窓から見える北上駅。貨物列車が結構頻繁に通りますね。
1泊朝食付きのコースなのですが、朝食時間は06:30からですので、早々にチェックアウトします。ホ○○○を置いて来た北上駅前自転車駐車場はすぐ目の前。……昨日停めた時からそうでしたけど、駐輪場内に秩序ってものがありませんね……。今朝は更に酷く、出入口が「適当に転がされた」自転車で塞がれていて、出すためにそれらの自転車を整列させなければなりませんでした。おーい黒沢尻北高とか専大北上高の生徒達。こんなんで良いのここは?
ともあれホ○○○を外に出して、拡張リアキャリアにリュックサックを固定します。これで身に着けたバッグは、前のポーチと後ろのリザーバーのみ。今回、リザーバーは出発当初は空です。暫くは朝食の残りのお茶で凌ぎ、最初のコンビニで氷を補給する予定です。
と言う訳で、水戸で中断してしまった今夏の旅行を、北上から再開します。まずは北上線全駅訪問。北上線の駅No.0、起点の北上駅です。所属路線は東北本線。ホテルメッツ北上はJRグループのホテルなので、完全に隣接地にあります。
北上市街地の途中にあった諏訪神社。道中の安全を祈願しましょう。
No.1、柳原駅。普通に郊外住宅地の駅ですねー。
No.2、江釣子駅。ここも周辺の雰囲気は柳原駅と似た感じですが、こちらは旧江釣子村の中心駅であるというところが違いです。地形が平坦なため宅地化しやすく、交通の便も良いため、合併前は県内最大の人口密度を記録していました。
No.3、藤根駅。ここまでは北上市街地との連続性が強いため、特段の印象はありません。
途中、線路の向こうに大きな木造建築物が見えました。北上市立和賀東小学校らしいです。
江釣子バイパスと合流し、ローソン北上和賀町店で最初の休憩をします。ずんだ〜。ここで氷も補給しますよ。
No.4、立川目駅。ここまでは来たことがあります……というか、2010年の旅行で水沢方面から北上した時、北上の手前で一旦西進して、ここから戻ったんです。
これから行く湯田・巣郷峠方面を見ると……分厚い雲に覆われています。明らかに雨雲ですよね……。予報では朝まで雨、あとは晴れる筈なのですが。秋田自動車道の道路情報表示盤でも、湯田から秋田南まで「雨スリップ注意」……これから先のほぼ全区間じゃないですか。たったと流れてくれれば良いんだけど。
No.5、横川目駅。ここからは完全に初めて来る場所です。鉄路でも来たことありません。……建物は駅じゃなくて、「横川目地域ふれあいセンター」なんですね。合築になっているようで。
横川目から一旦国道を離れ、和賀川を瀬畑橋で渡って右岸へ移ります。下流側には瀬畑大橋(岩手県道37号花巻平泉線)が、上流側はずっと離れて北上線第三和賀川橋梁(正式名称不明)が見えます。
瀬畑は右岸側の集落で、ここから少しの間は堤内の沖積低地を走ります。途中、瀬畑と新田の間に、地図では何やら石碑の記号がありまして……行ってみると神社島らしき林があって、その中に複数の石碑がありました。龍神碑やら天照皇大神碑やら……耕地整理記念碑らしきもの以外は、結構古そうですね。八幡神などをちゃんとした社無しに祭ることは、明治以降はあまりなかったと思いますし。
門沢を越えるところから、一気に尾根へ駆け上がります。ここは丁度北上線第三和賀川橋梁(?)の西詰にあたるところで、坂の途中が撮影地らしいです。台地上はまた農地……雲が近くなって来たなあ。
岩沢の途中で分岐がありますが、どちらへ行っても500mほどで合流します。分岐点には……これ案山子?
No.6、岩沢駅。この付近から和賀川が狭窄部に入り、地形が嶮しくなってきます。歴史の面影を残す山間集落ということで、案内解説板が立っていますが……整備しようよ北上市。
水沢を暗渠で越えるところは、北上線と並行します。道路が下り坂であることもあって、ここもまた撮影地として良さそうですね。
国道107号に戻ると、すぐに和賀川を越えます。この橋を平和橋(へいわばし)と言いますが、由来は国道107号に相当する旧平和街道でしょう。但しこちらは「ひらわかいどう」と読みます。平鹿郡と和賀郡を結ぶ道であることが由来ですので。
この付近の和賀川は著しく蛇行しているため、平和橋を渡ってすぐ望仙橋でもう一度渡ります。ここから仙人発電所が見えます。錦秋湖から取水し最大37,600kWを発電する、岩手県第2位の水力発電所です(第1位は岩洞第一発電所の41,000kW)。
No.7、和賀仙人駅に到着しました。駅名は例外的に「わかせんにん」と読みます。この駅は湯田ダム建設により北上線15.3km区間が移設された際、移転した新駅です。この場所自体は新旧線の分岐より手前にあります。
新旧線の分岐はこの付近だったんじゃないか、と思っています。奥の堀割が、右側にやや幅広だと考えると、何やら平場があるように見えません? ……おっと、キハ100型普通列車(上り)がやってきました。
カーブの先へ行くと、日本重化学工業の南岩手事務所があります(正確には事務所は道路を挟んだ写真後側、この奥は電力管理所およびテナント企業の工場)。旧和賀仙人駅はこの奥、工場敷地内にあったと聞いています。そして北上線が走る山側を見ると……平場が出てきているように見えますね。
