佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>Date:2005/05/14 02:07:51 JST
>Message-ID:<koabe-C49426.02075114052005@news01.sakura.ne.jp>
>
>別物というか、広義の表現の自由に内包される、
>法律学としての精緻化された狭義のもの、なのでは
>ないですか?

広狭の問題は確かにあります。
しかし広狭の問題であればなおのこと
「それは(狭義の)表現の自由ではない」
のです。
……ちなみに別投稿で示したとおり
  質的に差があると思っています。

そしてここが最大のポイントでもあるのですが
検閲の禁止で特に問題になる
「人権の希薄化」というキーワードで語られる現象があります。
すなわち範囲を広げる代わりに制限を広く認めることで
人権の価値を低くしてしまうというもの。
(ちなみに範囲を広げて制限しなければ
 今度は他者の権利を侵害しかねず
 結局妥当な解決になりません。)
人権でないものまで人権だ!人権だ!ということによって
人権の価値を低めるのであれば
それはまさに人権軽視の姿勢だと批判せざるを得ません。

> なぜ関係性を否定するのかが
>理解できないです。

では理解してください。
上にも書きましたし
以前にも別の角度で書いています。

ちなみに関連性があるとしても不適当な用法であることは
再三再四書いています。
……関連性があるからいいでしょというのは賛成できません。

>であるならば、ルール作りのある局面において、
>法律学とは異なる用語を導入すること自体が咎め
>られるのは、おかしいのではないですか?

何回でも繰り返し書きますが
あえて違う概念を持ち込むことで
何かメリットはあるんですか?
混乱の素以外の何物でもないと
何回も指摘しています。

>法律学なのか、憲法学なのかという問題はありますが、
>部分社会において、あるいは国家や自治体などの統治
>ではない局面において、公権力と私人との対立構造を
>想定している概念が、有効性を持ち得るのでしょうか。

?
持ち得ません!
だから使うなと主張しています。

>なんで、権利を侵害されてはならないのですか?

正気?
権利を侵害されてはいけないなんて思っているなら
表現の自由などとはいよいよ使ってはいけません。

ちなみに法哲学ではそれなりに答を用意していると思いますが
実は権利だから侵害されてはならないのではなく
侵害してはならないゆえに外部に要求できるものを
権利と呼んでいます。
侵害されないものを権利と呼んでいるんだから
「なぜ」というなら「そういう定義だから」ということです。

そしてなぜそれを侵害されないものと考えたかと言えば
それは「立法者」がそう考えたからです。
そしてその立法者が考えたことが妥当かどうかは
法律学の範囲ではたいていありません。

>なんで制限されてはならないのですか?

制限自体が権利の侵害になるからです。

>なんで制限されないのでしょうか?

制限自体が権利の侵害になるからです。

そうです。
世の中がそれなりに関連して動いている以上
誰かの権利の行使は誰かの権利の侵害になっているかもしれません。
その調整をはかること自体も誰かの権利の侵害になり得ます。
ですから法律学ではそこで
「侵害か否か」「権利か否か」「いいかだめか」
の二分論で極論に走ることはしないのです。
あるものはそもそも権利ではないとし
あるものは権利ではあるけど制限可のものとして考える
その制限も多種多様なものを考える
そういうことをしています。

「広い意味で表現の自由なんだからいいんじゃないか」
という主張は
それ自体人権の希薄化で容認できないことは上でも述べましたし
混乱を招くだけだということも述べましたが
二分論をとらず妥当な解決を目指している過程を簡単に否定している割には
代替策がない(もしくは法律学のアプローチ以下な)ので
きわめて非建設的です。

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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