wacky wrote:
> 根本が変わらなくても、「自分に都合良く常識を解釈する」ことで差が生じ、
> 個人的利害にかかわるので妥協できない。ってことです。

  と、wacky氏が個人的に思っているにすぎない話ですね。

  例えば本件について、誰かが「自分に都合良く常識を解釈」している
客観的根拠は全く示されていません。wacky氏が「そう思う」という意見
は頻繁に目にしていますが、客観性に乏しいです。
  また「自分に都合良く解釈している」のが wacky氏でない保証もあり
ません(wacky氏の「目が曇っている」のなら、そもそも wacky氏の常識論
そのものに信憑性がない、というのはいいですよね)。
  更に、誰かの目が曇っているからといって、それが取り除かれれば、
根元で一致するとは限りませんし、それは論証されていません。

> #以上、矛盾無く論証されました。

  wacky氏の脳内では矛盾はないんでしょうけど、そんなことは他者には
どうでもよいことです。ここでは客観的に確認できる証拠も、主観に基づ
かない論拠も全く提示されていません。
# 上記のwacky氏の主張は「俺様以外の連中の目が曇っているんだ」という
# wacky氏の個人的意見にすぎません。

  次。

> 普通の常識をもって理解すれば、それは「投票権を持つ者はすべからく投票す
> べきである」といった主張であって、「事実として義務である」「事実として
> 資格が無い」といった愚かな主張ではないでしょう。

  日本に限定すれば、法的にも投票は義務付けられていませんし、投票
しなかったことによるペナルティ(立法や行政に文句が言えない等)は
ありません。しかしそれでも、そのように解釈する人が少なからず存在
するわけです。
  NGMPも同じことですよね。NGMPから「投票義務があると解釈できる」
という主張があったとしても、なんらおかしくありません。ましてや
「誤りである」「社会常識に反する」などと一意には言えません。
# 法律学や論理学的に「誤りである」は言えるかもしれませんが、
# その論証はなされていません。また、実際の社会にそのような解釈
# が少なからず存在するわけですから、「社会常識に反する」が直ち
# に言えるとは考えにくいです。
## 「論理的に正しいこと」≠「社会常識」ですよね。

  次。

> それがfjにおける個人の識別子だから。ですね。

  つまり「選挙においては一人一票」という社会常識と反する状況が
fjにおいて発生しうるということを wacky氏も認めているということ
ですね。
  これは「NGMPの解釈も(特記無い限り)社会常識に基づいて行われなけ
ればならない」という wacky氏の主張と矛盾します。
  どっちに従うのが wacky氏的に正しいんでしょうか。それを判断する
ための客観的根拠とともに明示して頂けますようお願いします。

  また、fjにおいては一般の社会常識が通用しない場合もある、という
ことを wacky氏自身が認めている以上、本スレッドで wacky氏がしば
しば述べている「社会常識」が、全く根拠になっていないということ
を wacky氏自身が明らかにしたということです。
  今後、一般社会常識を根拠に主張を述べる場合は、それがなぜfjにも
適用できるのか、それを論理的かつ客観的に示していただけますよう
お願いします。
# 多分それで KGKさんとのやり取りが半分以下になると思います。それ
# は wacky氏にとっても有意義なことだと思いますよ?


P.S.
wacky氏は Message-ID: <99vh6d$9st$2@srv3.cablecom.ne.jp>で示され
た、さかぐちさんの忠告をもう一度真摯に読み直してみるべきだと思い
ます。古い記事なので、ほぼ全文になってしまいますが、引用しておき
ますね。

--- Koji Sakaguchi wrote in <99vh6d$9st$2@srv3.cablecom.ne.jp>
> >それとも、思い込みだけで根拠がなくなると「普通」「一般」「常
> >識」に逃げる類の人だったんでしょうか。

> それをやっているのはご自分では?

さかぐちがやってもいない事を勝手にそう思われるのは、ご自身が
「普通」「一般」「常識」の意味を理解せず、思考停止しているか
らです。要は「普通」「一般」「常識」はコンセンサスを示す単語
だから、異なる「普通」「一般」「常識」を持つ人とは会話の前提
にならないよというだけです。

ですから、自分が「普通」「一般」「常識」と思った場合は、まず
その根拠を再検証して見なければなりません。そしてそれが単に自
分の思いこみ=「皆もその筈だ」、或いは「皆もそうであるという
事にしたい」でしかなかったら、早々に議論の前提条件としては放
棄すべきなのです。

北海道にも常識はあるし、沖縄にも常識があります。でも両者が一
致するとは限りません。ですから一致しない部分があれば、それは
もはや両者共通に語れる常識ではないのです。当然の事ですね。そ
してそれはどっちが正しいとかどっちが間違っているとかいう類で
はない。単に異なるだけの事です。ですから、それを議論の前提に
してはいけません。

勿論、そうであっても両者合意形成する事は可能です。ただ、その
場合「常識だから」などという論理ではなく、論理的に検証したり、
何らかの統計的確認等を経たりして、コンセンサスを得る訳です。

例えばKurodaさんの様に、辞書の表現という客観的なものを根拠と
すれば、参加者が検討でき、その妥当性について論議出来ます。で
も「一般的と思う」では、実証性がありません。

残念ながら、今までの wackyさんの議論の中で出てくる前提条件と
しての「普通」「一般」「常識」は、常にそこで思考停止した状態
で、如何に「普通」「一般」「常識」かを実証された例を寡聞にし
て存じません。事実、

> #系というのは何だか分りませんが、私が社会といっているのは日本という概
> #念で括られる社会の事です。

にも、どこにも何も実証性がない。せめて日本人の何パーセントが
「迷惑を被害と解釈しない」とかいう統計データでも引用して戴け
れば、今度はその統計が真の姿を表しているかの議論になるのに、
結局 wackyさんが「一般と思う」以外の何も引き出せないのです。
これでは誰かさんの常套句ではありませんが、「ということにした
い」にしか見えません。

また、常にご自身は「普通」「一般」「常識」だから正しいという
のもこの類の方に見られる姿勢です。下記の発想は正に典型。
--- End