湊を過ぎてからこっち, 隧道がいくつかありましたが, 萩生を過ぎると本当に隧道多発地帯となります。本来の地形がそれだけ厳しいという事ですね。古くは地形に取り付き, あるいは地形を避け, 時代が下るにつれて地形に挑み, あるいは地形そのものを破壊して, 人は交通というものを手に入れてきたのです。
写真 | コメント |
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(13:57) |
竹岡から金谷へと向かう途中は, 険しい山が海まで迫る難所がいくつも続きます。まずここ, 打越隧道。車の大きさと比べると一目瞭然, 異様に断面積が巨大ですね。隧道自体は明治からあるらしいのですが, 拡幅に拡幅を重ねたということでしょうか。 |
(13:58) |
隧道の右側に広場がありますが, 明治道がそもそも隧道だった訳ですから, 旧道ではないようです。江戸時代以前の古道という可能性はありますけど。 |
(13:59) |
隧道の左側には……何これー!? 「ピラム」というのは前の写真にも写っている釣り具店で, つまりそこの駐車場として使っているんでしょうけど……何なのこの巨大な穴と, その内側にある小さい穴は!? ヨッキれんさんのレポートにあったのはこれか……確かに気になる, 気になるっ! 戦争遺跡探し・竹岡編によると, 旧日本海軍の東京湾要塞の一部だそうです。 |
(14:00) |
打越隧道のすぐ先にあるのが洞口(ほらぐち)隧道。こちらはあまり改良されていないようで, 小さく狭い隧道です。何が狭いかと言うと, 主に路肩が。延長短いからなんとかなるけど, 自転車だと怖いですよ, この狭さは! |
(14:03) |
少し進んで月山隧道(ちょっと写真ブレた)。こちらは打越隧道と同様の, というか見た目まったく同じ感じの, 巨大な断面積ですね。つまり路側帯も充分にあります。……トンネル手前の路側帯部分が未舗装なのは何ででしょう? 当然ながら叢の中に, 人が頻繁に踏み分けて通った跡があります…… |
(14:05) |
芝崎集落の入口となる島戸倉隧道です。解りやすいくらいの旧道が右へ分岐してますね。 |
(14:05) |
解りやすいくらいの旧隧道がすぐそこにありました。地形図にもしっかり現役の道として描かれていて, 少し回り道ですが現道に戻ることもできます。が, 道の右側ですから横断しないと行けないんですよね……写真では車居ませんけど, この道は交通量が結構多いので, 渡るのは大変なんです。現隧道を通りますー。 |
(14:08) |
金谷の町の入口となっているのは, 大日隧道。そして今度は左側に, 解りやすいくらいの旧道が。しかも堀割! 旧隧道を開削したんでしょうね, 現隧道を掘った後に。 今回は旧道を選びました。狭い現隧道より通り易そうだという事と, 何より陽光の明るさに映える深緑の景色に惹かれましたので。その先は金谷の町の外れにある集落に繋がっており, 現道と並行しながら中心へと向かっていきます。 |
(14:09) |
旧道を通っている時, 現道を挟んですぐそこの海に, 巨大な船が現れました。東京湾フェリーの「かなや丸」です。実はここは金谷港。この船は, 金谷港と神奈川県横須賀市の久里浜港を結んでいます。三浦半島と房総半島を先端に近いところで結ぶ船なのです。 |
(14:12) |
JR内房線, 浜金谷駅です。港はフェリーが発着するくらいですから大きいけど, 駅はちっちゃいですね。富津館山道路の富津金谷ICも近くにあるから, 道路交通が主なんでしょうね……。そこなおに〜さん☆は輪行の方ですか? |