さて、明日は桜のAACR。なので今日から移動します。朝一のスーパーあずさ1号、それも新宿から乗りますよ……過去数回の移動で、登山客があまりに多いため1号は新宿発の時点で猛烈に混雑すると判っていますから。新宿からの切符を事前に用意してあり、武蔵境から新宿へ戻る切符を当日買いするのです。
で、家を出ようとした時。ホ○○○は玄関まで連れて来てあったのですが……はうあっ、既に後輪がパンクしている!? さ、幸先悪ー。修理している時間などありませんので、急遽加圧だけしておいて、武蔵境駅までどうにか持たせます。そして輪行し予定通りに移動し、松本駅で再構築ついでにチューブ交換してしまいましょう。
武蔵境から中央本線休日快速(E233系0番台)で新宿。発車まで10分もありませんでしたギリギリわはー。ともあれ予定通り、特急スーパーあずさ1号(E351系)で松本。西口(アルプス口)で再構築します。……はうあっ、拡張荷台を固定する結束バンドが無い!? 買い置きはまだ無くなっていない筈だから、入れ忘れですね。しまった、前拡張荷台はまあ固定しなくても「ちょっとガタガタする」程度で済みますけど、後拡張荷台はそうはいきません。ゴム紐持って来てて良かったわー。固定とはいかないけど一応装着はしておけるから。
アルピコ交通上高地線の全駅訪問をしつつ、途中で離脱して松本合同庁舎方面へ行きます。隣接地にあるヤマト運輸松本島立センターへ、営業所止めで箱を発送してあるのです(輪行時に箱を手で持つのは去年の横川で懲りた)。受け取るついでに、ホームセンターか何か、工具を売っていそうな店が近くにないか聞いてみました。コメリHG松本島内店を教えて貰いましたので、ゴム紐留めの不安定な荷台をだましだましで走り……近くで良かった。無事、結束バンドを購入し、改めて拡張荷台を固定した上で、箱を装着します。
とまあ、トラブルが続いたせいで、コメリ出発の時点で12時になってしまいました。ちょっと急がないとね……全駅訪問を。新島々駅まで、更にその先の島々駅跡まで、行きました。路盤のあるべき場所に地滑り地形らしきものがあったけど、これが部分廃線の原因になった災害の痕跡かな。
全駅訪問を終えたら、改めてAACRスタート地点である梓水苑に向かいます……が、ここから猛烈な向かい風に悩まされることになりました。大した距離じゃないのに、30分もかかったよ。ここで前日受付を行います……って3度目のトラブル、受け取る前から私のゼッケンがありません。誰かに2つ重ねて渡してしまったとか? 散々探した挙げ句に結局見付からないということで、予備ゼッケンが発行されました。4302(だったかな)から4392への番号変更です。
受付が終わったら、会場イベントに参加するか、あるいは周辺を観光するか。私は別に目的があります。松本方面へ来たなら、必ず行かなければならない場所。明日行っても良いのですけど、恐らく寄る時間を確保できないだろうという予測から、今日のうちに行くことを考えていました。ということで梓橋駅(新しくなってた)経由で北上し、松川村まで行きます。そこにあるのは鈿女神社……今年もファンタジスタドール探訪ですよ! またまた例によってpnpk craft worksさんの冬コミ新作キーホルダーを持って来ていましたので、908円の賽銭と共に参拝してきたのでした。
激しい向かい風に悩まされたのもここまで。鈿女神社からの戻りは、見事に風向きが逆で追い風になりました。少なくとも豊科までは、追い風に乗って高速走行ができたと思います。奈良井川を渡って(一昨年濃霧に襲われた場所)国道19号に入り、松本市街地を抜けて、信州健康ランドへ行きます。今回もここが宿泊地です。どうにか日没しないうちに到着できました(前照燈は最後だけ必要になった感じ)。
時刻 | 場所 | 標高 | 走行時間 | 走行距離 | 平均速度 | 最高速度 | 総走行距離 | 累積標高 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