和賀仙人橋を渡ります。ここから湯田ダムまでは、和賀川最大の狭窄部で、国道107号にとっても最大の難所です。屈曲・狭隘、そして隧道と落石覆いの連続です。交通量も多いため気が抜けない区間です。この付近の和賀川は、湯田ダム直下ということもあって水量が少ないですね。
橋を渡って200mで、最初の和賀仙人スノーシェルターが始まります。いきなり300mほどの長さがあり、しかも途中にR=40mくらいのカーブがある上、ここから急勾配が始まるのです。「長〜い登り坂」「徐行! 徐行! 徐行!」だのと、結構面白い警告が並んでいました。
続いて和賀仙人スノーシェッド。朱の鉄骨が目に鮮やかです。この手前から対岸を望むと、はっきりと地滑り地形が見て取れます。地形図でもこの付近は、等高線を全力で横切る岩崖の記号が描かれています。
次は当楽(あてらく)スノーシェッド。谷はますます狭まり、道を作る余地がほとんどありません。
そして道を作れなくなったということで、当楽隧道をぶち抜いています。隧道の途中が北上市(旧和賀町)と西和賀町の境界になります。対岸を見ると、激烈な崩壊地が目に入りました。こちら側がこんな風に崩れてもおかしくない土地です。
西和賀町に入ると、まず当楽沢を回り込んで渡るのですが、遥か前方に長大なスノーシェッドが見えます。やはり橋にしろシェッドにしろ、横から見る方が良い景色になり易いですね。
それは大荒沢スノーシェッド。連続シェッド群の中では珍しく、歩道が併設されていました。これが湯田ダム直前の構造物であるため、歩道側からは湯田ダムが望めます。……このまま歩道を進もうかと思ったのですが、写真にも微かに写ってますけど雲の巣が著しく張っており、進む気がしませんでした。
スノーシェッドの終端直前で分岐があり、湯田ダムに出ることができます。東北地方では唯一の重力式アーチダムで、1965年(昭和40年)の完成です。堤体の脇に錦秋湖防災センター「きんしゅうこものしり館」があります。時間が無いのと、すぐ先に道の駅があるので、ここでは休憩しませんでした。
湯田ダムが形成するダム湖の名は錦秋湖。西和賀町最大の観光地です。道の駅や、秋田自動車道のサービスエリアの名としても著名です。
地形図によると、湯田ダム管理支所前を通ってそのまま進めば、国道107号の隧道を迂回できるようになっているのですが……あら、封鎖されてる。しかもその先は植物に侵蝕されてますね。これは無理ですな。
ここに到達した時、ちょっと雨がぱらつきました。うぐう、終盤ならともかく、こんな序盤で降られるのはいーやーだー。
結局普通に隧道を抜けました。……晴れて来ましたよ。雨を避けられて万歳三唱にゃはりかにゃはたらりーの、にゃー(これもいい加減古いネタですな)。ここで、錦秋湖の対岸に支流の河口が見えます。左側が大荒沢、正面が小荒沢。小荒沢の奥には、北上線の橋梁が見えますね。更に右側、湖畔に平場が見えますが……旧横黒線の路盤は、この付近ではまだ湖底の筈?
道の駅錦秋湖に到着しました。湯田ダムで休まなかった分、ここで休憩します。晴れて来たこともありますし……トイレ付近にしか、ホ○○○を置ける日蔭が無いんですけど。道の駅としては小規模なところでしたので、バニラソフトを戴いて、あとは塩タブレットで塩分を摂っておきます。休憩時間22分で出発します。
道の駅から道路を挟んで錦秋湖側に、少しスペースがあります。そこから改めて対岸を見てみました。うーん、平場のような気がしますけど、ただの護岸のようでもありますね……。
道の駅から100mくらいで、早くも次の隧道が現れます。杉名畑隧道です。正確には2つの隧道をロックシェッドで繋いだ構造です。で、ここ、地形図にはっきり旧道が描かれているのですが……入れませんね。
杉名畑隧道を抜けてすぐのところで、旧道と合流します(こちらも入れません)。合流部の旧道側に残った少しのスペースから、改めて対岸を見ると……見えますね、湖底からにょきっと現れる人工物が。旧横黒線の大荒沢ロックシェッドと、本内隧道です。水位が低い時には実際に到達できるそうですが、今日は通常水位なのでこの程度です。にしても、今日初めてはっきり見えた旧線遺構ですよ。
この広い緑地は、地形図にありません。恐らく湖底が暫く露出しているものと思います。てことは、通常水位ではなく少し低いのかもしれませんね。直線的な痕跡が見えますし……多分、これも旧線跡。
一旦国道を離れて、天ヶ瀬橋を渡って右岸へ行きます。
天ヶ瀬橋の手前に、「八幡舘」の解説がありました。前九年の役に絡む遺構だそうです。なお、奥に見える橋は、北上線鷲之巣川橋梁です。
橋を渡って耳取の集落に入ると、工事のため片側交互通行になっていました。この先行き止まりなので、同じ所を2度通るのがちょっと恥ずかしかったですね。
No.8、ゆだ錦秋湖駅に到着です。もとは陸中大石駅で、平成3年に改称されました。旧駅は完全に錦秋湖の底です。
ここから更に奥へ行くと、秋田自動車道の錦秋湖サービスエリアがあり、更に奥へ進み道無き道を掻き分ければ、大荒沢信号場跡に到ります。廃止が昭和45年と47年も昔であり、存在した期間も旧線の大荒沢駅から移転した時から8年に過ぎませんから、大した遺構も無いようです。一応は行ってみたいつもりもあるんですけど、今回は時間もありませんからパスで。
なお、旧線上の大荒沢駅跡は、10年に1度の共同取水塔工事の際にのみ水上に姿を現します。参照 → [湯田ダム]水位低下に関するお知らせ(PDF)、横黒線(北上線)旧線 大荒沢駅跡
