KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjceog$e0u$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> #普通の流れで考えれば普通に「そのような機会に遭遇した場合」という前提
>>>> #が設定されるものと思われるのですが…
>>> 
>>> 前提は、せいぜい、「そのような行為があったとして」という程度の話でしょ?
>>> そこから先は限定されてないと思いますが。
>
>> それだけの前提があれば「そんな状況に出くわすかどうか分からないから」み
>> たいなイイワケが変なことはお分かりですよね。
>
>「そのような行為があった」ということと「そのような行為に対する評価を表
>明する状況にある」ってのは、相当差があります。

#差があるかどうか知らないが、何故、突然、意味も無く、*誰も想定してい
#なかった前提*を持ち出すんですか?

結局の所、
1.一般的な前提と同じ条件下で語れないのは何故だろう?
というのが第一の疑問で、
仮に第一の疑問に「私は一般的な話の時と何ら前提を変えていません」といっ
た回答がなされたとしたら
2.じゃ、一般的な話と自分を含めた場合で回答が変化するのは何故だろう?
という第二の疑問が湧き上がるわけです。


>>>>> どっちにしても貶すことはない。
>>> 
>>>> つまり、
>>>> 自分自身を考えに入れた場合はそこまで後退せざるを得ないわけですよね。
>>> 
>>> 後退もなにも、最初からそういう主張しかしてませんが。
>
>> 「褒められてしかるべき」だったのでは?
>
>そうですよ。
>普通、「褒められてしかるべき」だからといって「褒めなきゃいけない」わけ
>じゃないし、「褒められてしかるべき」ことを貶すことはないでしょ?

#理屈としては決して誤りではないけどね…。^^;
#10という値があったら「10です」と言えば良いわけで、何の理由も無く
#「マイナスではない」と表現するのは間違いでなくても不自然だし、大抵の
#場合、そこには「10と言うのが憚られる何かがある」ものと推測されるわ
#けです。

>> 普通、「褒められてしかるべき」行為に相対した場合、大抵の人は「褒める」
>> だろうと考えられるわけです。勿論「褒める褒めないは個人の勝手」ですが、
>> それを考慮した所で「大抵の人は褒めるだろう」という考えを否定できるわけ
>> ではないですね。
>
>評価を表明する人は褒めるでしょうね。

では、KGK氏は「(彼が放火魔であろうと)そのような行為に対する評価を表明
する状況にあれば褒める」んですね?
#なら、最初からそう言えば良いのに。


>>> で、wacky氏は、「自分で放火して自分で消火する」という例での「消火する」
>>> という行為に対して、褒められてしかるべきだと思いますか? 貶されてしかる
>>> べきだと思いますか? それとも何か他の主張を持ってますか?
>
>> だから、それだけの状況描写がされているのに「消火」だけを無理矢理切り出
>> して一般化(した評価を)しようとすることが誤謬の始まりでしょ。
>
>全然。
>「自分で放火した」という状況を考慮しつつ、「消火」の評価をすればいいん
>でしょ?
>その状況下で「消火」するのは間違いなんですか?

間違いでしょ。というか、*繰り返します*が「消火」だけを無理矢理切り出す
ことが誤謬の始まりですってば。

この場合の「消火」は、その行為によって完結する「一連の行為によって形成
される一つの行為」の一部に過ぎません。ここで評価されるべきは「自分で放
火して自分で消火した」という全体であると言えるわけです。
だから、この立場から見れば「自分で放火して自分で消火した」への評価は
「消火(活動を通じて注目を集める)する為に放火した」という時系列を逆転し
た表現への評価と何ら変わらないわけだが、KGK氏の論法からすると「それは
放火に対する評価だ」ということになってしまうでしょう。同じ事を表現を変
えて言っただけなのにね。

#念の為。
#ここで気軽に「消火」と呼んでいる行為にしても
#・バケツを持ってくる
#・水を汲む
#・炎に対して水を掛ける
#といった「一連の行為によって形成される一つの行為」であるわけですね。
#たとえ、全体を名付ける簡便な名前が無かったとしてもそれは同じ事です。


>> 正当防衛が一般的な殺人と区別されることを考えれば「行為の行われた状況」
>> が「目的の正当性」に関係すること、従って判断材料として考慮すべきである
>> ことに議論の余地は無いでしょう。
>
>それは、「行為の行われた状況」が何でも「目的の正当性」に関係することを
>示していません。
>「行為の行われた状況」が「目的の正当性」に関係すること場合があるってだ
>けの話。

充分です。
その一例だけでも*考慮する必要がある*ことの立派な証拠でしょう。
この時点で、「「消火」という行為のみを切り出して評価せよ」という主張は
否定されているわけです。


>だから、「自分でポイ捨てをしてる」という状況が「目的の正当性」に関係す
>るというのなら、「目的の正当性」にどのようにかかわって、どの程度不当な
>ものになるかを示してください。

自らの欲せざる所を…(略)
#「何で人を殺しちゃ駄目なんだよ?」って尋ねられてるような気が…。^^;

-- 
wacky