ども、みやこしです。

木津健介 wrote:
>         今日は、木津です。

こんばんは。

> Miyakoshi Kazufumi wrote:
> > 私の書いた「あの最後」というのは、第12話のラスト15秒の事ですよ?
> 
>  勿論、そうでなければ「あのね商法」で話が繋がるはずはないと思うんです
> が^^;

ああ、良かった(^_^;
一応、木津さんの説を頭に入れた上で、シリーズ後半(第7話〜第12話)を
観直してみました。私が見落としていたものがあったかな、と思いましたの
で。
#DVDに保存した分のチェックが残っていたのでちょうど良かったです。
#セクタ異常があってもコピーが正常終了する、というのは何とかならない
#ものなのだろうか…コピーが正常終了しても、実際観たらブロックノイズ
#が乗ってたりする事があるので、いちいち観てチェックしないといけない…。
#これじゃ、高速ダビングの意味があまり無いよー(^_^;

結論としては、私の意見(=「あの最後」が無くても、やす菜がいなくなっ
てしまう事にはならないと思う)は変わりませんでした。少なくとも、木津
さんの説を首肯するだけの材料を見つける事はできませんでした。以下、そ
の理由を書きますが、長いので読まなくても良いです。別に、木津さんにこ
れで納得してもらおう、とか、考えを変えてもらおう、とか思っている訳で
は無いので。
ただ、私の意見を木津さんがはっきり「それはありませんね」と断定されま
したので、「そんな事もないですよ」という事を言いたいだけです。
#もっと文章を簡潔に書く事を覚えないといけないなあ>自分。

> > 「あの最後」が無くても、やす菜がいなくなってしまう事にはならないと思うの
> > ですが。その前までの描写で、少なくともやす菜がおばあちゃんの所に行く事は
> > 中止になって、はずむや、とまり達とも仲良くやっていけるようになった、とい
> > う事は示されています。これをもって、「結末は放送分でそれなりに入ってます」
> > とは言えるだろう、と思います。
> 
>  いいえ、まずそれはありませんね。なぜなら、やす菜が「行かなくちゃ
> ならなかった理由」が分からないままだからです。最終回を見る前までは本当に
> 病気療養とか位しか理由が思いつかなかった訳です。
>  ところがやす菜の荷物のまとめ方や一家で引っ越すという選択肢が取られない
> 事等から、どうもその線はないようだと思えるのです。勿論、両親が仕事優先
> とか言う事もあり得なくはないんですが、母親だけでも一緒に行くとか出来ます
> し、母親の演技だってもう少し違った感じになると思うんですよね。

いいえ、病気療養が理由であっても、これらに説明のつく解釈は可能です。

やす菜の両親や医者は、やす菜の病気の原因が精神的なものにある、とい
う事ぐらいはさすがに判っているでしょうから、とりあえず生活環境を変
えてみて、症状が改善するかどうか見てみる、ぐらいの事は考えられると
思います。
#今までそれを試したという描写が無かったですからね。症状が悪化した
#ので、新しい事を試してみようという話が出てもおかしくないと思いま
#す。

もしそうであれば、やす菜が引越しかと思うぐらいに荷造りをしていた事
も、両親がついていかない事も辻褄が合うと思います。むしろ、今まで傍
に居たのにやす菜の症状が改善しなかったのだから、生活環境を変えると
いう意味では、両親は居ない方が良いと判断され、両親もそれを納得して
いるのかもしれない。それに、見知らぬ他人の所に行くわけではないので
すから。
#まあそれでも、おばあちゃんの所まで送っていく、ぐらいの事はしない
#と変な気はしますけどね。あるいはおばあちゃんが迎えに来るとか。

>  そして最後に、少し沈んだようなやす菜が、だけどはっきりと希望を持った
> 声で「あのね」、そしてはずむがはっきりと明るい声で「あのね」。ここまで
> 来て、「あのね」に続く言葉が何であるか具体的に想像するのは難しいのです
> が、かと言ってどんな種類の話なのかを想像するのは容易い事です。

まあそうですね。私でも一つぐらいは想像できます(それは下の方に書き
ました)。でも、それはあくまで「想像」でしかありません。既に用意さ
れている第13話がその種類の話になるかどうかは判りません。
#何せ粗筋さえ公開されていないのですから。