同じ道を引き返して国道に戻ります。天ヶ瀬橋から先を見ると、これから渡る大石橋が見えています。……その足下に、旧大石橋も見えていますね。上から撮影したかったのですが、現橋の真下らしく、上流側からも下流側からも見えませんでした。見えると聞いていたのにな……と思ったら、どうやら平成23年度に架け替えられているらしいです(→ 平成23年度西和賀町からの要望(平成23年8月31日受理))。
一際映える朱色の曲弦分格ワーレントラス橋。北上線第二和賀川橋梁です。遮るものが無いこととその色から、非常に目立ちます。これも良い被写体ですね。
川尻の集落に近付いて来ました。上台野(わだいの)まで来ると、色々な構造物が見えて来ます。奥には秋田自動車道の高架橋(カンチレバートラスのように見える)、左側には湯田貯砂ダムの近くの町道にかかるPCラーメン橋ですね。
川尻隧道、川尻橋を渡ると、西和賀町の中心集落・川尻です。
No.9、ほっとゆだ駅です。かつての陸中川尻駅です。駅舎内に温泉施設がある珍しい駅として有名です。更に浴室内に信号機が設置されており、次便の発車時刻が迫ると青→黄→赤と遷移していくのだとか。
川尻付近で現道はトンネルぶち抜いて山側を通っています。ほっとゆだ駅側の道は山裾を回り込んで迂回しながら現道に接続していますので、そのままこちらの道を通りましょう。コンクリ吹き付けの山肌の、あちこちで花が咲いていました。
ソネット「小町、この花は何?」 小町「それは山百合よ」
現道と合流した後、山一つ回り込んで、次の駅へ行きます。線路を挟んで集落側の道が駅に接しているのかな……って、行ってみたら逆だったorz でも国道側は国道側で、駅名が掲げられていませんね。もともとは壁画があったらしいのですが、すっかり剥げてしまって。No.10、ゆだ高原駅です。岩手湯田駅からの改称です。
ゆだ高原駅の隣の商店「春乃家」で、自販機を使わせてもらいましょう。横川目から、この先ずっと矢美津近くまで、コンビニが無いことは確認済みなのです。
秋田県境に到達しました! 地形図にも特に名前は書かれていませんが、「巣郷峠」というようです。奥羽山脈を越える峠の中では際だって低い、標高295.8mです。地形としても緩やかであることを現すように、峠の付近まで普通に民家が建っています。
峠を越してすぐのところに、横手市山内地域局が設置した、国境と秀衡街道についての解説板がありました。秀衡街道というのは、国道107号・平和街道に対応する古道です。
秋田県に入って最初の駅、No.11・黒沢駅です。国道から黒沢川を渡った対岸にあります。峠付近もそうですが、山中の割に住宅が多い気がします。ここで塩タブレットをひとつ消費。
国道に戻って少し先に、こんな風景があります。国道107号が黒沢跨線橋で北上線を跨ぎ、更にその上を秋田自動車道の高架橋が跨ぐ、という交通の錯綜ぶり。はっきり見えてはいませんが、駅を通る旧道もここで国道に合流しています。この先は黒沢川が激しく蛇行しながら渓谷を穿っている中を、橋梁と隧道をぶち抜いて通ることになります。
そんな隧道のひとつがこれ。名称不明です。左に平場がありますが、道路工事の作業用地だったらしいです。更にその奥に、地図では旧道があるのですが……通れそうにないですね。
No.12、小松川駅です。快速列車は通過します。ここ来てすぐに気付いたのは、本線上に何やら赤色LEDを点滅させる装置が設置されていたことです。……本線上に!? え、これ何?
小松川駅の付近で黒沢川に合流する川が「小松川」で、更に1kmちょっと先で合流するのが「松川」です。松川は上流に「大松川ダム」を要する、黒沢川本流に引けを取らない規模の川です。さて、小松川と松川の中間付近に、スノーシェッドがありました。湯田にあったシェッドと同じ様な、赤青に塗り分けられた鉄骨が印象的です。
No.13、平石駅です。明らかにホーム上待合室だけの1面1線で、大回りして駅前へ行っても何も見えないだろうという判断から、この国道側からの写真で済ませることにしました。そんなこと言って、駅前に何かあったらどーしよ。
平石駅のすぐ先で、道の駅さんないに到着です。丁度昼前なので、ここで昼食を摂ることにします。直射日光の当たらない場所にホ○○○を停めようとして、ぐるぐる回ってしまいました。……食事のついでに、コップの氷をリザーバーに投入したりして。
No.14、相野々駅です。旧山内村の中心駅で、周囲は比較的開拓されています。北上線の秋田県内にある駅では、終点の横手駅とここだけが有人駅です(簡易委託駅)。駅のすぐ南で、黒沢川は横手川に合流します。
No.15、矢美津駅です。北上線所属駅としてはこれが最後の駅になります。この手前にローソンがあり、ようやく都市部に戻って来た感じがしました。
矢美津駅は国道から別れて1本入ったところにあり、戻ると国道を右折することになり面倒です。幸いにして、駅側の道を先へ進んでも国道へ合流できるように、地図では描かれています……が、途中に点線区間があります。
なので、未舗装路になることは予想していました。国道のすぐ傍を並行する道だし、集落もあるし、農地の中を通る道なんだろうな、くらいのつもりで進んで……