05:32 | 前線基地 発 パンク…… | 64m | 0.00.00 | 0.00km | 0.0km/h | 0.0km/h | 12,542km | 0m |
05:42 | 武蔵境駅 | 59m | 0.07.03 | 2.42km | 20.7km/h | 30.9km/h | 12,545km | 2m |
10:45 | 松本駅 発 結束バンド…… | 584m | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
11:12 | ヤマト運輸松本島立センター → 11:22 | 592m | 0.24.25 | 7.22km | 17.9km/h | 〃 | 12,550km | 22m |
コメリHG松本島内店 → 12:00 | ||||||||
13:25 | 島々駅跡 | 728m | 1.25.00 | 25.80km | 18.2km/h | 42.8km/h 渕東→新島々 | 12,568km | 198m |
13:55 | 梓水苑 ゼッケン…… → 14:35 | 647m | 1.52.19 | 35.34km | 18.9km/h | 〃 | 12,578km | 226m |
15:06 | 7-11豊科立石店 寒…… → 15:23 | 584m | 2.18.48 | 43.43km | 18.7km/h | 〃 | 12,586km | 228m |
16:18 | 鈿女神社 908 サングラストル → 16:40 | 581m | 3.10.20 | 59.14km | 18.6km/h | 〃 | 12,601km | 290m |
18:16 | 信州健康ランド | 616m -18m | 4.32.46 | 90.69km | 19.9km/h | 〃 | 12,633km | 438m |
3時半くらいに起床しようとして、昨夜は21時すぎには仮眠室に入ったのですが、中途半端にしか寝られず、1時前には起きてしまいました。折角だから、大広間閉鎖の直前に食事を注文して、朝食ということにします。
04:30にチェックアウト。駐輪場で四苦八苦しながら荷造りをし、10分ほどかかってようやく出発します。2度と予報されていた通り、非常に寒い朝です。日中はそこそこ気温が上がるため(それでも東京の晩冬くらい)、防寒は2段階にしなければなりません。つまり持ち運ばなければならない、運営に預けられない荷物が少し多いんですよね……。まあ、量だけなら、箱を積んで走ることを最初から考えていますけど!
05:30にスタート地点である梓水苑に到着。うーん、CAJよりも更にロードバイク率の高いイベントですね。これは、想像はしてたけど、相当にペースが速いんでしょうなあ。貧脚+ランドナー+重積載で付いて行けるかな?
でも、私以外すべてがロードバイクということでもない訳で。一応、ごく僅かですが、クロスバイクやマウンテンバイク、小径車もありました。そして、ランドナーも一人いらっしゃいました。ちょろっと話をしたりもしましたが、荷物のせいか脚のせいか、実際に走ると明らかにあちらの方が速かったですね……。
スタートは、L組(女性のみ)06:00、1組06:20、2組06:40、3組07:00、4組07:20となっており、組の中で4〜5人くらいずつ10秒間隔で出走します。私は2組の2番目でした。実況の人に「箱」を突っ込まれてわーい。もう今更出走停止にはできないぜー。
前半1/3くらいは、ほぼ昨年のkAACRと同じコースです。梓川段丘を駆け上がるところがちょっとずれているくらい。なので、「平坦と登りの繰り返し、下りはほぼ無い」と判っています。頑張って走るんですけど、やはり参加者は猛者が多いようで、ホイホイと抜かれていきました。抜くこともありますが、抜いた人の4倍くらいに抜かれていきます。うん、上位なんてあり得ないんですから、足切りされなければいいんですけどね。
