Sin'ya <ksinya@quartz.ocn.ne.jp> writes:

>   こういう態度にどれだけ寛容になれるかも、バッシングが理解できるかでき
> ないかを分けるのかもしれません。

日本人の美徳として「(内心はどうであれ)公衆の面前でミーイズムを晒さない」
というのが少なくとも昔はあったと思うのですが、そこらへんが全く欠如した
態度でしたからね。うちの親は、あれを見て「いったい日本はどうなってしまっ
たのだろう」と嘆いてました。

>   焼き殺すとか言われて大きな苦しみのまっただ中にあるのだから、こういう
> 発言をするのも無理ないよな、と思うかどうか。

なんであれ、まず「政府を怨みます」は理解できません。拉致犯人と結託して
‘共通の敵’日本政府と戦っている…とでも思ってない限り、出てきようがな
い発言です。まぁ背景に鑑みても、日頃そういう思想でいるのでしょうけれど。

で、「敵」だと思っているのならそれはそれで良いのですが、いざとなると、
その「敵」に全ての責任を負わせて助けてくれ、助けてくれるのが当然の義務
だ、助けろ、という考えなわけです。なんて都合のいい連中でしょうか。反抗
期の子供がそのまま大人になったようなものですね。

>   「拉致して殺した連中(実際は殺さなかったが)、および、政府を怨みます。」
> なら、私には理解できます。「テロに屈っする」かどうかよりも家族を助け
> ことを優先するのは、家族の心情としては当然のことだと思うからです。

家族の心情としてはそうでも、普通はうちの家族のために極めて多数のひと様
に多大な迷惑を被ってくれとまではなかなか言えないものだと思ってましたが
(‘国’がテロに屈するというのはそういうことですから)、そうでもないんで
しょうかね。
また、「逆怨み」と自覚しつつ、それでもそう思ってしまう…のならば、まだ
理解できますが、全く「逆怨み」とは思わなさそうですし。

>   「家族の苦しみには同情するが、『テロに屈っする』のは受け入れられない
> よな。」を超えて、「バッシング」と言われるまでの現象が起きた理由が私に
> はよくわかりません。

少なくとも顰蹙を買った理由は明白に思えますが、付け加えると、一般に理由
がどうであれ調子に乗り過ぎると反感を買うものです。嫌がらせ電話が殺到し
たのはそのへんが原因だと思います。