……って、果樹園、それもハウスの中を通るんかい! 流石に予想外でした。更に農園主であろう民家の玄関先を気まずく通って、国道に復帰しました。うーん不思議体験。
No.X、奥羽本線所属・横手駅に到着。北上線全駅訪問はこれにて完了です。今までにも何度か来ている駅ですが、2011年の改築後は初めての訪問ですね。
サンクス横手二番町店で休憩します。北上線全駅訪問を終えたことで、目標を次に移行して旅を続けますよ。
次の目標、それは羽後交通横荘線(おうしょうせん)の廃線跡、廃駅跡探訪です。横荘とは横手・本荘の意で、奥羽本線の横手駅と羽越本線の羽後本荘駅を結ぶ、秋田県南部を横断する鉄道として計画されました。横手駅から横荘東線が老方駅まで、羽後本荘駅から横荘西線が前郷駅まで建設され、その後西線は国有化され矢島線となって、老方方面ではなく羽後矢島駅へ延伸されました(現在の由利高原鉄道鳥海山ろく線)。
東線の終点駅である老方は既に峠を越えた西側なのですが、それ以上の延伸・全通は果たせず、昭和22年の颱風による被害、昭和40年の豪雨による被害で順次廃止され、昭和46年に全廃されました。路盤は道路として残っている箇所が多いものの、駅跡はほぼ何も残っていないそうです。唯一、横手駅の4番ホームが横荘線時代のものを使用しており、そのため4番ホームのみ有効長が短くなっています。
さて、横手駅からの横荘線は、駅西側を南へ進んでいます。最初に痕跡が見られる場所は、奥羽本線が東寄りへ進路を変える、秋田自動車道横手インターチェンジ付近だということです。ということで横手市街を南へ、安田交叉点から国道13号を南へと進みます。……この道は何度か通っているけど、自転車で南へ向かうのは初めてです。完全に秋田市から離れる方向ですからね。なかなか新鮮な感覚です。
ここより手前の入り込み辛い場所にも痕跡があるかもしれませんが、とにかく今回最初に出会った横荘線の路盤跡がここ。横手ICの入口である大堤交叉点から東へ約200m、農業用溜池の滸です。北側(横手駅方向)は未舗装で植物に侵蝕されつつある道ですが、薮になっている訳ではないので、少ないとはいえど交通はあるようですね。南はかなり新しい舗装路です。農地の転用が始まっているのでしょう。この道を進みます。
1区画、300mほどでいきなり進入禁止区間になってしまいました。何か建設中のようですね。すぐ東側に迂回路(恐らく今後の主要道)があるので、一辺100mの直角三角形を通るように迂回し、また路盤跡に合流します。
クリーンプラザよこて(ごみ焼却場)の脇まで舗装路は続き、施設の方へ向かう道が別れたところで未舗装になります。この施設は昨年4月に供用開始されたばかりだそうです。
秋田自動車道と湯沢横手道路の横手ジャンクションに最接近。ここからはランプに沿って道が続いていますが、横荘線はここを直進しており、栄村(えいむら)停留場がこの付近にあったようです。
横手JCTを暗渠で横断した後、一時的に県道267号金沢吉田柳田線に入り、柳田工業団地付近はこれが路盤跡の筈です。写真の左カーブ部分で、路盤は正面の水田まで直進し、奥の道路に右側で合流していた筈ですが、この部分は痕跡が無いようです。
Googleストリートビューでこの区間を逆方向から見ると、私が通った道はまだ改修前に撮影されたようで未舗装になっているのですが、現在の道路線形より手前で北へカーブしているように見え、路盤がそのまま残っていたのではないかと想像できます。
この付近の路盤は、現在は農免農道になっているようです。農地が区画整理されていることもあって集落付近を除き道路は直線的で、その中でもこの道は鉄道の跡であるためか、緩いカーブが混ざる線形になっています。
南樋ノ口の集落を過ぎたこの付近が、樋ノ口(ひのくち)駅跡地のようです。何もないですね。
続いて道川・年子狐(ねんねこ)集落の南にあるこの付近が、東浅舞(ひがしあさまい)駅跡地のようです。こちらも痕跡はありません。正面に見えるのは、実際には道路の左側なのですが、JA秋田ふるさと平鹿総合支店のカントリーエレベータです。
浅舞の集落(旧平鹿町の中心集落)に近付き、集落直前の交叉点を渡るとき、ふと左側を見たら目に入ったもの……ヤマダフーズの工場のひとつ、「匠の味工房 遊心庵」が目に入って、これはと思って正面まで寄ってきました。野荒町の本社工場は国道13号沿いですから良く見ますが、こちらは初めてですもんね。やった、Wikipedia投稿ネタができた(^^)
浅舞の中心集落に、浅舞(あさまい)駅がありました。現在は住宅地の裏手に未舗装路が残っています。1面2線の交換可能駅ということで、恐らくここは上り線の跡で、左の住宅がホームと下り線の跡地に建っているんだと思います。
元々は農地に接していたんでしょうが、現在は100mほど先に国道107号が通っていますので、国道との間にスーパーや老人ホームができています。この先、国道を跨いで路盤が続いているのですが、国道前後は微妙に道が繋がっていません。
一旦国道107号を経由し、200mほどでまた別れて、路盤跡の道路へ入ります。再び農免道路で、先程より更にド真っ直ぐな道が続きます。
豊前・砂子田集落と樽見内集落の間付近に、豊前(ぶぜん)駅がありました。ここも特段の痕跡はありません。