kAACRとの最初の大きな違い、それはアルプスあづみの公園穂高エイド。kAACRでは入れませんでしたが、今回は勿論入ります。……入ってからエイド本体までが結構長くて、どこまで行けば良いのか判りませんでした。最初に大勢の人が停まっていた場所へ行き、防寒着のレインコートを脱ぎましたけど……ここはトイレだったようで、エイド本体はまだ先なのでした。いずれにしても、第1エイドということもありみんな団子になっており、トイレも食事も大混雑。歩くだけでも大変です。
さて、ここで改めて着替えます。レインコートを脱いで、東北きりたんウィンドブレーカを着込みます。箱を預けず積載しているのにリュックサックだけ預けてきたのは、これを着るためなのですよ。柄を隠したら意味がありません。……ただ、ゼッケンをどこに付けるかで迷いました。安全ピンしかないので。ズボンのベルト環あたりを考えていたのですが、位置が合わず……。仕方がないのでウィンドブレーカの縫目に刺すしかありませんでした。これで手間取ってかなりの時間を浪費したのです。
次のエイドもあづみの公園ですが、こちらは大町エイド。やはりkAACRでは入れなかったところです。……穂高エイドにも増して、入ってからが長いです。遊歩道と思しき曲がりくねった(しかもかなりの登り坂)を延々と通って、ようやくエイドに到着。ここでは味噌おにぎりと黒豆羊羹が提供されました。味噌おにぎり、噂に名高い美味ですね。この疲労度でこれは確かに腹に染み入ります。
この先の区間は、仏崎の付近からkAACRとは違うコースになります。去年は鹿島川沿いに進んでから小熊山の南側を回り込むようにして木崎湖へ行きましたが、今年は蓮華大橋を渡ってまっすぐ木崎湖へ行くことになります。高低差はむしろ小さくなったんじゃないかな。大町木崎湖エイドは、kAACRで昼食にしたローソンの隣です。おやきと山菜汁を戴きました。
木崎湖も、海ノ口まではkAACRと違うコースです。即ち、右岸を通ります。小熊山林道入口までは通ったことがありますが……木崎湖キャンプ場へ入る人、多いですね(^^;;; ルート外の施設へ行く人を今日初めて見た気がします。更に、小熊山林道入口の近くには、一瞬キクミミさんかと思いましたが初音ミクではなく、マルチがいました。
海ノ口でR148に入り、簗場からは旧道です。これは一昨年に2回通った道です……佐野坂峠の旧々道は、流石にまだ雪が溜っていて入れませんでした(^^;;; 隧道の先では、また初めて通ることになる、神城の東側の道を駆け降ります。これは……急勾配、直線的、路面状態良し、交通量少ない、信号暫く無い、ということで、自転車でカッ飛ばすところですなあ。国道より通りやすいのでは。まあ、土地勘の無さとカンチレバーブレーキとがネックですので、全力で下ることはしませんでしたが。
飯森駅付近から、正面の山にスキージャンプ台が見えました。白馬八方ですね。その先の交叉点を右折するのですが、手前に「二段階右折」の指示が出ていました。……目の前を走った集団、全員同じジャージなのでチームだと思うんですが、二段階右折というものを勘違いしているのか、「歩道に入り、歩行者用信号に従って横断歩道を渡り、その先でも同様に横断歩道を渡り、車道に戻る」という動きをしていました。二段階右折って「交叉点の端を走る」ってことだよ? そういうことしていると歩車分離信号でおかしなことになるよ? というか、自転車横断帯の無い横断歩道を渡るなら、降りて押さないと。
この付近から、ハンガーノックの兆候が現れ始めました。普段よりかなり負荷が高い上、休憩が短く、補給も少ないですからね……。CAJはエイドステーションでの補給で全部賄えるけど、AACRはそれだけでは足りない、道中自発的な補給が必要なんですね。信濃森上駅付近から白馬岩岳へ登る道では、完全にハンガーノックに陥り、速度をかなり落として進みました。なお、信濃森上駅前の右向き丁字路で、正規のコースは右折するのですが、何故か直進する人が多数いました。私ともう一人の方が「こっちだよなあ……」と首を傾げながら曲がりました。直進方向に何かあるの?
