>>  (kono@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji KONO)) さんは^M
>> 『Re: アローの一般可能性定理』の中で書きました。^M
^M
 > 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。^M
^M
 > In article <YAS.06Nov14225359@kirk.is.tsukuba.ac.jp>, yas@is.tsukuba.ac.jp (Yasushi Shinjo) writes^M
>> 「人工」知能と人工ではない知能の違いは?^M
 >^M
 > 前者はソースコードが全部見れる....^M
^M
ソースコードが読めるから理解可能、読めないので理解不能という^M
の分類はお粗末なのでは…^M
^M
ソースコードが全部読めても、外部へのインターフェースを持ちリ^M
アルタイムで複数の状態を保持管理しているようなシステムは簡単^M
に理解困難なものになります。これを「今日は機嫌がわるい」とか^M
感情みたいなものとみなす行為はふつうに行われているので、それ^M
を意識とみなすかの境界は適当なんじゃないかと思います。^M
(※べつに意識が機械的な仕組みに還元できると主張しているので^M
はなく、ちょっとした機械でも人間は「意識」を持っていると認め^M
てしまうくらいに人間の「意識」の有無の認識はいい加減だと言っ^M
ているだけ、私は唯物論には信奉するつもりは無い)^M
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 > 意識とかがあるから宗教とかが意味があるので、人工知能に意識が^M
 > あるのかって当たりが違いかな。^M
^M
意識のないものに意識の存在を主張するのが宗教とすれば人工知能^M
に意識の存在を主張するのもある種の宗教になるので、論争は宗教^M
戦争となる。不毛な議論の応酬は目に見えてます。^M
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意識は予測不能なものの代表みたいにみなされていますが、だから^M
といって予測不能な複雑系が意識でもないような気がする。^M
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のりたま@ところで意識のある人工知能って欲しいですか?^M
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