ただ、この付近で左手に、雲に包まれてはいますが大きな山が見えました。この方向に見える単独峰といえば……鳥海山!? うわ、横手盆地からも見えるとは聞いたことがありますけど、実際に見たのは初めてです。沿岸で見る山という印象が強いからなー。
直線的な道をひたすら進むと、JA秋田ふるさとの給油所などの施設が集中した地区に到ります。ここが羽後里見駅跡です。この付近は部分的に道路も幅員が広くなっているのですが、羽後里見駅は1面1線の交換不能駅で、ただ側線があったようです。
水田の中の道ばかり通っていて補給ができないので、ここで自販機を使います。三ツ矢サイダーはグリーンレモンが一番好きなのよね。
長い直線区間を過ぎて、北へと進路を変えると、県道13号湯沢雄物川大曲線に合流し、沼館の集落に到ります。旧雄物川町、及び沼館町の中心集落であり、羽州街道の脇道である沼館街道が通り、古代には後三年の役の舞台となった沼柵(沼館城)があった要衝です。
で、ここに沼館駅があったのですが、やはり痕跡はありません。ただ、写真の右側に、標柱が写っています。これが沼館駅跡を現す解説柱の筈です……撮影時には気付きませんでしたorz 場所は合ってる、ということで。沼館は横荘線(横荘鉄道)が最初に開業した際の終点駅です。
真っ直ぐ北上して沼館の町を抜け、再び農地に入ると、やがて道は右へと曲がりますが、あからさまに直進する旧道があります。この分岐点に船沼(ふなぬま)駅跡の標柱が建てられています。沼館駅の標柱を見逃したので、これが今回最初の標柱になります。路線開設と廃止の経緯、が書かれています。
旧道も道幅は大差なく、変わらず直線的に北上します。900mほどで右にカーブします。
「館合農協」の前に、舘合(たてあい)駅跡の標柱があります。書いている内容は、船沼駅跡の標柱とほぼ同じです。舘合駅は沼館駅からの第一次延伸により、沼館駅に次いで終点駅になった駅です。ところで、標柱をこういう位置に建てると裏面が読み辛いと思うのですが。
舘合駅跡のすぐ先で左カーブし、未舗装路になって、雄物川の堤防にぶつかり路盤は終わります。築堤は破壊して農道にしたようですね。さて、橋梁は現存しませんし、このまま路盤を辿ることはできませんので、車道へ迂回しましょう。
横荘線雄物川橋梁があった場所から北側、雄物川の下流へ1km強のところに、秋田県道29号横手大森大内線の大上橋(おおあげばし)があります。これを使って雄物川を渡河します。橋上が工事中で、片側交互通行になっていました。
橋の先は旧大森町なのですが、この先は出羽山地を越えて旧本荘市街に到るまで、またコンビニの無い区間になります。ですのでここでの補給は必須です。デイリーヤマザキ大森店にて……う、400g・500gの氷が無い。小さい氷で凌がなきゃ。
改めて横荘線跡を探しますが、雄物川左岸の路盤跡は良く判りませんでした。地形図だと、橋梁跡付近に2基の石碑が記載されていて、確かにあったのですが、雄物川橋梁跡の碑ではなく水路建設関係の碑のようでした。反対側も、ここで合ってるかどうか……。事前情報でも、この付近は路盤と現在の区画が一致していないらしいので。
雄物川橋梁は、昭和40年の集中豪雨で橋脚が著しく洗掘され傾斜が生じてしまったために、舘合駅以降の運行が休止されました。更に翌年の豪雨によって、監視に来た羽後交通職員の目の前で橋脚が倒壊したそうです。このため復旧は絶望となり舘合以降を廃止、昭和44年に沼館〜舘合を廃止し、昭和46年に全線廃止されたという経緯を追っています。従前から経営は厳しかったでしょうけど、雄物川橋梁の倒壊が直接的な打撃になったのは間違いないでしょう。
そんな区画消滅した農地内に、羽後大森(うごおおもり)駅がありました。舘合〜羽後大森間延伸に伴い開業した、第3の終点駅です。写真の右から左へ路線が走っていたのですが、写真に見える細道も路盤ではない筈です。 ※この付近の推定は間違っている可能性があり、再訪を検討しています。
再び路盤と道路・区画が一致するのは、県道29号(大上橋を通る路線)と合流してからです。西へ向かうと、上溝(うわみぞ)駅跡の碑がありました。横荘線の当区間廃止より前に廃駅となったところだとされていますが、標柱では区間廃止と同時の廃駅と書かれており、詳細は不明です。
県道29号から県道164号二井山大森線が分岐するところが八沢木(やざわぎ)駅跡です。写真奥、裏面になっている案内標識の付近に見える広場(バス転回地らしい)がホーム跡だそうです。
県道164号に入ると、道路は勾配を認識できるくらいの上りになります。まだほとんど気にならない程度ではありますが。上りの途中に二井山(にいやま)駅跡の標柱があります。横荘線第4の終点駅であり、昭和5年に老方まで延伸された後は中間駅でしたが、昭和28年に二井山〜老方間が廃止後は再び終点駅になりました。
二井山駅より先は出羽丘陵の峠越えになりますので、更に標高を上げて行きますが、鉄道跡らしく緩い登り坂です。CAJのコースである会津若松市の黒森峠へ向かう道っぽい感じがありますね(あちらは鉄道と関係ありませんが)。
峠越え区間は廃線跡がそのまま県道164号に指定されており、老方まで繋がっています。峠越え区間はここ二井山トンネルから始ま……り……ます……? って、通行止めはともかく、坑口を確認することすらできません(汗) き、季節が悪かったか!? ってここは廃道じゃない筈なんですけどー!?