白馬岩岳スキー場が折り返し点です。信州蕎麦とお漬物が振舞われました……が、これじゃ足りません。自販機でリアルゴールドでも買って凌ごうかと思いましたが、ロッジ前の自販機は発煙所に隣接していて近寄れず、道路向かいの自販機は電源が入っていませんでしたorz
折り返しと言っても、飯森駅付近まではまったく違うコースを通ります。往路の飯森駅でR148を横断した時、すぐ近くにローソンがあったから、そこに行こうと思っていました(鉄子の旅3代目でキリオカさん達が行ったところですね)。でも、その前に別のローソンをコース上で見掛けたので、そっちに入りました。本格的な昼食です。時間が無いのであくまでも手短にですけど。
佐野坂峠を北側から越えるのは初めてです。往路とはまた違った経路になりましたが、これは同じ経路だと直線的すぎて急勾配になるからですね。路肩に残雪のある道でした。佐野坂交叉点の信号停車がなかなかの難物でしたね。ここでポカリスエットをこぼすミス。
佐野坂からは往路と同じコースですが、海ノ口を過ぎても木崎湖左岸を通ります。ということで、絶対立ち寄り場所・Yショップニシこと縁川商店(逆)。やっぱり寄ってる人多数ですねー。今回こそは何か食べていきたかったですが、時間が無さ過ぎるので、またジュース1本だけになってしまいました。
往路でも立ち寄った大町木崎湖エイドが、復路でもエイドになっています。今度の振る舞いは冷奴。くたびれた胃には良さそうです。熱量ほとんど無いでしょうけど! ここ到着の時点で13:58、指定通過時刻は14:00ですのでギリギリです。食べてるうちに確実に過ぎます。食べないという選択肢はありませんけどね。そもそも、こんな時刻になっても周囲の人はとても多いですし。即座に足切りって訳じゃなさそうですね。
この区間は、概ね往路と同じコース、往路から別れた後もkAACRとほぼ同じコースです。昨日行った鈿女神社の近くを通ります。はい、予想通り、寄ってる時間なんかありませんよぐぬぬ。昨日行っておいて良かった。概ね平坦、微妙に下りのコースですので、平均速度が上がります。速度が一致またはやや速いというくらいの人が居たら、後ろに付かせて戴いたりして、何とか時間内に到達しようと頑張ってみました。
その結果、区間距離25.5km(公式には25.1km)を、実時間58分、走行時間54分で走り切るという、極短距離ならともかくとしてかつてない速度を出せたのです。……それでも指定時刻ぎりぎりになってからの到着でしたけど。穂高駅近くの安曇野エイドです。まだ相当な人数がいました。振る舞いは、冷凍の林檎ジュースと、紫蘇ゼリー。加熱してましたので有難いです。
さて最後の区間です。ほぼkAACRと同じコースです。序盤の信号で、かなりの団子になっており通過に10分以上かかったのが誤算と言えば誤算。その後は、登りもそこそこありましたけど差程の苦しみでもありません。kAACRで一番嫌だった、三田工業団地の先の果樹園(景色が変わらないので飽きる)も、それと判っていたので精神的に楽でした。黒沢川を渡るところは、スタート前に聞かされていた通り、上流下流のいずれも桜並木が見事な景観を作っていました。
ゴールは16:06。6分オーバーですが完走証は戴けました。振る舞いは「おめでたい焼き」。大したものではありませんけど、出店があるから良いってことですかね。
反省するべきは、前半での自主補給を怠ったことか、第1エイドでの着替えに手間取ったことか、それとも? いずれにしても、特に補給の重要さを実感しました。沿線の店舗がAACRに合わせて早朝から開店したり、色々食べて行く人がいるというのは、「ろんぐらいだぁす!」でも描かれていますし知っていましたが……単なる余裕ではなく、生き残るために必要な行為だったんですね。
思ったのは、ブルベと同じ技術を要求されたのではないか、ということ。私はブルベも未経験ですけど、特に400km以上では、単に指定されたコースを走り切るというだけでなく「いつ・どこで・どれだけの睡眠を取るか」の判断が重要だと聞き及びます。AACRではそれと同じく、「いつ・どこで・どれだけの食事を取るか」を考える必要があったのではないか、ということです。エイドで提供されるものだけでは明らかに足りませんよ。
さて、終わってから周囲を見てみると。……サメハルさん来てたんだっけ、と思うくらいに総ピンクなロードバイクが2台ほど。別の方でしたけどね。
