Re: なごり雪
古寺っす。
kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp さんwrote:
> > ええー!? センパイ(違! _o_)意外と出歩かなかったっすか?
>
> 古寺さんがセンパイなんでしょ :-P
んなこたないのは、下記の事実からも明らかなんですが(^^;
> > 一人で盛んに出歩くようになった'80前後で、長距離客車鈍行は東海道スジ
> > 以外で健在。定期の優等で十和田、八甲田、鳥海などの座席。上の設問?
> > がちょっと微妙ですが、寝台主体で外れる急行がボチボチ...
>
> 私は鉄というよりただうろうろするのが好きで、信州周遊券を目一杯
私も旅はそんなもんですよ。カメラ持ち歩いても基本的には電車を撮る
ためじゃなかったですし。信州ワイド...結構使いでが有りましたよ
ね〜って、きっと久野さんには信州均一の方がしっくりこられるのでしょ
うけど:-)
> ぐるぐる、というのばっかりでした。YH大好きだったので夜行は乗らな
> い。だから165系「アルプス」「佐渡」「信州」とかばっかり。
#う"っ、YHも毎泊が厳しく、信州ワイドですら夜行ターンとか使ってし
#まった。で、
> 客車「白山」に乗って上野に到着したことはあったな。 久野
「白山」が客車、客車、客...(エコー^^;)。'80頃だと、定期信州と、
アルプスは少なくとも臨時('80だと14系ですが)のそれぞれ夜行で客車
列車が有りました。上野行夜行信州に「成る」普通に乗っていたら横川−
軽井沢の降水雨量で普通、成る前に長野打ち切り。これまた旧型客車の
夜行赤倉で、名古屋回りで帰された事も。
とか、件の歌の時代よりずっと下った'80年代でも前半は、東京口が寝
台専用以外の客車列車が壊滅した他では、各方面に残存。しかも座席主
体の定期ほど旧型客車率が高いような状況でした。'82頃ですかね、い
わゆる固定編成客車(新型)の組成を融通効くようにして、編成内容が多
彩な定期急行に組めるようにしていったのは。ほどなく民営化と共に機
関車牽引自体をどんどん無くしていく方向になったわけですが。
大雑把には、客車列車、特に定期に旧型(雑型)が残りがちだったのは荷
物車・郵便車との組成が有ったりその名残という見方が有り、郵便輸送
の撤退を経てやめやすくなったとか。夜行需要の減少などとの複合要因
も有った事は当然としても。
話戻すと、ちょうどこの歌の出た年に実際乗っていたとは言え、我々が
臨時急行の例を重ねたのはちょっとミスリーディングだったような来も
します。これは書きましたが、'75-3以前に遡れば東京口ですら「桜
島・高千穂」が定期で有りましたし、12系、座席14系が「波動用」と
いう新製名義のままもっぱら使われていて、臨時より定期の方が汽車っ
ぽかった時代が'80年あたりまで継続中でしたし。
あと、乗物に普通に疎い(^^;ウチの親達の感覚だと、蒸気牽引じゃなか
ろうが、たとえ動力的には電車化されていようが、国鉄で国電以外は
「汽車」と通称して憚らないものでした。実務や趣味、あるいは研究的
な言葉を交わすために、用語を厳密に運用する場合でなければ、そんな
ものじゃなかったでしょうか。今はよっぽどでなければ小数残る客車列
車も、気動車列車も「電車」を代表として通称するようなもので。
#件の歌の作詞者が特に汽車という言葉をラフに使ったとは思えないと
#いうことで。'73年に「東京」で「汽車」と言われて、SLはどこだろ
#う?と考えちゃう事は一般的に無かったと思いますけどね。いや、や
#や少し昔を歌ってるとも取れたかな(レトロっぽく)??
#'72年、鉄道100周年で汐留から横浜の方へSLが特別運行された時点
#で既に東京でのSLはリバイバルだったはずです。5年も遡れば、親の
#転勤で沿線に居ながら乗りそびれた(と後年知った)と以前ネタにした、
#我孫子経由成田行きのSLが上野から出ていたようなんですが。
##西武山口線って都内でしたっけ?ってのもナンセンスですよね(^^;
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