先月(というか先週)の豪雨でこの付近も被害が出ている可能性はある、と思っていましたが、この駄目っぷりは豪雨以前からのものですよね……(※北口が崩壊閉塞しているらしいです)。これはちょっとやそっとの迂回ではどうにもなりませんし、どこかから隧道の先に出たとしても、老方付近に行くまで他の道との交叉がほとんど無い道ですから、また通行困難・不能な箇所に出くわしかねません。ここから先の探訪は諦めることにします……。残り2駅なんですが。
二井山トンネル直前の分岐で、いかにも不自然な「左折だけ表示」した案内標識がありましたが、それに従って出羽グリーンロードへ入ります。案内は「湯沢 羽後」となっていて、まるっきり逆方向に思えるのが嫌ですねー。国道107号に合流するんですから、「由利本荘」という案内もしてくれないと。
さて、出羽グリーンロードは秋田市から湯沢市まで通じる広域農面道路の総称です。当然ながら廃線跡ではない、新規の道路です。ということは……突然勾配が厳しくなるんですね! 本日最悪の猛烈な登り坂を、必死こいて上がります。
雄物川町大沢で国道107号と交叉します。写真が傾斜して見えるのは、国道107号も傾斜区間にあるからです。二井山トンネル南口は標高106m、ここは標高74m、途中の最高所は標高159m。見事に「登って降りる」道でした。でもこの登りは、峠越えじゃないんですよね。峠の東側を舐めているだけ。
国道107号に入って、すぐ、距離標識がありました。由利本荘36kmというのは本荘市街、東由利10kmというのは横荘線の最終終点・老方のことです。あれだけ登って下って、なお峠を挟んで10km……まだ先は長い(嘆息)
途中、「大沢口境目御番所跡」という標柱がありました。この先の峠は雄勝郡と由利郡の境であり(※旧雄物川町のうち大字大沢のみ平鹿郡ではなく雄勝郡から編入)、同時に久保田藩領と矢島藩領の境でもあります。久保田藩が設置した境目番所がここにあったということです。
郡境は隧道ではなく、スノーシェッドに覆われた切り通しになっています。番所にちなんで「大沢口境目スノーシェッド」と仮称しましょう(どこで使うんだ)。ここの標高は238mです。出羽グリーンロードより距離があるとはいえ、随分登って来ました。
勿論、スノーシェッドを過ぎると延々下り坂になります。
雄勝側はスノーシェッドが複数ありましたが、由利側は隧道があります。まずは東由利トンネル。右側に旧道があるっぽいのですが、どうも採石場に飲まれているようです。
トンネルは2連続します。こちらは左側に旧道がありますが、採石場こそないものの、薮に埋もれています。……おや? このトンネルは……
「黄桜トンネル」。東由利田代にある「八塩いこいの森」で行われる「黄桜まつり」が名物になっており、黄桜が旧東由利町のシンボルであることからの命名ですね。さて、黄桜トンネルということは、つまり黄桜隧道(すいどう)。……黄桜すい道!
ということで黄桜すい本舗、もとい、道の駅東由利に到達しました。所在地は老方であり、国道から離れて集落に入れば老方(おいがた)駅跡にも行けます……が、横荘線跡に対する中間迂回路が無いがために浮蓋(うきぶた)駅を飛ばしているため、老方駅訪問はやめにしました。今回はすいちゃんを堪能することで良しとします(何が)。
何しろ施設に入る前からこんな具合ですからね。すいちゃんと、従姉妹のあやめちゃんがそこかしこに出現します。
ネイガーもいます(^^;;;
18時近いので、早めですが夕食に都合良いと思いまして、しっかり食べることにしました。近くにコンビニありますけど、その後はまた本荘市街地に近付くまでありませんので。ということで、冷やし黄桜ラーメン……そして「黄桜すいちゃんのふわふわかき氷」。食べずにいられますかこれが。
なお、地場産業センター「ふれあいプラザぷれっそ」にて、すいちゃんキーホルダーとあやめちゃんキーホルダーを購入しています。邪魔にならない範囲、これからの運搬中に傷まない範囲で買えそうなのはこれくらいでしたので。
……この付近で本拠地に連絡しようと思ったんですけど、錦秋湖や山内ですら通じたPHSがなんと圏外。お、老方って……。
さて、老方を出る時はまだ強い陽射しが照りつけていましたが、しかし時は一気に日没へと向かって行きました。ここからは写真の輝度を相当上げないとほとんど見えません。大字蔵を迂回する2連続トンネルに続き、旧東由利町(下郷村)と旧本荘市(石沢村)の境に2連続トンネルがあります。その名も「童画のトンネル」「銀河トンネル」。老方出身の絵本童画作家、高橋宏幸氏の著書を原画としたレリーフを付近に刻んでいるそうです(暗いので良く見えなかった)。
道の駅東由利を過ぎると、あとは秋田市へ行くだけが目的になります。この付近で日没するだろうということも予測できていましたし。なので特に考えることなく国道を走っていましたが、事前に地形図上で経路を検討した時、旧道を通った方が良い場所もあるだろうと目星をつけていたのです。
ここ笹井の分岐は、石沢バイパスが山裾を通り、トンネルが多いこともあるため勾配が予想されたのに対し、旧道は水田の中を通るため平坦であろうと予測がつきました。なのでここは旧道を経由します。ファンタジスタささいロード。
本荘ICを過ぎて、本荘市街地に入り始めたあたりで、すっかり日没。7-11由利本荘蓼沼(たでぬま)店に入ります。ここ、イートインコーナーがあったため、丁度良いと思って氷の他にも少し多めに買い込みました。どうせすぐ食べる・リザーバーに入れるんだから、袋は要らないとレジのおねーちゃんに言ったら、妙に驚かれました。何故?