17時に撤収し、まずは国道沿いの7-11松本新村店で、箱を発送します。そのために新聞紙も持って来ているのです。作業中に話しかけて来た方がいらっしゃったので、今日のこととか去年一昨年に走ったこととかお話しました。……運送料が往路より高くなったのは何でだろう。cardさん3号を抜いたから軽くなってそうなものだけど。
でもって後は、昨日ちゃんと撮影していなかった渚駅へ寄り直して(渕東駅に渕東なぎさが居たので、渚駅にも居る筈と見込んで)、松本駅で輪行します。御土産は、会社の人には「信州りんご&バターサンド」、来週の帰省で家族に持って行くのは「信州りんごバウムクーヘン」としておきます。荷物が多くなるから迷ったけど、私とバウムクーヘンとの因縁は家族だけが知っている(謎)。あと、夕食と……
こんなん見付けたので思わず購入(^^;;; どーせリュックサックには入らないんだから、折ることもできなくなったって構わないのです。
指定通過時刻 | 時刻 | 場所 | 標高 | 走行時間 | 走行距離 | 平均速度 | 最高速度 | 総走行距離 | 累積標高 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
04:42 | 信州健康ランド 発 最初から標高設定を間違えてます。本当は634m → | 584m | 0.00.00 | 0.00km | 0.0km/h | 0.0km/h | 12,633km | 0m | |
05:29 | 梓水苑 カロリーメイト×2 → 06:20 | 628m | 0.38.10 | 13.82km | 21.7km/h | 34.9km/h | 12,647km | 50m | |
09:00 | 07:44 | アルプスあづみの公園穂高エイド きりたん → 08:15 | 651m | 1.38.30 | 37.24km | 22.6km/h | 51.7km/h | 12,670km | 325m |
10:00 | 09:10 | アルプスあづみの公園大町エイド WC → 09:25 | 743m | 2.37.14 | 57.77km | 22.0km/h | 〃 | 12,691km | 577m |
11:00 | 10:03 | 大町木崎湖エイド → 10:13 | 749m | 3.12.46 | 68.76km | 21.4km/h | 〃 | 12,702km | 675m |
12:30 | 11:51 | 白馬岩岳エイド WC → 12:20 | 721m | 4.41.40 | 95.22km | 20.2km/h | 〃 | 12,728km | 879m |
12:40 | ローソン信州白馬八方店 → 12:51 | 707m | 5.00.38 | 100.62km | 20.0km/h | 〃 | 12,734km | 935m | |
13:44 | Yショップニシ りんごジュース(190) → 13:50 | 733m | 5.45.38 | 118.68km | 20.6km/h | 〃 | 12,752km | 1,067m | |
14:00 | 13:58 | 大町木崎湖 → 14:02 | 734m | 5.53.10 | 122.01km | 20.7km/h | 〃 | 12,755km | 1,073m |
15:00 | 15:00 | 安曇野エイド → 15:07 | 517m | 6.47.03 | 147.64km | 21.7km/h | 〃 | 12,781km | 1,105m |
16:00 | 16:06 | 梓水苑 WC → 17:00 | 605m | 7.39.05 | 166.87km | 21.8km/h | 〃 | 12,800km | 1,291m |
17:15 | 7-11松本新村店 サングラストル 日焼止おとす きりたん脱ぐ → 17:43 | 582m | 7.52.24 | 170.78km | 21.6km/h | 〃 | 12,804km | 1,298m | |
18:08 | 松本駅 アルプス口 | 555m | 8.09.42 | 176.18km | 〃 | 〃 | 12,809km | 1,310m | |