>  又、何故「夏休み中にいなくなる」のか、と言う事も考えました。夏休み中
> ならクラスの人にわざわざ理由を説明することなくいなくなれる訳です。病気が
> 理由ならわざわざ自分から説明する必要はないでしょう。というか、もっと
> 早くいなくなって良かったし、11話で両親がはずむに会わせる事もなかった。

それは単に、今のままでは新学期からまともに学校生活が送れないから、
だと思います。症状が悪化したから、学校を休んでおばあちゃんの所で静
養する事にした、という理由でも辻褄は合うと思います。

>  もしかするとはずむは最終回冒頭の時点で既にやす菜が行ってしまう理由を
> 知っていたのではないか、とも思えます。「もう夏も終わり」というのは口調
> から言ってもやす菜が行ってしまうから、なのかもしれません。

それは無いと思います。だとすれば、「やす菜の傍に居る」という決意は
なんだったんでしょう?
#やす菜について行く気だった、というのは少し無理があると思いますし…。

>  延期の理由は「友達がいれば元々そうしていた予定」の時期にしたというだけ
> の事で。

という訳で、「延期」ではなく「取り止め」になった、というのが私の考
えです。

>  それで「結末は放送分でそれなりに入ってます」と書きました。又、だから
> どうしても「あのね」は必要なんです。

で、やす菜がおばあちゃんの所に行く理由が病気療養であったのであれば
(少なくとも病気に関係する事であれば)、やす菜がいなくなってしまう
必要性は(とりあえず第12話までの話では)無くなります。であれば、先
の記事にも書いた通り、「あのね」は必要無い、少なくとも第12話のラス
トに入れる、「物語上」の必要性は無い、と思います。
第13話を見てもらう為、という「商売上の」必要性はあるとしても。

長々と書いてきましたが、以上の解釈も可能である、という理由から、私
はやはり、木津さんが書かれた、
>  例えばあのシーンがなかったら、やす菜ってなんかよく分からない暗〜い
> 理由でいなくなってしまう訳で、その理由が明るいモノだと印象づける為の
> あのシーンだと思うんですがアレがなかったらその辺り、何とも収まりの悪い
> 話になっちゃう気がするんですがね。
という説は、「そう言いきれるだけの材料は無い」と思います。
「あのシーン」が無かったら、やす菜は居なくなるかならないかは「判ら
ない」であって、むしろはずむやとまり達と一緒に居られて幸せにやって
いる、という事で第12話までの物語はいったん結末がつく、と。

これは、携帯@さんが、
Message-ID: <newscache$sbngxi$i0e$1@news01a.so-net.ne.jp>
で引用されていた、「メガミマガジン」2006年5月号の中西監督の発言
『「みんなが考える恋愛ってこういうことでしょ?」というのが12話』
というのとも符合します。「恋愛って『好きな人と一緒に居る』という
ことでしょ?」と。
という事は、
『「でも、愛ってそれだけじゃないよね?」というのが13話』
というのは、何らかの理由でやす菜がはずむの傍から居なくなる(それ
でも二人は愛し合ってる)というような話を考えているんじゃないか、
という「想像」はできる訳です。
でも、そうだとは言い切れない。何せ、「あのね」の後のやす菜の姿は
描かれていないのですし、第12話までで、そうだと言い切れるだけの材
料も(少なくとも私には)見出せないからです。まして、第12話までで
描かれていない材料を持ち出す必要性があるようには思えません。

> > ですが、その直後のやす菜の「あのね」から、最後のはずむの「あのね」までの
> > 間(あるいは更にその後まで)にまだ何かある、って事なんじゃないか、と私は
> > 解釈したのですが。だから、「まだ全部は終わっていない」と書きました。
> 
>  勿論その線もあるんですが、今まで12話で5ヶ月です。今まで割と丁寧に作り
> 続けてきていた制作陣が急にさらなる展開を持ち出す必要が無さそうに思え
> ます。たったの30分を後半年で作れば良いんですから、今から全く話を作り
> 始めても良い訳です。

