Wed, 20 Apr 2005 23:05:56 +0900,
in the message, <426661c5$0$22311$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp>,
himtkitk <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote
>> きちんと言うのであれば、「(投稿が著作物に当ることを前提に)ネット
>> ニューズというシステムにおいて必要な限度の複製について黙示(時に明示)
>> の許諾をしている」とでも言うべきでしょう。
>
>junet の範囲では明示的にそうでしたが、現状を厳密に云うなら
>“ネットニューズというシステム上では、投稿された記事は
>黙示的に複製権について放棄したものと看做されている”
>と云う事なんでしょうね。

それは「法律論としては誤り」だと言っているのです。
特定の状況下でのみ権利を主張しないというのは、法律的には「権利の放棄」
ではありません。

# 法律論でないのなら、fj.soc.lawで無造作に使うべき表現ではありません
 (無論、fj.soc.copyrightでも法律論である限りは同様。)。

>仮に、有料のネットニューズに記事が流れれば複製権は放棄して
>無いと云う主張は有りそうだし、メディアが変れば放棄して無い
>との主張は当然出るでしょうね。

「法律論としては」そもそも「放棄ではない」のです。
せいぜい許諾でしかありません。
ですから「放棄していない」という主張は「法律的には」当然の主張です。

なお、これは「ネットニューズの利用が有料かどうか」とは何の関係もあり
ません。

>> 少なくともあたしは「放棄したつもりなど毛頭ない」し、そもそも、権利を部
>> 分的に放棄することなどできない。
>
>“権利を部分的に放棄”と言うのが複製権のみを指すとして、
>部分的に黙示の許諾と云う事かな?

「権利を部分的に放棄」とは、具体的に言えば

Thu, 14 Apr 2005 19:43:01 +0000 (UTC),
in the message, <3991656news.pl@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>,
kono@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji KONO) wrote
>実際、fj の記事は配送に関しては、複製権を放棄しているわけで
>すよね。

のことです。
即ち、「一定の状況での複製権(の行使権能)だけを放棄する」ということで
す。

許諾は「個別に与える」ことができます。
即ち、「一定の状況での特定の行為ごと(完全に個別でも包括的でもいい。)
に許諾を与える」ことができます。

しかし、権利の放棄は「全部放棄するかしないか」しかありません。
上記のような「特定の状況での複製を容認するという意味での部分的な放棄」
などというのは法律上はあり得ず、結局のところ「法律的に見れば許諾に過
ぎない」のです。
それを「放棄と考える」のも「放棄ではないが放棄と見做す」のも「法律的に
は全くの誤り」です。

複製権を放棄したと言うのなら、それは「ネットニューズの配信だけでなくそ
の他のあらゆる複製についても」放棄したことになってしまうのです。
「配信についてのみ放棄する」ということは法律的にはできないのです。

# しかし、「複製権を放棄」という表現ではまるで「複製ができなくなる」み
 たいに聞こえるのでやはり田村先生に倣って「複製禁止権」と言うべきか
 な。

>>  金が絡まないと著作権法違反でも黙認状態になることが少なくないというこ
>>  とはあるかも知れんがね。
>黙認状態と云うよりは、厳密には、権利がそのまま留保されて居る状態ですね、

意味不明です。
「権利が留保されている状態」とはどういう状態のつもりですか?

仮に「権利者が権利者の元に残っている(=留保されている)ので法律上権利
を主張できる状態にある」という意味だとすれば……
(尤も、それ以外の意味だとすれば意味が分りませんが。)。

ここで言う「黙認」とは「権利侵害の状態を知りつつ」何もしないことです。
ですからその場合「権利が留保されているのは当然」のことです。
だって「権利侵害」なんだから。
「留保されてない」のなら「侵害」になどなりえません。

一方、「権利侵害の事実を知らないために」何もしない場合というのもありま
す。
この場合においても「権利が権利者の元に残っているので法律上権利を主張で
きるという意味で」「権利は(権利者に)留保されている」のですが、「権利
侵害の事実を知らない」のであればそもそも金が絡むとか何とかいう事と全く
関係無しに「何もしない/できないのは当り前」です。
知らぬが仏と言うが如し。

しかし私が述べているのは「金が絡まないのならば」と言える場合であり、金
が絡むかどうかが全く関係ない場合について述べているわけではありません。
ですから、そのような場合をわざわざ除外する趣旨で「侵害を認識しているけ
ど」何もしないという意味で「黙認」と言っているのです。

従って、「留保が、権利者に権利が残っているので法律上権利を主張できると
いう意味である限り」
(それ以外にはどういう意味かさっぱり判らないが。)、
「留保」を前提に一定の場合の権利者の態度を表現した「黙認」という言葉
が、「厳密に」言ったからといって「留保」に置換わることは論理的に「絶対
にありません」。

ということで「何が言いたいのか意味がさっぱり判りません」。

……まさか単に、「権利行使を差控えている」言い換えれば「権利行使を保留
している」という意味?