22:57 | 武蔵境駅 発 | 61m | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |
23:07 | 前線基地 | 65m | 8.19.14 | 178.88km | 21.4km/h | 〃 | 12,812km | 1,318m |
特急あずさ34号(E257系)で立川まで……これ三鷹に停車する唯一のあずさじゃないですか。そっち行けば良かった。ともかく、立川で中央本線休日快速(E233系0番台)に乗り換えて武蔵境。ホ○○○再構築して、帰宅です。
帰宅して、取り敢えず色々片付けている途中、叔母からメールが届いていることに気付きました。読むと、短く、母が危篤との報。
……3年ほど前から体調を崩していた母で、特に昨年、父が怪我をして2ヶ月ほど入院して以来、相当に体力を失っていて、リハビリしている最中でした。母の本来の部屋は2階にあるのですが、階段を上がることが困難なため、介護ベッドを1階に置いている状態でした。それでも立てない歩けない訳ではないので、私が帰省する度、踏台に足を載せる訓練や、階段を2、3段上がる訓練をさせていて、実際昨年9月の時点では2階に上がれるようになっていたのです(ベッドは1階のままでしたが)。でも正月にはまた上がれなくなっていたため、無理はせずとも常から訓練していようと、言っていたのですが……。
先週、兄が下の子と一緒に1日来ていたとは聞いていましたが、その関係なのか、それともその時は何でもなかったのか? 混乱するばかりです……。
朝になってから本拠地へ電話しましたが、繋がりませんでした。病院に行っているということでしょうか。メールを出しておいて、いつも通り出勤します。と言っても、残業時間削減のため、2時間遅らせての出勤ですが。
午後になって、ようやく父からメールが届きました。状況はさっぱり判りませんけど、「今は落ち着いたが、このまま快方に向かうことはない」「医者はここ2、3日が山と言っている」とのことでした。何か起きたらすぐ連絡する、ということなので、連絡が来るまでは特に何もできません。備えておくと言っても、精神的なことでしかなく。
なので、不謹慎かもしれませんが当初の予定の通りに行動します。三鷹から中央本線平日快速(E233系0番台)で新宿。テアトル新宿で土曜日から上映されている「あにめたまご2017」4作品を鑑賞するのです。
「ずんだホライずん」の時だけ、周囲から笑い声が遠慮なく上がったのが印象深いです。
新宿から中央本線休日快速(E233系0番台)で武蔵境、バスで帰宅。
日常のままに、過ごすつもりでしたが、昼前になって叔母から、母の訃報が届きました……。
父と相談して、すぐ帰省することに決定。上司にこの旨を報告し、会社での手続きのため何が必要かを確認した上で、一旦帰ります。今日の仕事はフレックス退社扱いで、明日から3日間は慶弔特別休暇、そのまま連休に入るという算段です。あ、今日の切符はまだ連休前だし取れるだろうけど、元々の切符はキャンセルしないといけない。復路はそのままで良いだろうけど。
前線基地で、取り敢えず1日分の着替え上下と、スーツと礼装用ネクタイを引っ張り出します。このネクタイ、年始にあった隣の部署の課長の葬儀で買った奴ですね……。更に、3月の大洗、先週の江ノ島、そしてこの前のAACRのお土産を全部まとめてBEEP袋に放り込みます。もともと29日に持って行く筈のものでしたので。
吉祥寺駅から中央本線平日快速(E233系0番台)で東京、夕食の後、特急こまち31号(E6系)で秋田へ。予報では夜から明日にかけて雨ということでしたが、田沢湖付近からぱらぱらと降り出し、秋田でも傘が要るか要らないか、くらいに降っていました。帰宅後は雷を伴う大雨になりました。
本拠地へ行くと、父と兄と叔母(母の妹)が来ていました。既に葬儀関係のスケジュールは決まっていましたので、手続きに必要な情報をまとめて上司へメールを出しておきます。
父の運転で、全員仁井田の秋田南典礼会館へ向かいます。葬儀会場は別なのですが、スケジュールの都合で途中までこちらを使うことになっているようで。母方の伯母1、伯母2、従姉妹(伯母1の次女)が来ていました。
