば、[9.11はテロリストの
攻撃だったか、またはテロリストの攻撃ではなかったかのいずれかだ]
とか、[9.11かイラクでの二人の日本人外交官の殺害かの、どちらか
少なくとも一方はテロリストの攻撃だった]とかといったような、
どれも、アッタリマエの、無価値な命題しか導かれない。


# それよりも、フセイン政権が大量破壊兵器保持疑惑を持たれていた
時に、もしも彼らが本当にそんなものを持っていなかったのであれば、
帰謬法という論理法則が使えた:−「もしも我々が本当にそんなもの
を持っていると仮定したら、かくかくしかじかの事実と矛盾する」って
な具合に。

もっとも、フセインの取り巻きに「時謬法が使える」ってことが分かる
ような知恵者がいたとは、到底、思えんが。 ヽ(^。^)ノ