それは法律論においては「留保」とはあまり言いません
(全く言わないと言ってもいいとは思うけど、一応「あまり」にしてお
 く。)。
法律論において「留保」と言えば、大概の場合は一定の法律関係について何ら
かの権利ないし義務を一定の主体の元に留め置くこと(e.g.債務が移転しても
契約当事者としての地位を移転しない限り同時履行の抗弁権は債務者に留保さ
れる。)です
(だから上では「権利が権利者の元に残っている」という風に読んでいるわけ
 だ。)。
あるいは権利義務に関する制限の存在を示す(e.g.明治憲法における臣民の権
利の多くには法律の留保がある。)こともあります。

とまれ、そういう意味だとすれば、わざわざ「黙認」と置換える必要性があり
ません。
どちらにしても要するに「侵害を認識しつつ権利を行使しない」ということを
言っているに過ぎないのだから、言っていることは結局のところ同じであって
全然「厳密」でも何でもありません。

むしろ、「黙認」には「容認する意図」を含むところ、「単に権利を行使せず
にいるという意味での保留」には「容認する意図を含むとは限らない(容認
すると決めたわけではないがとりあえず様子を見ているだけとか。)」のであ
るから、「黙認の方が範囲が狭いという意味で厳密」とすら言えます。

# それとも「厳密」という言葉の意味が違うのか?


なお、権利を行使しないのは権利者の自由ですが、権利を行使しないことの一
事をもって権利を放棄したと解するのは「法律的には誤り」です。
権利の行使は「義務ではない」ので「不行使の一事をもって直ちに権利者を不
利益に扱うことはできない」です。
また「不利益に扱うにしても限度がある」です。

# かの御仁はかつて権利を行使しないことが権利関係に変動を来すのが当り前
 のようなことを言っていたがね。
 二年ほど前の投稿だから見つかるかどうかは知らないけど、
 Message-ID: <3988268news.pl@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>参照。

>黙認だからと思い込むと、火傷するかも知らん。非形式主義の欠点でも有るが

# 「思い込み」ではなくて事実黙認であったとしても相手の気が変って後から
 文句を言われたときに困るのは同じ。
 だから、「黙認」などという不確かな状態ではなく「ちゃんと許諾を取るの
 が賢明」ということになる。

「非形式主義」って何のことですか?

もし「無方式主義」のことなら、普通は「非形式主義」とは言いません。
(あたしは聞いたことがないよ。
 って言うか多分その筋では誰も言わない。
 なぜなら条文上、「方式」という言葉を使っているから。
 それをあえて「形式」に置換えるのは全く無意味。)。

「無方式主義」のことだとすれば、権利者が権利についてどのような態度を
採っているのか明確でないというのは、「無方式主義の欠点」ではありませ
ん。
「(権利行使について)公示制度がない(あるいは不十分な)ことの問題」で
しかありません。
無方式主義は、権利の発生に関するもので権利の行使の問題ではありません。


例えば物権変動は、「意思主義であって形式主義を採らない」のが日本の民法
ですが、それでも、「公示制度によって取引の安全を図る」ことができます。
さらに、形式主義でなくても「公示制度に公信力を認める」だけでも充分に取
引の安全を図ることはできます。
逆に言えば、「形式主義を採ってもその形式を公示できなければ同じこと」で
す。
仮令形式主義を採って(一定の)契約書の作成というのを物権契約の要件とし
たとしてもそれを公示するかどうかは別問題です。
公示しなければ第三者から見て物権変動が明らかでないという点に変りはあり
ません。
ちなみに不動産は権利関係を登記で公示していますが、登記を信頼した第三者
が保護されないのは形式主義の問題ではなく公信力の問題。

つまり、重要なのは「権利関係の公示」手段。

著作権にも登録制度という公示制度があるにはありますが、被許諾者を特定し
ない一般的複製許諾の登録はできないのでここでは役に立ちません
(特定の許諾であれば契約を締結して契約書を作成すればいいので登録など
 する必要はなし。)。
……もっとも、債権(あるいは債権に類する対人的権利)の公示というのは、
どうあがいても限界があるとは思うんだけどね。

ということで、著作権における「無方式主義」、契約一般における「意思主
義」および「形式主義」、「公示制度」、「公信力」というものをを理解でき
ていないと言わざるを得ません。
はっきり言えば、法律的には初歩的な話なので法律的議論をする以上は、この
程度のことはきちんと理解しておきましょう。

と、「非形式主義」=「無方式主義」という仮定の上で話をしたけど、結局の
ところ「非形式主義」ってどういう意味ですか?

# 法律論である以上「用語の用法だけはきちんとしてくれ」。
 わけが解らん。

>NNTPで接続されている総体としてのネットニューズシステムでは、そのシステム内
>では記事の配送は複製とは認められない、と言う事になれば簡単だが、
>有料サーバーの可能性も含めると、そう簡単にはまとめられんでしょうな。

有料であることが何の関係があるのか全く不明です。

# まあ所詮思い付きだからどうでもいいけど。
 どっちであるにしろ、実用上何の問題も無いしね。
 ……実用上問題があるならどっかで訴訟の一つくらい起っていても不思議は
 無い。

「有料」に妙に拘っているようですが、法律論としてははっきり言って「どう
でもいい」ことです
(世の中金がすべてではないどころか金などごく一部でしかない。
 金で心は買えないよ。>L社のH社長さん。:-P)。
「どうでも良くない」というのであれば「なぜどうでも良くないのか」きちん
と説明してもらわんと。

なお、「どうでもいい」理由は特に述べる必要がありません。
なぜなら、「どうでも良くない」積極的な理由がないのなら「どうでもいい」
ということだから。

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp