神戸隆行さんの<opso7uvdjte5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>から
>> ただし、「会社からfjへの投稿」について言えば「不正行為かどうか意見が分
>> かれている」ではなく「不正行為とそうでない行為が混じっている」だけの話
>> でしょう。
>
>それをfjという括りで見た場合は
>是非が別れているとしか言いようがないと思うのですが?

だから、何で*一律*に分けなきゃいけないんですか?
「混じっている」ものは「混じっている」と認識すれば良い話。
無理矢理*一律*の判断をする必要が何処にあるんですか?
「良いものまで含めて悪いと言う」ことや「悪いものまで含めて良いと言う」
ことに如何なる利点があるのですか?
#「悪いものを良いと言い包めたい」んならともかく…

>>> 例えば各企業、団体、地方自治体毎に異なる規則があるとすると
>>> ある行為が不正かどうかはfj内で一律には論じられないでしょう?
>> wackyは何ら「一律に論じなければならない」必要性を感じませんよ。
>
>「必要性を感じない」の一言で済まされるとは思いませんでした。
>fjで遍く守られることが期待される憲章の条文や解釈に
>fjにおいて一律には成り立たない内容をそのまま組み入れることには
>抵抗があります。

だから、wackyは「入れるべきではないし、現状の文章をそのように解釈す
べきではない」とずっと述べているのですが、それが何か?


>>> 一体全体どれが不正でどれが不正でないのかどのように見分けるのですか?
>> 見分けません。
>
>見分けないのに不正が不正だとわかるんですか?
>
>>> そしてそういう状態で「fjさん」とやらは一体どんな判断を下すのです?
>> 判断しません。
>
>判断しないのに否定するという結論が出せるんですか?

敢えて引用削除された部分、つまり「事実が明らかで無い限りは…」を考慮す
れば理解できるのではないでしょうか。


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wacky