ここでようやく母と対面。痩せこけたとかそういうことはなく、いつもと変わらない風の姿でした。しかし触れると冷たいのですが……。後で父から聞いたところによると、訪問看護士の診断で血中酸素濃度の低さを指摘されて入院し、肺塞栓と診断されたそうです。これは「段々衰えるのではなく、突然起こって急激に進行する」もので、一昨日夜(昨日朝?)はまだ普通に会話していたけれど、酸素濃度低下=二酸化炭素濃度の上昇によって意識が落ち、そのまま昨日10時頃に身罷ったと(死亡診断は10時12分)。苦痛は無かったのではないかとのことでした。
自分自身は、母と対面してもまだ呆然とした感が強いのですが、伯母様方が故人へ話しかける度にいたたまれなくなります。
やがて父方の伯父が来訪したところで、湯灌の儀となりました。身を清めて装束と髪を整え、死化粧を施す儀式です。父を始め全員が髪型をはっきり憶えていなくて、後で写真を見て直す一幕もありましたが、特に滞りなく、そのまま納棺となりました。
ここで伯父・伯母方が一旦帰宅し、残ったのは昨日と同じく父、兄、叔母、私。更に、私が近くのコンビニで昼食を調達してから、父、兄、叔母が衣類や現金を持ってくるために一旦帰宅しました。その間2時間ばかり、私が残ることになりました。父が入院していた頃、慣れない場所に一人残されると母はかなり淋しがっていたことを思い出し、棺の傍に控えるようにしていました。途中、母の友人という方が2名来訪されました。弔辞をお願いしている方らしいです。
3人が戻って来てから、今度は私が一人で帰宅します。衣類とcardさん3号(W-ZERO3だけでは厳しかった)、それにお土産のひとつ林檎バウムクーヘンを持って来て、祭壇に備えておきます。あと、屋敷田郵便局で私も現金を確保。
夕方、再び父方の伯父が、今度は奥さんを伴って来訪されました。この方に会うのは、もういつ以来なのか判らないくらい久しぶりなのですが……お喋りな方だったということと、父が当人に向かってかなり辛辣な言葉を吐いていることに驚きました。こんな父見たことないよ。
更に夜、兄がレンタカーを借りて、秋田空港へ家族(奥さんと息子1、2)を迎えに行きました。上の子は8歳(小学3年生)で、祖父を亡くした時の私(小学2年生)と同じくらいですから、死という概念は理解している筈ですが……う、私、こんなに落ち着き無かったかな? 下の子は4歳ですから理解していなくて仕方ありませんけど。
改めて父方の伯父、母方の伯母1、伯母2、従姉妹が来訪し、出棺の儀を行いました。花や故人の思い出の物などを納めて、封印します。思い出の物は、愛用の櫛や、手芸の作品などです。それと、最近の封印は釘を打つのではなく、帯で締める形なんですね。
霊柩車には喪主たる父が乗りますし、兄は家族と一緒にレンタカーを運転しますので、家の車は私が運転することになります。叔母が同乗します。ペーパードライバーに近い私の運転を叔母は嫌がるのですが、秋田市内の地理に疎い叔母が運転する訳にもいきませんので、こうなりました。と言っても、私も斎場の場所は、大体は解りますけど正確な経路は知らないため、霊柩車の後を付いて行くことになりました。
棺を載せて自宅の傍を通るものだとは聞いていましたが、傍どころかわざわざ自宅前を通って行ったのは、本来あり得ないサービスだったとか。表通りに戻る時、離されてしまってちょっと焦りましたけど……その後、泉の信号で完全に切れてしまいましたけど……外旭川旧道に入ったら案内標識がちゃんとありましたので、実際には単独で走っても問題なく到着できました。
現在、一般に「斎場」と言うと、葬儀を行う式場を指すため、さっきまで居た典礼会館も斎場ということになるのでしょうが、秋田市で斎場と言う場合はここの施設を指し、儀式も可能ですが本質的には火葬場です。前述した祖父の葬儀の際も、確か納棺は病院で、安置は自宅で、葬儀は寺で行いましたが、火葬はここ秋田市斎場で行われたのを憶えています。施設は5年ほど前に改築されていますので、初めて来たことになりますけどね。いずれにしても2回目です。
読経の後、荼毘に伏されました。流石にここでは込み上げて来るものがありました。待合室で1時間ほど待機した後、骨上げとなります。頭部は父、胴部・腕部は兄や伯母・叔母、脚部を私や伯父が受け持ちました。温度が高いので兄の子供達は遠巻きに見るだけとなりました。原型を留めている骨が少なかったのは、骨粗鬆症のためでしょうか。大腿骨の1本は、数少ない原型を留めていたものでした。
