KGK == Keiji KOSAKAさんの<bh511a$fsb$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> さらに言うと、
>>> 1. 個人的なレベルの迷惑が個人的に生じる
>>> 2. 社会的なレベルの迷惑が社会的に生じる
>>> というものだけでなく、
>>> 3. 個人的なレベルの迷惑が社会的に生じる
>>> 4. 社会的なレベルの迷惑が個人的に生じる
>>> というもの考えられるわけ。
>
>> 全然ワカラン。^_^;
>> 3とか4とかって何なの?
>
>ええと、まず、「個人的」は「社会的でない」というぐらいの意味で使ってる
>ので、「社会的なレベル」ってのは「社会的に許容不可とみなされるレベル」っ
>て意味で使ってるのはいいのかな?

いいですよ。
その意味で把握しているのであれば「複数の人が同様の個人的考えを持ってい
たとしても、それだけでは社会的ではない」ことも分かりますよね。

>で、例えば、きつい香水の臭いが迷惑だって人は多くいるけど、今のところは
>「社会的に許容不可とみなされるレベル」とは言えないよね?
>でも、頻度からすれば、「社会的に生じる」と言っていいほど生じてるわけだ。
>というのが3の例。

「社会的に(迷惑が)許容不可とみなされるレベル」でないのに「社会的に(迷
惑が)生じる」というのは明らかな矛盾。そりゃ単に個人的迷惑を感じる人が
複数いるだけでしょう。

>
>4の例としては、駅でバットを振り回すのは、普通、「社会的に許容不可とみ
>なされるレベル」だってのはいいよね?
>そんなの、滅多に起こらないから、「社会的に生じる」とは言えない。

「滅多に起こらないから」ってのは全然「社会的に生じない」理由にはならな
いでしょう。


>私がいいたいのは、
>・事実関係があるかどうか分からないのに、事実関係があるかのように表現す
>  るのは誤り。
>ってこと。

私が言ってるのは
・事実関係の有無にかかわらず、事実が存在したものと*みなす*のだ。
ってこと。

で、一旦、「みなすという認識」が成立したならば「実際に事実関係があった
かどうか分からなくても事実関係があるものとして表現して良い」わけ。
#「みなす」という前提があるのだから。


-- 
wacky