それならなおさら、やす菜をおばあちゃんの所に行かせる為に、第12話までの
話に全く関係の無い理由を持ち出す、等という事は無いと思います。

>  又、急にフルートの話を持ち出す唐突さについても、今までの感じを
> ぶち壊したくなかったから省いた、という理由が出てきそうです。

ここはちょっと意味が判りませんでした。「フルートの話」というのは、
第12話冒頭での、はずむの回想シーンの事でしょうか?
あれは、はずむがやす菜を好きになった理由(というかきっかけ)を説明
しただけだと思いますけど。

> > その「追加編」が、物語にとって特に必要なものでなければ、「あの最後」も必
> > 要無かったと思うんですよね。それをわざわざ、あのような、脈絡が無いとも見
> > えるような形で挿入されているという事は、その「追加編」が物語にとっては必
> > 要である、という事を示しているのではないか、と。
> 
>  で、もし制作陣が全く違う話を考えていて、今から話を例えばフルートの勉強
> の為、に変えたとしても全然差し障りが無く出来上がるし、話を全部青春のお話
> で埋め尽くせる訳です。何の差し障りもなく、ね。

そんな事は無いと思います。今さらそんな、第12話までの話の中で出てきて
いない、何の伏線も張られていないような話を持ち出したら、それこそ差し
障りがあるでしょう。何の脈絡も無いのですから。

フルートは、やす菜が他の人(特にはずむ)と関係を持つ為の小道具として
しか使われてきませんでした。やす菜がプロのフルート奏者を目指している、
とかいう話が今までにあったのならともかく、そうでないのに「フルートの
勉強の為」というような話を持ち出したりしたら、私は、監督とシリーズ構
成の「物語の構成力」を疑います。
#そんな話は無かったですよね…?(<少し自信無し)

>  今までここまで作り込んできた人達が、急にそれを覆す理由が思いつかない
> んです。又、まさかその人達に先んじて私がそういう事を考える、というのも
> あまりありそうにないし。

その「覆す」というのが、具体的にどんな事を考えておられるのかは判りま
せんが、別に病気に関係する話を持ってきても「あのね」に辻褄の合う話は
考えられますよ。

例えば、やす菜が、病気を根治する為に遠くへ行く、とかいう話とか。第12
話の時点では、症状は治まったものの、病気の根本的な原因は不明なのです
から、いつどんなきっかけで再発するか判ったものじゃありません。実際、
第11話でとまりと和解した後も、やす菜の症状は改善しなかった訳ですから。
#もし将来はずむと別れるような事になったら、また発症するかも。それで
#は、いつまでたってもやす菜ははずむから自立できませんから。

で、とりあえず対症療法は判ったのですから、それを手がかりにして根治療
法を調べる為に、やす菜がはずむと離れてどこか遠くの病院なり検査機関な
りに行く事にした、とかでもいい訳です。やす菜の「あのね」の説明もつき
ますしね。
#いったん離ればなれになるけど、今より強くなって帰ってくる、という決
#意の表れだ、とかね。上記の中西監督の発言とも符合しますし。

もちろんこれは私の想像でしかありませんが、少なくとも、やす菜が居なく
なる理由として、わざわざ病気以外の、今まで語られていない理由を持ち出
す必要はありません。

> > もちろん、これは私がそう考えているだけで、少なくとも木津さんはそうは考え
> > ておられないようですし、実際どうなのかは第13話を観ない事には判断できない
> > と思います。
> 
>  あえて言えば、むしろそれが判断出来ない人はわざわざ最終巻を買ったり借り
> たりする事なんてないと思います。
>  時間が勿体ないから。

第13話が物語にとって必要なものかどうか、という「判断」を、第13話を観
る前にできるとは思えません。まだ存在もしていない第13話を観る前のそれ
は、単に、自分にとって納得のいく「想像」や「解釈」ができた、というに
過ぎない、と思います。
#その「想像」や「解釈」に対して「それは物語にとって必要だ」「いや不
#要だ」という判断はできるでしょうが、現実に第13話という「答」が用意
#されている以上は、それはさして意味が無いと思います。

そもそも、何が物語にとって必要か、なんて判断には、多分に観る人の主観
的なものが入るのですから、たとえ制作者側が必要だと思って作ったもので
あっても、観る人によっては単なる蛇足にしか見えない、という事もありえ
る訳ですから。

-- 
宮越 和史@大阪在住(アドレスから_NOSPAMは抜いてください)
BGM : 夜明けの足音 by solua