ここでも本拠地に電話をしましたが、何故かかかりませんでした。これはルータがいかれてるのでは? ともあれ、これ以上遅くなると父は寝てしまうでしょうから、以降は連絡は考えないことにします。
丁度7-11のところで、国道107号から旧本荘街道が分岐しますので、旧道へ入って本荘市街中心部へ向かいます。出会う踏切は由利高原鉄道鳥海山ろく線とJR羽越本線の本荘街道踏切。丁度列車が通りました……由利高原鉄道YR-2001気動車と、JR貨物EF510型電気機関車(コンテナ車牽引)です。おお、由利鉄の列車は池田修三作品ラッピング車。てことは、昨年まで「ゆりてつ」ラッピングだった車両ではありませんか。
羽後本荘駅に到着しました。横荘線が全通していたら終点になっていたところです。もし全通が実現していたら、今も(閑散線区ではあるでしょうが)走っていたんでしょうかね……。
羽州浜街道を継承する、由利橋で子吉川を渡ります。斜張橋は夜でも見栄えがしますね。
石脇の集落を抜けて国道7号に入ると、あとは松ヶ崎の港町くらいしか大きな町はありません。夜ですし写真もほとんど撮らない……休憩した道の駅岩城すら撮影し忘れて、道の駅の直後にある岩城みなと駅を慌てて撮影しました。うーん、やっぱり私にナイトライドは向きませんね。
そんな訳で由利本荘市は、大きいとはいえさくっと通過してしまいます。最後の道川駅は、国道に駅が直接面しているので、流石に撮影を忘れませんよ。
秋田市に突入! 由利郡はまだ暫く続きますけどね。
秋田市に入って最初の駅は下浜駅。ここも道川駅と同様、国道に直接面しています。いやあ、帰って来た気分になりますね。
浜田で国道7号は秋田南バイパスに接続するため、旧道である県道56号秋田天王線に入ります。大森山を越えて新屋に到れば、あとは秋田市中心部まで連続する都市部です。……その大森山越えの途中に片側交互通行区間がありました。しかも結構長距離、長時間。
これが最後に撮影した写真になりました。あとは茨島、古川添、有楽町、南通り、明田地下道と通って秋田駅東口、そして本拠地に23:08到着です。やはり父は寝ていましたので、勝手に入って勝手にお風呂を使って勝手に寝ることにしました。本日の、というか今夏の旅行はこれで終わりです。
時刻 | 場所 | 標高 | 走行時間 | 走行距離 | 平均速度 | 最高速度 | 総走行距離 | 累積標高 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
06:27 | 北上駅前駐輪場 発 | 58m | 0.00.00 | 0.00km | 0.0km/h | 0.0km/h | 13,600km | 0m |
07:20 | ローソン北上和賀町店 氷・水・塩 → 07:38 | 98m | 0.40.14 | 12.89km | 19.2km/h | 27.9km/h | 13,612km | 42m |
09:08 | 道の駅錦秋湖 バニラソフト(280) WC 氷なし タブレット → 09:30 | 266m | 1.41.58 | 29.61km | 17.4km/h | 46.5km/h | 13,629km | 286m |
ゆだ高原駅 自販機(120) 黒沢駅 タブレット | ||||||||
11:45 | 道の駅さんない WC 冷そば コップの氷 → 12:38 | 138m | 3.28.21 | 63.90km | 18.4km/h | 〃 | 13,663km | 480m |
13:17 | サンクス横手二番町店 氷800 水 塩 → 13:35 | 67m | 3.58.57 | 73.67km | 18.5km/h | 〃 | 13,673km | 496m |
15:26 | デイリーヤマザキ 大森店 WC 氷 塩 → 15:45 | 38m | 5.26.20 | 98.87km | 18.1km/h | 〃 | 13,698km | 546m |
17:33 | 道の駅東由利 WC 圏外! サングラストル → 18:27 | 106m | 6.57.23 | 124.93km | 17.9km/h | 47.5km/h | 13,724km | 844m |
19:39 | 7-11由利本荘蓼沼店 日焼け止め落とす WC telかからず → 20:13 | 2m | 8.03.37 | 149.81km | 18.5km/h | 〃 | 13,749km | 916m |
21:31 | 道の駅岩城 サイコンセンサ電池警告 WC → 21:40 | 9m | 9.11.14 | 171.86km | 18.7km/h | 〃 | 13,771km | 1,052m |
23:08 | 本拠地 | 0m → 7m | 10.26.37 | 196.12km | 〃 | 〃 | 13,796km | 1,167m |
1日の走行距離が190km越えをしたのは、三浦半島半周、ヤビツ越え、GSR往復に続いて4回目かな? 峠越えまくりな今回が、一番キツくて楽しかったかもです。
旅行前は秋田が雨ばかりの予報だったのに、ずっと晴れが続いています。逆に関東が雨続きのようですが……。しかし晴れているのに碌に外出しないのも何ですね(父と一緒にカーペットの洗濯などしたりはしていましたが)。なので今日、ホ○○○を出して走って来ました。
行先は秋田市泉字五庵山、泉山(天徳寺山)にある平和公園です。県道が山裾を通っているため、公園入口から早速登り甲斐のある坂が始まります。……クマ出没注意。出るんだよねーこの山も。