退場に当たっては、父が骨箱を、兄が遺影を、私が事前収骨されていた小箱(歯など)を持ちました。ただ、車の運転の関係上、外へ出る前に持ち替えになり、骨箱はそのまま父、遺影と小箱は叔母が持つことになりました。そして、両名とも私が運転する家の車に乗り、葬儀会場である山王の秋田典礼会館へ行きます。今朝まで居たのは仁井田の秋田「南」典礼会館ですよ。駐車場の通路に他の霊柩車やマイクロバスなどが停まっていて、空いている駐車スペースにも入れられないという面倒がありました。
状況が状況なので娯楽はほとんどなく、子供達が暇そうにしていましたが、夜になって逮夜の儀が執り行われました。一般的にいう「通夜」です。火葬を先に行うのは秋田市での風習ですが、全国的にはかなり珍しいようですね。戒名は「由香院美弌芳桜大姉」と名付けられました。知っている人にはお解りでしょうが、時宗です。私、母方の家との関わりが深かったもので、母方の菩提寺が曹洞宗だというのは知っていたのですが、父方が時宗だというのは、今回初めて知りました。清浄光寺(遊行寺)、いつも前を通るだけだったけど、一度訪ねてみなくちゃ。
この時点で、本拠地の仏間(1階和室)には母の介護ベッドが置かれていますので、葬儀の後で祭壇を設けるためには大変邪魔になります。そこで業者に連絡して、撤収してもらうことにしました。しかし父が電話したところ、午前中の撤収は無理で18時すぎになるとのことでしたので、帰宅・祭壇構築に間に合いません。
仕方がありませんから、兄と私(と兄の上の子)が一旦帰宅し、ベッドを居間に移動しておくことにしました。……重い! 持ち上げるだけでも大変です。勿論分解はできるんでしょうけど、方法が解りませんし(柵だけ外しても大して変わらない)、マニュアルを読んでいる時間もありませんから、そのまま運ぶしかありませんでした。あ、兄がちょっと引き摺って畳を傷付けた。
改めて、秋田典礼会館にて葬儀が執り行われます。昨日の逮夜はほぼ親族だけで20人強でしたが、今回は知人友人もかなりの人数が訪れており、70人以上だったと思います。兄の下の子が大分ぐずりましたが、良く耐えた。思い出アルバムみたいな映像が最後に流されましたけど、写真を撮られるのが苦手な母のこと、遺影に良い写真を見付けるのも苦労しただけに、ほんの5枚でそれらしく構成されていました。誰が作ったか知りませんがお疲れ様です。
葬儀に続いて中陰法要。初七日から四十九日まで、7日毎に行う法要の前倒しですね(事前に調べておいた)。前倒しはするが遅らせることはないというもののようで、葬儀に続けてまとめてやってしまうことが多いらしいです。……下の子、良く耐えた。
そして精進落とし。子供らはこっちの方が大人しくしていない(^^;;; 栄螺の蓋を集めたり、黒ひげ危機一髪っぽいので遊んでたりね。しかし食事中に歩き回るなや……。
16時に帰宅(例によって、遺骨を抱えた父を乗せて私が運転)。まず仏壇の片付けが必要です。これ、母方の仏壇なんですよね。祭られているのは伯父(昭和初期に幼くして死去)、祖母(昭和40年代に死去)、祖父(昭和60年代に死去)の3人です。家が父だけになると、立ち位置が微妙です。私や兄はともかく、父にとっては母が居ないと縁の薄い家ですから。祖父はともかく、伯父は勿論祖母にも、父は会ったことがないでしょうし。
まあ、遺影位牌や仏壇そのものをどうするかはともかく、今は母のための祭壇を脇に設置し、香炉や燭台などを仏壇から移して体裁を整えます。18時すぎにようやく介護ベッド(とトイレの手摺り)が撤収され、一段落です。
今日から連休ですね。全然そんな感じがしないけどね、二重の意味で。既に2つ、当初の予定を中止しているし(しかもひとつはお金払っている)。
兄の奥さんと子供2人は、昼過ぎの飛行機で帰られました。兄はもう1日残ります。手続きはまだこれからもあるしねえ。
母の従姉妹らしい人が来訪されました。……母方の親族と縁が深い私だけど、ここまで離れるとほとんど知りません。ただ、母は勿論、この世代の人達とも付き合いがあったようなので、続柄はともかく名前は知っているという人なら私も数人います。この人は憶えがなかったけど。
昨日と同じ便で、兄も帰宅の途につきました。残ったのは私と父のみ。あと母が居れば、いつも通りの連休だったんでしょうが……。