佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>Date:2005/05/05 21:07:40 JST
>Message-ID:<koabe-F63175.21074005052005@news01.sakura.ne.jp>
>
>fj.*では、個人の尊重がなされるべきだ、という話が出てきた
>場合はどうなるのだろう。

「そういう曖昧な命題は
 誰でも賛成すると思うけど
 細かい議論になった時には全く役に立たない」
と言いますね。私なら。

まずもって「何をもって尊重したことになるのか?」が
一意に導き出されないでしょう?
そして最大の問題は
例の本のp154
「あるAさんの人権を侵害するBさんの行為というのは、
 Bさんにとってみれば人権の範囲内の行為なのかもしれないのです。」
を「尊重」で書き換えてみましょうか。
「あるAさんの人権を尊重しないBさんの行為というのは、
 Bさんにとってみれば尊重されるべき人権の
 範囲内の行為なのかもしれないのです。」
「人権の尊重」がまるで役立ってないでしょう。

これでわからなければ具体例
「他者をおとしめるような言論」
言論が尊重されるならおとしめられた他者は我慢しなければならない。
おとしめられるのが嫌なら言論には引っ込んでもらう必要がある。
だから普通はどっちかを絶対視しないで
どこかで折り合いを付けようってことになるはず。
余談だけどその折り合いの付け方の1つが

>Date:2005/05/05 19:47:51 JST
>Message-ID:<20050505194751cal@nn.iij4u.or.jp>

で詳しく書いている事前審査と事後審査の区別な訳ですが……。

ところがその折り合いをどこでつけるかという時に
「個人の尊重がなされるべきだ」というのは
相反する2つの意見のどちらの根拠にもなるんで
全然役立たずなのです。

>憲法で保障されているくらいだから、私人間でも互いに
>尊重しあおうとかなんて話があっても、私には今のところ
>違和感はありませんが、言論の自由となると違うのかしら?

言論の自由にしてもそうだけど
あまり広すぎると反対できませんわな。
反対できないけど細かい議論をする時に
なんの役にも立たないばかりか
場合によっては議論が錯綜する原因になったり
「言論の自由を否定するのか?」
という形で感情論(及び感情論による反対派の否定)に
なってしまう原因になったりするのです。

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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ルフィミア「函館で桜の開花宣言だそうですよ。(5/1)」
まさと「あんなに雪多かったのにね〜。」