At Mon, 12 Jul 2004 22:18:12 +0900,
in the message, <20040712221704.ACBA.DSS@mbj.nifty.com>,
DSS <DSS@mbj.nifty.com> wrote
>よく勝訴した側が「言ってることが正しいと認められた」ってのはおかしいっ
>てことになりますね.

その人の「正しい」という言葉の定義次第。:-P


一般的には「おかしい」と言えるけど、「正しい=(少なくとも訴訟上)本
当」程度だとすれば、「言っていることが(少なくとも訴訟上)本当だと認め
られた」というのは「おかし」くはない。

ただ、多くは「裁判は『真実』を明らかにする機能がある」と勘違いしている
結果の発言。
……そりゃあ『真実』が明らかになるなら勝った側の言っていることは『真
実』に合致しているという意味で「正しい」んでしょう。
だけど、前提がおかしいから。
とすれば「おかしい」。

あるいは時として自己の正当性の根拠に裁判を援用するという戦術であるだけ
かも知れませんが。
訴訟の何たるかを解っている人間にはまったく無意味ですが、世人の多くには
それでも十分通用すると。

……どっちにしても先日の訳の判らない本の著者と同じじゃねぇか。

>では,勝った負けたの判断基準ってなんでしょう?(^^;

当事者の内心。
当人が「勝った」と思っていればそれは「勝った」のです。:-)
……主張が全て認められなくてもなお「勝った」と思う人はいないと思うけど
ね……。(^^;

# 原告の訴え取下げを被告が「勝った」と言う人もいますが、再訴は原則とし
 て禁止ではないので法律的には「ノーコンテスト」(無効試合)。
 それを「勝った」と表現するかどうかは専ら当人の意識の問題。

いずれにしても勝った・負けたは法律外の話。
「勝訴・敗訴」という表現自体、便宜上使うことはあっても厳密には「法律用
語ではありません」
(意味無いからね。
 所詮当事者のどっちから見るかによっても変る相対的な見方でしかない
 し、認容判決が実質原告敗訴ということだってないわけではない。)。
法律論としては、本案判決には請求が全面的に認められるか一部認められるか
全面的に認められないかしかない。
即ち、認容判決と棄却判決しかなく認容判決の一種に一部認容判決がある、と
それだけ。

だからあたしは、理由中の判断に結論に影響しない蛇足があっても法律論とし
ては「それがどうした」でしかないと思っている。
足りない方は問題だけどね。
何しろ理由不備は上訴理由になるくらいだから、仮令そこまでひどい欠缺で
ないにしてもやはり足りないというのは判決に理由を付す趣旨からは問題が
大きい。
でも、蛇足は、どうでもいいことであるという意味では感心しないが、ちょっ
とくらいあったからと言ってそれだけの話。
目くじら立てるほどのもんじゃない
(いや結論に影響しないのに相殺の抗弁について判断するのはまずいが。)。
あまりいっぱいあると、雑音になって肝心な理由が解りにくくなるから問題だ
が。

……新堂説を採って争点効を認めるとなるとそうはいかないんだけど……、井
上裁判官は実は個人的には新堂説だとか?(^^;

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp