KGK == Keiji KOSAKAさんの<biprf2$i70$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 元々「その行為は褒められてしかるべき」と言った時の*それ*ってのが実際に
>> 存在した何らかの行為を指しているわけではないでしょ。
>> なのに、自分に水を向けられた途端に「実際にそのような機会があるか否か」
>> という話になってしまうのは何故でしょう?
>
>いつものように、正確に表現しただけのことです。

<皮肉>んじゃ、何で*自分に水を向けられる前は*正確に表現しなかったんで
しょうかねぇ?</皮肉>

>> #普通の流れで考えれば普通に「そのような機会に遭遇した場合」という前提
>> #が設定されるものと思われるのですが…
>
>前提は、せいぜい、「そのような行為があったとして」という程度の話でしょ?
>そこから先は限定されてないと思いますが。

それだけの前提があれば「そんな状況に出くわすかどうか分からないから」み
たいなイイワケが変なことはお分かりですよね。


>>> どっちにしても貶すことはない。
>
>> つまり、
>> 自分自身を考えに入れた場合はそこまで後退せざるを得ないわけですよね。
>
>後退もなにも、最初からそういう主張しかしてませんが。

「褒められてしかるべき」だったのでは?
普通、「褒められてしかるべき」行為に相対した場合、大抵の人は「褒める」
だろうと考えられるわけです。勿論「褒める褒めないは個人の勝手」ですが、
それを考慮した所で「大抵の人は褒めるだろう」という考えを否定できるわけ
ではないですね。にもかかわらず、KGK氏個人に関しては「貶すことはない」
になってしまうわけ。
これを「何でだろう?」と思わない方が変でしょ?


>で、wacky氏は、「自分で放火して自分で消火する」という例での「消火する」
>という行為に対して、褒められてしかるべきだと思いますか? 貶されてしかる
>べきだと思いますか? それとも何か他の主張を持ってますか?

だから、それだけの状況描写がされているのに「消火」だけを無理矢理切り出
して一般化(した評価を)しようとすることが誤謬の始まりでしょ。


>> 繰り返し申し上げている通り、それ(自己棚上)は「目的の正当性」にかかわる
>> 「行為の行われた状況」であると言えるでしょう。
>
>「目的の正当性」にどのようにかかわって、どの程度不当なものになるんです
>か?

正当防衛が一般的な殺人と区別されることを考えれば「行為の行われた状況」
が「目的の正当性」に関係すること、従って判断材料として考慮すべきである
ことに議論の余地は無いでしょう。

「自己棚上」という状況に限っては「考慮する必要はない」と言うのであれ
ば、そのように主張する方がその根拠を提示するべきでしょう。

-- 
wacky