急坂が一段落したところの駐車場にホ○○○を停めます。いつも自動車で来ていた時もここに停めていました。今日は繁忙期ではないので、誰も居ません。
平和公園は、秋田市営の墓地です。入口から一番近いA区画(初期に分譲された区画。但しこれより手前に、地元地区の墓域がある)に、水野の母方の墓があります。祖父母と、早逝した伯父が葬られています。前線基地へ行って以来、彼岸・盆と帰省のタイミングが合わなかったため、あまり墓参していませんでしたが、今回軽く来ておきました。
母方の菩提寺は、山裾にある天徳寺(曹洞宗)。対するに父方は、寺町の龍泉寺(時宗)。母は龍泉寺で葬儀を行いましたが、墓はこちらになるのが有力案です。実際どうするのか、父はまだ行動に出ていないようですが。
一人で来たのですから、折角なのでホ○○○とともに通路の末端まで行ってみました。途中、E・F区画付近にかけて一旦下りますが、また登って末端のI・J区画入口駐車場でおしまいでした(区画として最後のN区画は手前にある)。
ジョギングしている人と交錯しながら、戻ります。中央広場の平和塔(仏舎利塔)を正面から撮ってみました。麓からも見える、目立つ建造物なのですが……これ、市民にもあまり知られていませんが、特定の新興宗教団体のシンボルであるにも関わらず、「市営の土地に」「県民の寄付金を主財源として」建造されたということで、結構な問題を秘めているものだったりします。
B・C区画入口は展望地になっています。東側には手形山があり、中腹に秋田高校。手形山大橋が目立ちますね。南側には神明山(千秋公園、久保田城址)があり、手前に秋田工業高校が見えます。
坂を下って帰路に着きます。すぐに横切るのが天徳寺……母方の菩提寺にして、久保田藩主佐竹氏の菩提寺でもあります。写真に写る総門は、佐竹氏転封直後の江戸時代初期に建築されたもので、相継ぐ火災を逃れて現存している重要文化財です。寺の移転に伴い移築されてはいますが、逆に言うと楢山時代の天徳寺を現在まで受け継いでいる唯一の存在ということでもあります。
更に帰る途中、旭川を渡ったところに、旧久保田藩主佐竹氏別邸、通称「如斯亭」(じょしてい)があります。長らく修復工事中だったのですが……おおっ、囲いが外されている! まだ開放はされていないようですが、初めて姿をまともに見ましたよ。是非一度訪ねてみたいところです。
日蔭が確保できる時刻になってから、まずはホ○○○を輪行形態にしてっと。所要時間は33分でした。
午後、徒歩で出掛けます。手形新町経由で手形陸橋の下を通り……おや、奥羽本線を跨ぐところの歩行者用螺旋階段が封鎖されてる。良く見ると、接続する部分の橋桁自体が撤去されています。手形陸橋は南側に拡幅して4車線化する工事中なのですが、拡幅本体の工事が終了したので、既存の北側を架け直しているのですね。
なので西側、神明山の接続部は左側2車線と歩道が封鎖されていました。ふむ、4車線化が完了したとして、神明山の南側はどう拡幅するつもりでしょうか。……内堀跡を潰すとしか考えられないのが嫌です。秋田市ならやりかねない。
厩門から二の丸、裏門から本丸へ上り、与次郎稲荷神社を参拝します。今年も無事な旅を(既に半分失敗しているけど)。
本丸表門。完全に逆行で補正もできませんorz
撮影していませんが、佐竹史料館で「絵図でみる秋田藩」という展示を行っていたため、見学してきました。藩主や家臣による書状、庶民の手になる旅日記などがあり、大変に興味深いものでした。
松下門から下城します。暑いので中土橋のババヘラを買いました。250円だったかな。
この時期、南外堀の蓮が最盛期ですね。
アトリオンで献血し、秋田県産品プラザでお土産(自分のものを含む)を買い込んで、更にブックスささきで、
以上を購入。先に買った「蘆名騒動」が、非常に興味深い内容だったのに対して文章がgdgdでいまいちだったので、こちらも買ってみました。さてどうか。
帰宅……って、時刻がぎりぎりですわー。
急いで荷物をまとめて、父の車で秋田駅へ。よーゆーうーがー少ないよー。
秋田駅第4ホームは、北側を在来線7・8番線、南側を新幹線11・12番線として共用しています。なので、タイミングが良いとこうやって、E6系特急こまちとE751系特急つがるが顔を突き合わせることになります。……どちらも最後尾だから「尻を突き合わせる」?
ということで、特急こまち32号で上京します。さらば秋田。
太平山もまた行きたいなあ。右に見えるのは秋田赤十字病院です。
羽後四ツ屋。これもお約束の、JA秋田おばこライスターミナル。
林道生保内川線の撮影……時刻が遅いのでちょっと難しいですね。これからも志度内信号場を通る度に、周辺の道を探すことになるでしょう。また、時間に余裕を持った上で再訪してみる?
東京駅到着。中央本線に乗り換えます……ホ○○○を抱えて東京駅を歩くのも辛いですが、他に良い交通手段も無いですし。新宿駅よりはマシ。
武蔵境駅で再構築(所要時間36分)。少し雨がぱらつく中を、前線基地まで帰宅します。お疲れさまでした自分ー。
amaozn.co.jpより、
以上到着。特典だけが別送されたものです。北上へ出発した初日(やり直し日)に届いていたっぽいです。
会社帰りに新宿へ(車両失念)。東急ハンズ新宿店にて、
以上購入。ゴム板はX1turboZIIの足に敷きます。接着剤は前拡張荷台の補修用。毛抜きは、6月に秋田で紛失したのが結局出てこなかったので。本拠地にある古い毛抜きが非常に使いやすいんだけど、多分同じものは手に入らないんだよね……