On 3月2日, 午前1:29, Masahiko KODERA <koder...@cool.odn.ne.jp> wrote:

> 西武も、前出のように車体更新車なわけですよね。ここって、601,
> 701,801と来た後が101(^^; ほぼ同時期の秩父対応特急がいきなり
> 5000。101は200越したなぁとか思ってたら、300越した所で「え
> えーっと、301」(積極的にどこが変わった区切りでもないし、固
> 定両数も200台まででも有ったはずの両数だったような)。

4輌編成が300を超えた所で中間車を組み込んで8輌固定にしたのが301系みたいですね。
実質101と変わりないと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6101%E3%83%BB301%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#.E6.96.B0101.E7.B3.BB.E3.83.BB301.E7.B3.BB

> で新宿線4扉車が2000(4扉だから4桁? 1000は? 戦前形とか合併前
> のとかで使ってたのかなぁ?)。あと、3000やら6000やらが出たの
> でしたっけ?

西武鉄道の番号系譜はぜんぜん判らないのですが、確か戦前型のが千番台の前半に符
番されていたような。1001とかゆー番号が使われていたかどうか定かではないですけど。
昭和30年代〜40年代くらいにはモハが3桁、クハ/サハが千番台の4桁、みたいな符番
になってましたよね

> 新特急車は見かけたこともないのですが、10000だったかも。だ
> とすると、次は15000と、なんだ5000刻みって意味がちゃんと有っ
> たのかと思う日が来るのか?

言われてみればそうと言えるか?9000系と10000系とどっちが先だったっけ?と思ったら
両方とも1993年のデビュー。8000が抜けてるのがわけ判りません:p

> もともと4で始まると口火を切った覚えなので3桁(忘れがち^^;)を
> 入れると、営団の方は400形が有りました。といえば、京急や西武
> はツリカケで400番台が普通に有りました。
> 昔の方が縁起を担ぎそうですけど、3桁に収めようとしていた頃に
> は欠番とかしにくかったのですかね。

目黒蒲田がが400を飛ばしていました。目黒鎌田デハ100→東急デハ3100、目黒蒲田
モハ200→東急デハ3150、モハ300→東急デハ3200、池上デハ100/200→目黒蒲田
モハ120/130→東急デハ3250、目黒蒲田モハ150→東急デハ3300のあと、目黒蒲田
モハ500→東急デハ3400と飛んでいます。

近年では京成が鋼製車3300のあとのセミステンレス者で3500に飛ばしています。後に、
初代AEの機器流用車を鋼製としたためか3400に押し込んでいますね。
#3700が3800台まで行ったので3900を飛ばして3000に戻ったのはまあ理解できる

> そこで冒頭の一の位での欠番ですが、戦前の東京市電で事故の続
> いた一桁目が有って飛ばしてたような話を、'70年代のRJで、高松
> 吉太郎さんの記事で読んだ覚えが有ります。
> どの数字か忘れました。

目黒蒲田モハ200に3が「惨」に繋がる忌み番として203が200に改番した、と云う経
緯があったようです。他の形式にはそんな経緯があったような文献は見つけられな
かったのですけど。
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ぢぃ